以上、異類の会第54回例会(2015年6月13日・於大東文化大学)発表の要旨です。
会場:大東文化会館 K-403教室
http://www.daito.ac.jp/file/block_49513_01.pdf
伊藤慎吾
「異類合戦物をめぐる二、三の問題―事実譚・対人型・戯人名―」
要旨
異類同士の合戦をテーマにした物語を異類合戦物という。餅×酒、野菜×魚、獣同士、虫同士などがあり、もっと狭い範囲では淡水魚×海水魚、山の野菜×里の野菜、京の織物×関東の織物などの対立軸がある。こうした異類合戦の物語は中世後期から幕末明治期にかけて文芸世界でさまざまに展開していった。
こうした流れを俯瞰したとき、幾つか気になる問題がある。
第一に事実譚との関わりである。物語文芸のテーマとしての異類合戦物はお伽草子の時代に増えるが、蛙や蟻、雀の合戦は平安期から都鄙で実際に目撃され、伝聞記事として記録されてきた。こうした事実譚との関わりはどうなのか。
第二に人間との戦いを描く説話・物語の位置付けである。異類合戦物は異類同士を前提とするが、中には「清盛蜂合戦」のように人間と蜂の戦いを描いたものがある。一般に人間と異類との戦いというのは、人間が人間を襲う異類を〈退治〉するという異類退治物として捉えられる。ところが「清盛蜂合戦」のような物語は〈退治〉に主眼が置かれているのではなく、〈合戦〉が主であって、退治できたかどうかといった結末は重要ではない。このように人間が異類と戦いながらも退治をテーマとしない物語をどう捉えるべきか。
第三に名前の付け方と世界観の問題である。異類合戦物においては、少なくとも主要キャラクターには固有名詞が与えられる。魚のブリならば「鰤丹後守」、虫のホタルならば「蛍左衛門尉尻照」などである。これを擬人名という。ところが人間世界で人間に名付ける名前にこうした擬人名に類する名前を付ける作品が散見される。たとえば「小倉又兵衛忠酔」は酒の擬人名ではなく、ただの酒好きな人の名前である。こうした非現実的な人名を用いる作品と異類合戦物との関わりはどうなのか。
以上、3つの問題について考えていきたい。
今回は、古典文献資料と絵画資料の二点から、「ネコマタ」の描写の変遷を追った。
「ネコマタ」の初出である『明月記』の記述や有名な『徒然草』からは、「ネコマタ」の外見的特徴としての「二股に分かれた尻尾」というものは存在せず、犬のように大きな害獣という扱いをされていた。そして時代が下り、江戸時代初期頃になってきて、段々と「二股に分かれた尻尾」の記述が見られるようになり、「ネコマタ」という言葉の由来をその「二股に分かれた尻尾」とする記述もされるようになり、以降それが定説として扱われるようになった。
絵画資料においては少々異なり、江戸初期頃の本の挿絵に「二股に分かれた尻尾」を持つ猫の怪の絵が登場するが、それ以降も一本の尻尾しか持たない猫の怪や、そもそも尻尾の描写が省略されている(着物を着て、裾に隠れている)猫などが描かれており、定型化されていない。
「ネコマタ」という語の語源に関して、今回は二つの推測例を上げた。猫の古語的読みである「ネコマ」からの転化と、「猱」という字からの由来の二つの説である。
「二つに分かれた尻尾」の由来としては、御伽草子などで知られる「玉藻前物語」の古い記述を紹介した。今でこそ一般においては「九尾の狐」と認識されている玉藻前だが、中国からの「九尾狐」伝来以前は、「二本の尾を持つ狐」と記述されていた。この設定が、後に猫の怪である「ネコマタ」に派生したのではないか、という推測である。
今回の発表は確たる証拠に乏しい点が多く、今後のより精密な調査を必要とするものだが、少なくとも「ネコマタ」の最大の特徴であるとされる「二つに分かれた尻尾」が後世に何らかの要因によって後付けされたものである、という事は結論として言えるのではないかと思う。(文・発表者 毛利恵太氏)
以上、異類の会第53回例会(2015年5月2日・於大東文化大学)発表の要旨です。
会場:大東文化会館 K-403教室
毛利恵太氏
「ネコマタと猫妖怪の尾の描写について」
要旨
猫の妖怪として、まず連想されるものがバケネコとネコマタであろうと思う。
「ネコマタ(猫又、猫股など)」とは、一般には「長い年月を経て、尻尾が二股に分かれた猫の妖怪」として知られている。現代においても「尻尾が二股になった猫の妖怪」というイメージは広く浸透しており、最近のキャラクター描写にもよく用いられる要素である。
しかし、「二股に分かれた尻尾」という外見的特徴から「ネコマタ」という名前が付けられた、とする説には疑問が残る。むしろ「ネコマタ」という名前から「二股の尻尾」という特徴が創作されたと見るのが流れとしては正しいのではないだろうか。
今回は古典文献や絵画資料などから、ネコマタとその尻尾についてどのようなイメージがあったか、それぞれの描写の変遷を辿って行きたい。
まず明治期はその初期において江戸時代の文芸ジャンルが生き残っていたが、異類合戦物は新たな題材・表現を用いながらもその枠内で新作が作られていた。草双紙『雑具魚鳥山海餅酒読切大合戦』(明治10年刊)、落語「遣繰軍記」(明治32年口演)、一万斎芳政画「道戯大合戦」をはじめ、ジャンルは多岐に亘る。また口承文芸の早物語の受容も看過できないだろう。
その後、江戸文化を否定する傾向に伴い、各ジャンルの異類合戦物も衰退する。
また児童文学が発達する中、昔話や西洋の翻案の寓話、創作などの子ども絵本が多く作られるようになる。異類物自体はこのように新たに開拓されていくが、しかし合戦をテーマとした作品は求められなくなる。
児童向け読み物も発達するが、そこでは博物的、科学的関心を深めるという啓蒙志向が顕著に出て来るようになった点に新たな異類物の意義があるが、やはり合戦はテーマにされなかった。
このように異類合戦物は明治期に入り、衰退の一途をたどるが、SF文芸の中に異類の要素は受け継がれることになった。これは直接影響関係があるということではなく、世界観やキャラクターの設定に類似点があるという程度だったと思われる。
その一方で、漫画やアニメーションといった子ども向けの新たなメディアの誕生は、異類合戦物を再起させることになった。
アニメでいえば、猿軍vs白熊軍の戦いを描いた「お猿の三吉 突撃隊」(昭和9年)や日本の昔話のキャラクターたちvs侵攻するミッキーマウスたちを描いた「オモチャ箱 第三話 絵本」(昭和11年)など、近代以前の異類合戦物同様に単純なストーリーや世界の設定によるものが典型的な作例である。
戦後はテレビや映画というメディアの普及、漫画やゲームの増加といった大衆娯楽産業の拡大の中、異類合戦物は生み出されていった。もちろん、双六のようなボードゲームでは〈合戦〉に類する〈競争〉が戦前から扱われてきて今日に続く(「むしのうんどうかい」など)。
現代は擬人物が特殊に流行しており、従来の傾向と異なる娯楽産業と密接に関わりながら作品が生み出されている。
すなわち従来は異類は外見も異類(蜂なら蜂の姿のまま、もしくはそれに近い形態)であった。今日も児童文化の枠内では主にその形態を踏襲するが、サブカルチャーの領域では美少女化・イケメン化する傾向が強い。
そして合戦物は戦略SLGとして発達している。
その一方でトレーディングカードゲーム、さらにカードバトルRPGの流行に伴い、多種多様な異類(主にモンスター)の合戦物が生み出されている。
以上のように、近代以降の異類合戦物は、児童文化から派生した娯楽文化において数々の作品を生み出していった。
その一方で、合戦というテーマはゲームに適したものであることから、コンピュータゲームやカードゲームの発達により、多種多様な世界観・キャラクターが現れるようになった。(文・発表者 伊藤慎吾)
以上、異類の会第52回例会(2015年4月4日・於大東文化大学)発表の要旨です。
