一方、キャラクターの造形方法として、一貫して鳥獣は頭部異類型、貝は異類着装型をしている。人間が彼ら動物たちと共存する世界観のもと、これら擬人化キャラクターは存在しているわけで、このことはリアリティよりも寓話性を志向した作品であることを示すのであろう。
またキャラクター造形の在り方から、さらに江戸前期に作られた諸作品にも視野を広げ、擬人化の造形が当時の標準的なものであることを確認し、その上で、タイやコンブ、また小雀が擬人化されていない点に注目した。鳥、魚、海藻は本来擬人化されてしかるべき対象だったからである。それがなされていないのは、すなわちタイ、コンブが食料であり、また祝儀品であること、小雀もまた食料であり、また獲物であることに要因があるだろうと考える。言い換えればキャラクターではなく、モノであったわけだ。
以上、発表者伊藤慎吾による要旨でした。
なお、本発表内容は鈴木健一編『鳥獣虫魚の文学史』第2巻(三弥井書店・近刊)に掲載予定です。
こちらもよろしくお願いします。
次回、6月例会は今月17日の予定です。
第20回例会のご案内です。
日時 5月13日(金曜日) 18時30分
場所 国学院大学
※待ち合わせ場所は次の通りです。
学術メディアセンター(図書館が入っている建物)
1階ラウンジ
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
伊藤慎吾
『勧学院物語』再論
スズメを頂点とする特異な世界観をもつ江戸前期の短編物語『勧学院物語』について論じる。
こうしたヌエの認識の転換には、フクロウなどの「夜に鳴く鳥」が、上代から中古にかけて漢籍の影響を受けて、その認識が転換していることが関わっている可能性がある。
また、平安時代中期以降の貴族社会における陰陽師たちの活動にも注意する必要がある。ヌエが出現すると陰陽師による占いが行われ、人々は凶事を恐れて物忌みした。当時の陰陽師達が怪異の占断の指標としていた陰陽道書の検討を今後の課題としたい。
以上、発表者杉山和也氏による要旨でした。
『勧学院物語』は『雀の草子』という別題をもつ江戸前期の短編物語である。
物語の前半は勧学院の破風から落ちた小雀をめぐる烏と蛇の争論。親雀が割り込んで小雀救済。と思いきや、猫が闖入し、親雀と争論。その勝利。スズメ、カラス、ヘビ、ネコという人里に近しい動物を主要キャラクターとして登場させて繰り広げられる言葉争いの物語となっている。
後半は小雀救出の祝いの座。歌会。そして出家という展開をみせる。
本発表ではいくつかの問題点を示した。
1 鳥の社会の秩序
雀を頂点とする鳥社会。これは雀が皇胤であることに由来する。それゆえに鳥たちに官位を授け、また繧繝縁の畳の上に座す。
2 命名
異類物ではキャラクターの名前が重要な役割を果たしている。名は体をあらわすとは異類物のキャラクターに相応しい諺である。読み手はその名前自体を興味の対象としている。一言で言うと、俳諧味を楽しんでいるということだろう。本作品においてもその点かわらない。しかし特徴的なのは、本作品では主要キャラクター―の名前の由来を明記している点である。
3 擬人化表現の型
鳥たちは頭部異類型に該当する。すなわち、頭だけが鳥であって、首から下はまったくの人間なのである。
一方、貝の仲間は首から上が異類なのではない。頭まで人間である。ところが頂に貝を被っている。まるで帽子のように。これをもって貝を擬人化したものと看做しているわけである。これを異類着装型と呼んでおきたい。貝の仲間はみなこの型で表現され、鳥の仲間はそれではなく、頭部異類型で表現されているわけだ。属するところが違うと、型も違ってくる点が興味深い。
4 擬人化と原型の違い
擬人化表現で描かれるキャラクターは親雀をはじめとして、登場するほとんどすべてといってよい。ほとんどというのは、例外があるからである。一つが小雀であり、もう一つがタイである。これは食料であること、子どもであることに要因がありそうである。
5 ポーズの流用と錯誤
ヒバリとセキレイが混用されている。キャラクター造形にあたって誤用したということか。
以上、3月31日、新宿の喫茶店で行われた第18回例会の報告です。
発表者は伊藤慎吾。
さて、次回は4月15日です。
追って掲示します。
