ネコマタは一般的に山中に現れる怪猫、飼い猫が年経てなるものと考えられている。また、カマイタチも一般的に地上にいて負う裂傷の原因と考えられている。
ところが水中で同様の裂傷を負った場合にも、カマイタチを原因とする事例がわずかながら青森や福島、和歌山で見られた。そうした中で、海中に現れるカマイタチについては、和歌山県南端のすさみ町・串本町に限って確認されるところであった。当地ではネコマタがカマイタチ同様に人間に裂傷を与える妖怪として認識されていた。南方熊楠が1913年に聞き書きした記録と同様の事例はその後採集されることがなかったが、今夏、江住に取材に行くことで、水中でカマイタチのごとく裂傷を与えるネコマタの伝承の残存を見出すことができた。それと同時に、熊楠の記述に見える「江住村荒指」が隣村の「和深村安指」の誤解である可能性が高いことが分かった。
ではなぜカマイタチとネコマタが合成されたのか。これについては今後の課題としたい。
※次回は10月13日(土)14時開催です。詳細は追って告知します。
式水下流氏・永島大輝氏
福島(いわき)・栃木の調査報告 河童・狐を中心に
永島大輝、式水下流の二人で四月に行ったいわき市の調査報告、
①湯本豪一コレクションにおける猫鬼、
現地に行き、いわき市暮らしの伝承郷で、湯本豪一『
②家伝薬として伝わる河童の膏薬等河童に関する調査報告
①
話を要約すると実際にはその家では河童の膏薬として伝わっている
『怪異・妖怪伝承データベース』より「河童 薬」で検索をかけた結果から分布と類型をまとめた。
同じくいわき市内では河童の祠を祀っている場所もあり、
和歌山でのガシャンボの足跡の話とからめ、妖怪は「
③狐の話を中心に栃木県の調査報告
狐の話は現在でも多く聞くことができる。栃木県内の狐の嫁入り(
オトカとは、お稲荷の音読みだろうが、
また、那須の九尾の狐伝説は「しもつかれ」の由来に関係があり、
「しもつかれ」は初午の食べ物であり、稲荷の祭日である、
④写真
狐などが写真に写ったとされる事例を紹介し、
以上の調査・報告を行った。
・式水まとめ
十数年、
・永島まとめ
調査では多くの方に優しくしていただいた。
無理なのはわかったうえで、
今回アカデミックな集まりというよりも「お化け友の会」
報告では、妖怪というのは「感覚を共有する」
妖怪に関して「いるの いないの」という問いを避けてきたと思う(参考『妖怪談義』
繰り返しになるが、多くの方に優しくしていただいた。
(文・永島大輝/式水下流)
以上、6月30日、國學院大學にて開催された異類の会の報告でした。
会場:国学院大学若木タワー14階打ち合わせ室
発表者:式水下流氏・永島大輝氏
タイトル:福島(いわき)・栃木の調査報告 河童・狐を中心に
要旨:
猫鬼や魔像と呼ばれる妖怪をかたどった物質がある。その由来などについて話を聞こうと、永島大輝、式水下流は調査に出かけた。結論からいって、あまり成果はあげられなかった。今回はそうしたことの報告になる。
あえて一つの傾向を見出だすと、ある物質(家伝薬、像、写真など)にまつわる異類(河童・稲荷など)の話がある。
ここには類例としてカシャボの足跡(和歌山県での聞き書きによる)なども含むことができるかもしれないし、あるいは、それを含むことで輪郭がぼやけてしまうかもしれない。
しかし、河童の伝承を知り、そちらへの調査に変更したところ「家伝薬」などについて教えていただくことができた。このようにいろいろなところで優しくしていただきお話を聞かせていただいている。今回はそうしたことの報告になる。
あえて一つの傾向を見出だすと、ある物質(家伝薬、像、写真など)にまつわる異類(河童・稲荷など)の話がある。
ここには類例としてカシャボの足跡(和歌山県での聞き書きによる)なども含むことができるかもしれないし、あるいは、それを含むことで輪郭がぼやけてしまうかもしれない。
そんな事物にまつわる話を共有し議論に供したい。
報告の内容はまとめると、以下のようになる。
① 湯本コレクションについて調べてみたこと。
猫鬼、魔像、その他造形物にいたるまで式水下流を中心に調べ、推測した結果を報告。
②河童にまつわるエトセトラ。
家伝薬が異類にからめて語られる場合がある。家伝薬を使用する映像とともに報告する。
③狐、オトカ、稲荷様。
栃木でのオトカの嫁入りや、稲荷神社の話、那須の九尾の狐のことなどについて報告する。
※よろしくご参集ください。
少年少女雑誌・児童書における妖怪記事の基礎知識
要旨:
少年少女雑誌の妖怪記事は、「ポスト怪獣ブーム」として生まれたものではなかった。
昭和39年怪奇記事は急増し、昭和40年には妖怪記事大隆盛を迎えた。怪獣ブームの時点で既に妖怪ブームであったのだ。
この時期に活躍したのが、「少年ブック」の北川幸比古、「少女フレンド」の斎藤守弘だ。バックベアード、さかさ男は我が国が生んだ代表的なモンスターだ(?)。
同時期に中岡俊哉が彗星のごとく現れた。『世界のモンスター』の山内重昭が児童誌に執筆を開始したのもこの時期だ。ブームは昭和43年まで続くが、その後の妖怪研究に多大なる影響を与えた。
さらに「マーガレット」の武田武彦、「少年キング」の永山秀雄・間羊太郎、「少年マガジン」の宮崎惇など、単行本とならなかった作家達の記事を漏らさず研究することが大事だ。
妖怪記事は、大伴昌司・水木しげるの独占では決してなかった。
各誌が切磋琢磨したゆえの産物である少年少女雑誌の妖怪文化は、日本の妖怪史において決して軽視してはならないと考える。(文・幕張本郷猛氏)
※2018年3月31日、青山学院大学総研ビル(14号館)での口頭発表の内容です。
次回は6月中に開催する予定です。