擬人化に対する個人的な見解を提示した上で、『隠れ里』における擬人化について考察した。
1.擬人化とは、「異類の世界を人間の常識に落とし込む行為」である。異類を単純に人になぞらえるだけでなく、人の世界に属する動物などにも「擬人化」する。
2.擬人化はテキストと絵画の両側からのアプローチを必要とする。
3.テキスト上で問題となるのは、異類の意識である。本来とるべきでない人間的な行動をとる場合、動物などに限らず、神仏もまた擬人化されたと言えるのではないか。
4.擬人化された図像として問題となるのは、異類とも人間ともつかない姿。これは時代とともに人間の姿に近づいてくる。
5.擬人化される動物とされない動物がいる。
以上の点をふまえて『隠れ里』の異類を見た結果、
動物には鼠に代表される人間くさい行動をとるものと、馬のように擬人化された動物に使役される動物がいる。擬人化される動物たちは人間と一定の距離をもち、その距離感が擬人化されない動物との境界線を形成しているのではないか。
動物の図像を見比べると、鳥獣と比べて、魚介類は一段人間に近い姿に描かれている。これは人間が魚介類を鳥獣よりも生物として距離があると考えていたからではないか。
神仏について、福神が神話的背景から切り離されたキャラクターとしての神だと考えると、福神の喧嘩というモチーフは、福神のキャラクター化が進んで俗化され、神という聖性をはぎ取られて人間のレベルにまで落とされた擬人化ではないのか。
以上の仮説を得た。
このほか、個々の動物のイメージや、『隠れ里』に見られるパロディへの意識についてもふれた。
以上、発表者塩川和宏氏による第8回例会発表要旨でした。
第8回例会案内です。
日時 5月14日(金曜日) 午後6時
場所 国学院大学
※会場となる教室は3410号室です。
3号館4階にあります。
待ち合わせ場所は次の通りです。
学術メディアセンター(図書館が入っている建物)
1階ラウンジ
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
塩川和宏
『隠れ里』に見る擬人化とパロディ構造
『隠れ里』は近世ごく初期に成立したと見られるお伽草子で、様々な動物や神仏が入り乱れる異類物である。
本発表では、『隠れ里』における動物と神仏の擬人化を通して、当時の人々の擬人表現への意識を探る。また、それを手がかりに、『隠れ里』におけるパロディの特徴について考える。
擬人化と神格化の境界について 付、『青物づくしやんれいぶし』
擬人化と神格化との概念上の関係性について考察した。
1)擬人化という表現方法は、本来、自然物や自然現象を神格化する自然崇拝を起源の1つとするものではなかったか。
1.1)ついで抽象的な概念にもまた神を観念するようになったか(厄病神やヒダル神)。怪異から妖怪が生まれる(小松和彦説)ように。
2)それと並行して自然物に霊魂が宿ると考えるアニミズムの信仰も擬人化の起源になっているのではないか。付喪神の創造は宿るところの器物が母体となったキャラクター造形がなされている。器物に人間の目鼻や手足を表しており、宿った霊魂が人間に類似するものとしてイメージされているのである。
3)とはいえ、上記の神や精霊、妖怪の類は実在性を伴う存在である。それに対して異類の擬人化は当初から実在しないもの、想像上、寓話上のキャラクターとみなされる。
3.1)両者は明確な区分ができるものではないが、本来、信仰基盤をもって表現されてきた自然物や自然現象、概念等から信仰基盤をもたない文脈で創造されるようになったとき神格化が擬人化になったのではないか。
このあと、幕末に刊行された『青物づくいやんれいぶし』を翻刻紹介した。
以上、発表者伊藤慎吾自身による要旨。
次回は5月14日(金)、国学院大学で開催します。
詳細は近日中にお知らせします。
第7回例会案内です。
日時 4月23日 6:00
場所 国学院大学
※会場となる教室(?)は未定です。
待ち合わせ場所は次の通りです。
学術メディアセンター(図書館が入っている建物)
1階ラウンジ
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
伊藤慎吾
擬人化と神格化の境界について 付、『青物づくしやんれいぶし』紹介
人間以外のものを人間に擬えて表現する擬人化と万物に神を観じて人間の姿を見出す神格化は、どのように区別すべきか、また共通するものはなにか、考えてみたい。
これとは別に発表者が新収した『新版青物づくしやんれいぶし』を翻刻紹介する。
古典文学に見られる鰐(ワニ)に関して、従来行われてきた様にその対象を必ずしもサメなどの現実に存在する生物に求めずに、認識の問題として捉え直した。
まず、上代の資料からは、ワニが基本的には海に棲息し、時に川を遡ることもできる神格的な魚類として認識されていたことが窺えた。続いて、中古・中世の資料からも、上代に於けるワニの認識を継承した海中の魚類としての鰐(ワニ)の認識が確認できた。ただし、仏典由来の「月の鼠」説話に於いては、「穴」や「岸」の下に出現する、漢籍に見られる鰐と性質が近しい鰐(ワニ)の認識も確認できる。
また、他の動物に対する認識との連関に着目すると、鰐(ワニ)はまず大魚としてシャチホコやクジラなどと連関する。また、獰猛な動物として虎とは対偶性を持つ存在として捉えられていた。更に、『日本書紀』の解釈から鰐(ワニ)は龍や豊玉姫とも連関する存在としても捉えられていた。
以上、実に様々な「鰐(ワニ)」の在り方が見て取れた。この問題は、上代に於いて何らかの現実の海棲生物を指していた「ワニ」という和語に対し、本来日本列島に生息しない筈の「鰐」字が当てられたことに端を発している。そして、在来のワニに対する認識と、漢籍・仏典に於ける「鰐」の知識に関して「鰐(ワニ)」という単一の存在として整合性を求めた結果、鰐(ワニ)は或種の空想的存在と化した。こうした経緯が、鰐(ワニ)の認識の多様さの要因として考えられるのではないか。
以上、発表者杉山和也氏による要旨でした。
さて、4月の例会予定については追ってご案内します。