異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
第169回開催のご案内
日時:9月21日(月)15:00-17:00
会場:オンライン(Microsoft Teams)
タイトル:
日本人形はいつから怖くなったのか
──雑誌記事を中心に
日時:9月21日(月)15:00-17:00
会場:オンライン(Microsoft Teams)
タイトル:
日本人形はいつから怖くなったのか
──雑誌記事を中心に
発表者:鳴海あかり氏
要旨:
多くの現代人にとって、日本人形は身近な玩具とは言えないだろう。むしろ、ホラーのアイコンのような扱いさえ受けがちだ。しかし、その昔日本人形というものは女児に愛玩される一般的な玩具であったはずである。いつから日本人形は不気味になっていったのだろうか。
すでに指摘されているのが、北海道岩見沢市に実際に安置されている髪が伸びる日本人形「お菊人形」の影響である。お菊人形は70~80年代頃、オカルトブームに乗ってテレビ番組に引っ張りだことなり、多くの人々にインパクトを与えた。その影響力は発表者も追認するところである。では、お菊人形によって日本人形が怖くなったのだろうか?いや、それだけではないだろう。
本発表では「〝日本人形=怖い〟というイメージはどのように形成されていったか」をテーマとする。お菊人形以外に、どのような当時の状況が影響していたのだろうか。当時の雑誌記事(商業関係誌・オカルト誌・少女漫画誌・週刊誌など)を資料として、特に60~90年代頃の日本人形観をつぶさに見ていこうと思う。
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タイトル:
戦国期の大黒天信仰
発表者:久留島元氏
要旨:
本報告では、インドの破壊神マハーカーラに由来する大黒天信仰の概略をふりかえり、日本でも護法神から福徳神に変化していくことを、造像の変化や経典の記述から確認した。室町時代の狂言では比叡山の三面大黒の由来もしばしば語られる。また、福徳神だけでなく武神の一面が忘れられていなかったことは、お伽草子『大黒舞』で盗人を撃退する姿や、近世に入って造られた武神像でも知られる。
一方、戦国期の説話を集めたとされる『義残後覚』では、加藤清正が川で拾った大黒天像を「三千人しか守護しない」と捨てさせ、一万人の大将となることを宣言するが、実際には七千の大将に終わったという。ここには戦国武将にとっても大黒天が重要な神格だったことが反映している。戦国武将が大黒天像を捨てた話は、豊臣秀吉や明智光秀を主人公としても語られており、ひとつの類型である。大黒天の名は起請文のなかでもあげられ、実際に武将たちにも信仰されていた。戦国期の大黒天信仰は、三条西実隆の日記『実隆公記』で例年大黒天供を行っていることからもうかがうことができ、家の繁栄を祈る修法として公家・武家社会に受け入れられ、そこから庶民信仰へ浸透、定着していったことが想定できるだろう。
質疑応答では、起請文に列挙される神格の名前や序列が話題になった。大黒天が特に重視されているとわかる事例は管見では少ないが、福神としての知名度が明らかである。大黒天と堅牢地神を並べる意識は、『大黒天神法』において両神が同一とされることによると思われるが、地神が兜跋毘沙門天に通じるからではないかという意見も出された。『義残後覚』説話については、清正の最終的な家来が一万に三千足りない(大黒の守護するぶんだけ少ない)、という笑話の構造になっていることから、座談の場を反映している可能性など説話集の特徴にも話題が及んだ。また、大黒天像を川で拾うことも、川や海で仏像を披露仏教説話のパロディになっている可能性などが議論された。(文・久留島元氏)
※上記は、2026年8月23日(日)オンライン発表の要旨です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
タイトル:
くれぐれひとえに〈「堪忍大明神」〉を信仰すべし
-一枚刷を通した戯れによる神格化の展開-
-一枚刷を通した戯れによる神格化の展開-
発表者:羽鳥佑亮氏
要旨:
〈「堪忍大明神」〉は、心学をはじめとする教訓を伝えるため、その平易な教化のために用いられた題材である。〈「堪忍大明神」〉が広く展開し、教化に用いられた一枚刷として題材とされった際には、護符としての扱いまでうけていた。
そこで、なぜこの紙片が護符としての扱いをなされたのかを解明するため、〈「堪忍大明神」〉護符を含む、教化に用いられた一枚刷と、実際の護符とを、やや総論的ながら比較した。すると、いずれも神仏の霊威を期待することのある点、篤志家により作成や頒布がなされた点、誰かに向けた命令や伝言を記す点などにおいて両者は共通であった。ここから、殊に、〈「堪忍大明神」〉のような徳行の神格化であり、かつやや説明を要するものであれば、これらの要件にあてはまるために、護符とされたことが推測された。周辺の文献やこの性質からみて、〈「堪忍大明神」〉護符は、いわゆる「火用心」札のようなものとされたらしい。
〈「堪忍大明神」〉はまた、神号軸も描かれていた。これらは教訓を伝える文献に挿絵として描かれることが多いが、実際に作成されたものも現存する。どうやら、徳の高いとされた人物に揮毫を依頼されたらしい。そして、これに対する扱いから、〈「堪忍大明神」〉神号軸は、〈「堪忍大明神」〉護符を拡大したものであり、いずれも、礼拝されていたことが確認された。
質疑応答では、現在における貼紙の、諧謔を帯びたものとの関わりや、また、当時の文献の確認などが行われた。いずれも、教化に関わる一枚刷と関わることであり、今後の課題としたい。(文・羽鳥佑亮氏)
※上記は、2026年7月31日(土)オンライン発表の要旨です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
第167回開催のご案内
日時:7月31日(金)18:00開始
会場:オンライン(Microsoft Teams)
タイトル:
くれぐれひとえに〈「堪忍大明神」〉を信仰すべし
-一枚刷を通した戯れによる神格化の展開-
日時:7月31日(金)18:00開始
会場:オンライン(Microsoft Teams)
タイトル:
くれぐれひとえに〈「堪忍大明神」〉を信仰すべし
-一枚刷を通した戯れによる神格化の展開-
発表者:羽鳥佑亮氏
要旨:
江戸時代後期頃からみられる戯れの神をみていくと、そのひとつに、「堪忍大明神」と号すものがある。「堪忍」という徳行を神格化したものとして、心学の影響がみられるものや、教訓を伝えるものを主としてあらわれる。
要旨:
江戸時代後期頃からみられる戯れの神をみていくと、そのひとつに、「堪忍大明神」と号すものがある。「堪忍」という徳行を神格化したものとして、心学の影響がみられるものや、教訓を伝えるものを主としてあらわれる。
こうした類例は他にも、「家業如来」、「朝起大菩薩」、「年德大善神」など散見される。しかし、「堪忍大明神」は他の徳行を神格化したものとは異なり、護符や、神号の掛軸も作成されるなど、殊に展開したあとがみられる。
本発表では、当該の名称をもつものを〈「堪忍大明神」〉とし、かの神の来歴をたどりつつ、実際の護符との比較や、当時の俚諺、現存する物品の写真などを確認し、後に信仰されるまでとなる特徴の一端を垣間みる。
※来聴歓迎!
初めて参加する方はX(舊Twitter)
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タイトル:
津軽地方怪異怪談収集小史
津軽地方怪異怪談収集小史
発表者: 伊藤慎吾
要旨:
要旨:
津軽地方には、エンツコ(イジコ)やカワオナゴ、 カワウバなどあまり他の地方では聞かない妖怪が少なくない。 また鬼の伝承は人間との関係が良好で祀られるところもある。 そうした妖怪資料の収集は寺西政洋氏らの『日本怪異妖怪事典 東北篇』(2022年)でおよその達成をみた。
また怪談としては、戦後、児童文学者北彰介らの「 青森の怪談を採集する会」や詩人蘭繁之らの「お化けを守る会」 が発足し、現在は実話怪談作家集団「弘前乃怪」 のライブや執筆活動が行われるという、 怪談活動が古くから盛んな土地である。
今回はそうした津軽地方の怪異・怪談の流れを示し、 たとえば戦前の郷土史家中村良之進編『陸奥史料』 記載の怪異譚の重要性や工藤達『津軽木造神田下部落の昔話コ集』 (1975年)収録話の特異性、 カワオナゴのことなどの個別の問題点を指摘した。
(文・伊藤慎吾)
(文・伊藤慎吾)
日時:6月27日(土)15時-17時
会場:オンライン(Microsoft Teams)
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、 必ず発表者名を明記してください。
