異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:
少年少女の日の思い出:
偶然記録されたフォークロア
少年少女の日の思い出:
偶然記録されたフォークロア
発表者:永島大輝氏
要旨:
柳田国男は偶然記録という言葉を用いた。「記録には必ず計画がある。之を他の目的に利用すれば乃ち我々のいふ偶然記録となるのである。(柳田国男『民間伝承論』第三書館1986)」とのことで例えば、聞き書き調査などで民俗学の研究のために集められたデータではなく、別の目的で集められたデータを研究のために使うということだ。柳田は問題点として「杜撰多く、固有名詞の間違い、計数の不精確、内容の誇張等のあることは、普通に我々の経験するところである。是を直ちに資料として採用することの危険は甚だ多いのである。」と述べている。しかし偶然記録にはかなり魅力的なものがある。今回はいくつかのエッセイから拾った。例えば、中勘助『銀の匙』の「異国の切支丹が日本人を殺してしまおうと思って悪い狐を流してよこしたからコロリがはやつたので、一コロリ三コロリと二遍もあつた。」などは、『静岡県史』にある、流行病の原因ともいわれた千年もぐらやアメリカ狐と呼ばれる異類と似ている。
また、河童の見世物の事例は、かつてはよく見世物としてあったものだ。
さらに「ぽっぽどりは悪い鳥でひと声に蚊を千匹つ吐くげな。あすは蚊がえらいぞよ」という話がある。 ヤマバトかキジバトの鳴き声を聞いて、ぽっぽどりといっているのを発表者は聞いたことがあるが、蚊を吐くという鳥の話は類例が管見では口承の中に見つかっていない。偶然『和漢三才図会』に蚊を吐く記述がある鳥がいたのを見つけた。蚊母鳥(ぶんもちょう)というのがそれだが、探せばこうした鳥の話はあるのかもしれない。
このように類例で補強すれば、ある程度研究にも耐えうるものになろう。
変遷が分かる可能性もある。たとえば、失せ物を探す習俗として「いろりのカキツルサマ(鍋などを吊るす自在鍵のこと)に半紙などを切って巻き付け、見つかりますようにと拝むと見つかる。」というものを聞いたことがある。ものを無くしたときに自在鍵に何かをしばる俗信は各地に見られるものであるが、これに関連するかもしれない例に、さくらももこ『ちびまる子ちゃん』4(集英社 1989)にハサミに糸を巻き付けて失せ物を探すまじないがある。また、「なくしたものを心に思いながらハサミの刃に輪ゴムをグルグル巻き付けて机の上に置いておく」というのを学研の本から知ったというエッセイ(「学研のおまじない」近藤聡乃『近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話』ナナロク社 2012)など少し似た例も見つかる。こうした事例を集め研究に生かしていきたい。
一方で、個人的な悪夢など類例を探せないものの、興味深い体験が『銀の匙』には出る。質疑応答では夢の内容など類型化しにくい個人的な体験をいかに研究の訴状に上げられるかなどの議論がなされた。また、SNSなどで偶然記録がたくさんあふれる時代であり、それを無視することはこれからの研究者はできないであろうことも参加者の意見の一致するところであったように思う。
追記
発表者は今回の内容を異類の会参加者の式水下流の発行する同人誌(「ましらだま」という名前らしい)に投稿する予定である。(文・永島大輝氏)
※これは11月29日(日)にオンライン開催された第103回の報告です。
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タイトル:『徒然草』第50段の解釈の変遷と絵画化について
ー鬼の風聞と流行り病ー
発表者:池上保之氏
『徒然草』第50段は、応長(1311~1312)の頃、伊勢の国から女の鬼がやって来るという噂が京中に広がり、人々が翻弄されたという話である。人々はあちらこちらへと走り回ったが、結局、鬼を見たというものはいなかった。しまいには、闘乱騒ぎとなり、あきれるような有様であった。後にこの鬼のデマは、当時、流行った病の予兆だったという人もいたと言う。
この風聞騒ぎについては、史料が存在しないため、これ以上のことは分からない。ただ、流行り病については『園太暦』延慶四年三月八日条などの記事から、実際にあったことが確認できる。この流行病のために延慶から応長へと改元されている。『徒然草』では「応長の比」とあるが、実際に出来事があったのは延慶のこととなる。「応長」という年号は1年足らずでまた改元されるため、不安定な時世であったことを想起させたと考えられる。
本発表では、この章段について、近世から現代までの解釈を通覧した。また、絵画資料についても検討を行った。
近世初期においては、林羅山『野槌』などで、為政者の行いを戒める章段だとされた。松永貞徳『なぐさみ草』では、聖代には麒麟鳳凰などが現れるが、このような奇怪な噂のたつ時は凶年であったとするなど、政治の乱れた時代であったとする。このような解釈が現れる理由として、儒学者などの共通認識があったと考えられる。奇怪な出来事がおこるのは、君に徳がないことのしるしであるとする考えは、『捜神記』などの漢籍にも見える考え方である。
その後、少し時代が下ると、個人の気の迷いを戒める章段と捉えられるようになる。北村季吟『徒然草文段抄』では、虚説に惑わされないための戒めとして兼好が記した章段だとする。
近代に入り、特に教訓的な意味合いは見なくなるが、生き生きとした描写が評価される。また、沼波瓊音『徒然草講和』では、ニコライ2世来日の際、西郷隆盛が同行するという風聞が日本中に起こったことを引き合いに出す。注釈とは言い難いが、非常に面白い評論である。
現代では、『園太暦』などの資料を合わせて、解釈が行われる。安良岡康作『徒然草全注釈』では、「鬼」「田楽」「流行り病」を一体のもの捉えることができるとする。この点については岩崎雅彦「猿楽の説話と鬼」にも指摘がある。本発表では深く追究できなかったので、今後の課題としたい。
絵画資料においては、『なぐさみ草』において、黒雲に載った鬼が空に構えており、下界では人々がと闘乱している、という象徴的な挿絵が描かれている。この図像は、多くの奈良絵本『徒然草』で描かれることになる。ただ、他の版本の挿絵には採用されることはなかった。この黒雲の描写は、『北野天神縁起絵巻』の鬼や、『伊勢物語』第6段(芥川)の描写などが参考にされているかもしれない。
本発表は注釈書や絵画資料を通時的に辿ることが中心となった。質疑等で賜わったご意見をもとに、今後、内容の検討を深めていきたい。(文・池上保之氏)
※本発表は10月11日、Zoomによって開催されました。
ー鬼の風聞と流行り病ー
発表者:池上保之氏
『徒然草』第50段は、応長(1311~1312)の頃、伊勢の国から女の鬼がやって来るという噂が京中に広がり、人々が翻弄されたという話である。人々はあちらこちらへと走り回ったが、結局、鬼を見たというものはいなかった。しまいには、闘乱騒ぎとなり、あきれるような有様であった。後にこの鬼のデマは、当時、流行った病の予兆だったという人もいたと言う。
この風聞騒ぎについては、史料が存在しないため、これ以上のことは分からない。ただ、流行り病については『園太暦』延慶四年三月八日条などの記事から、実際にあったことが確認できる。この流行病のために延慶から応長へと改元されている。『徒然草』では「応長の比」とあるが、実際に出来事があったのは延慶のこととなる。「応長」という年号は1年足らずでまた改元されるため、不安定な時世であったことを想起させたと考えられる。
本発表では、この章段について、近世から現代までの解釈を通覧した。また、絵画資料についても検討を行った。
近世初期においては、林羅山『野槌』などで、為政者の行いを戒める章段だとされた。松永貞徳『なぐさみ草』では、聖代には麒麟鳳凰などが現れるが、このような奇怪な噂のたつ時は凶年であったとするなど、政治の乱れた時代であったとする。このような解釈が現れる理由として、儒学者などの共通認識があったと考えられる。奇怪な出来事がおこるのは、君に徳がないことのしるしであるとする考えは、『捜神記』などの漢籍にも見える考え方である。
その後、少し時代が下ると、個人の気の迷いを戒める章段と捉えられるようになる。北村季吟『徒然草文段抄』では、虚説に惑わされないための戒めとして兼好が記した章段だとする。
近代に入り、特に教訓的な意味合いは見なくなるが、生き生きとした描写が評価される。また、沼波瓊音『徒然草講和』では、ニコライ2世来日の際、西郷隆盛が同行するという風聞が日本中に起こったことを引き合いに出す。注釈とは言い難いが、非常に面白い評論である。
現代では、『園太暦』などの資料を合わせて、解釈が行われる。安良岡康作『徒然草全注釈』では、「鬼」「田楽」「流行り病」を一体のもの捉えることができるとする。この点については岩崎雅彦「猿楽の説話と鬼」にも指摘がある。本発表では深く追究できなかったので、今後の課題としたい。
絵画資料においては、『なぐさみ草』において、黒雲に載った鬼が空に構えており、下界では人々がと闘乱している、という象徴的な挿絵が描かれている。この図像は、多くの奈良絵本『徒然草』で描かれることになる。ただ、他の版本の挿絵には採用されることはなかった。この黒雲の描写は、『北野天神縁起絵巻』の鬼や、『伊勢物語』第6段(芥川)の描写などが参考にされているかもしれない。
本発表は注釈書や絵画資料を通時的に辿ることが中心となった。質疑等で賜わったご意見をもとに、今後、内容の検討を深めていきたい。(文・池上保之氏)
※本発表は10月11日、Zoomによって開催されました。
タイトル:謡曲仕立ての精進魚類合戦―『魚類扣』の紹介―
発表者:伊藤慎吾
要旨:
異類合戦物の主要な対立軸に〈魚類×精進物〉がある。これは中世後期から行われてきたもので、『精進魚類物語』はその嚆矢として名高い。その後、近世から近代にかけて、このテーマは草双紙や講釈、歌謡、浮世絵などに展開していった。パフォーマンスとしては〈読み〉や〈語り〉にとどまるものと思われたが、最近、謡曲としての創作も行われていたことが新出の写本『魚類扣』から確認できた。
なお、詳細は『日本文化研究(國學院大學栃木短期大学)』最新号(21年3月刊行予定)に掲載する予定である。
※本発表は2020年9月13日、Zoomによって開催されました。
発表者:伊藤慎吾
要旨:
異類合戦物の主要な対立軸に〈魚類×精進物〉がある。これは中世後期から行われてきたもので、『精進魚類物語』はその嚆矢として名高い。その後、近世から近代にかけて、このテーマは草双紙や講釈、歌謡、浮世絵などに展開していった。パフォーマンスとしては〈読み〉や〈語り〉にとどまるものと思われたが、最近、謡曲としての創作も行われていたことが新出の写本『魚類扣』から確認できた。
本作品は謡曲形式ということもさることながら、登場キャラタクーには、ナマコの次郎やハララゴの太郎など、古く『精進魚類物語』の流れを汲むもの擬人名が見られる。そして最も近似する作品は「うおがせん幷しやうじんもの」である。本作品は寛文8年(1668)に刊行された『軍舞(いくさまい)』所収の一編で、本文が謡曲仕立てになっている点に大きな特色がある。『魚類扣』はストーリーの結末が異なり、本文や登場キャラクターにも異同が多いが、異本関係にあるということができる。『精進魚類物語』との距離は、両作品それぞれに相対的な親疎が認めれられることから、共通祖本から一方では絵入版本『うおがせん幷しやうじんもの』として刊行され、一方では『魚類扣』として書写されたのではないかと考えられる。
なお、詳細は『日本文化研究(國學院大學栃木短期大学)』最新号(21年3月刊行予定)に掲載する予定である。
※本発表は2020年9月13日、Zoomによって開催されました。
タイトル:天狗尽くしの系譜
発表者:久留島元氏
要旨:
従来、『天狗経』に見られる天狗尽くしは、修験者の山入りにおける除災の修法という機能から呪的側面が注目される。『花月』『鞍馬天狗』などにあらわれる天狗尽くしにもこうした天狗祭文が影響を与えたと考えられる一方で、『梁塵秘抄』以来の伝統的趣向として物尽くしという文芸的性格も切り離せない。
本報告では、お伽草子や古浄瑠璃正本、絵本などに近世初期に集中して見える天狗尽くしの事例を紹介した。ここでは言葉遊びにもとづく名前なども多く、閉鎖的な秘法の類というより俗文芸と密接に関わるものであることを指摘した。
また、中世末に成立した『月庵酔醒記』にも天狗名や霊山を列挙する祭文が収載されている。『月庵酔醒記』研究では、天台宗系の山渡り祭文にも同様のものがあることをふまえ、中世に溯る除災の天狗祭文が中下層の宗教者によって担われ、謡曲にも取り込まれたこと、記録されたものとしては最も古い例であることが指摘される。首肯すべき見通しであるが、本報告では祭文の呪的側面だけでなく、物尽くし、言葉遊びの文芸的、娯楽的側面に注目し、修験だけでなく俗文芸のなかで天狗イメージが形成されてきたことを述べた。
質疑応答では、近世仏教における魔・天狗と信仰の問題、天狗物の謡曲が作られた年代と背景についての質問、謡曲や歌謡など芸能における物尽くしと、祭文や起請文における神さま尽くしを同列に考えて良いのかという問題などが指摘された。また、「いざなぎ流」の山渡り祭文や、上今道念節の詞章にも「天狗揃」「天狗尽くし」があるという指摘があり、趣向がもつ広がりが改めて明らかにされた。(文・久留島元氏)
※当発表は6月27日オンライン開催の第100回の例会で口頭発表したものです。
※上記文章を直接的、間接的に使用する際は、必ず発表者の説であることを明記してください。
※次回は9月13日(日)午後2時オンライン開催の予定です。
よろしくお願いします。
発表者:久留島元氏
要旨:
従来、『天狗経』に見られる天狗尽くしは、修験者の山入りにおける除災の修法という機能から呪的側面が注目される。『花月』『鞍馬天狗』などにあらわれる天狗尽くしにもこうした天狗祭文が影響を与えたと考えられる一方で、『梁塵秘抄』以来の伝統的趣向として物尽くしという文芸的性格も切り離せない。
本報告では、お伽草子や古浄瑠璃正本、絵本などに近世初期に集中して見える天狗尽くしの事例を紹介した。ここでは言葉遊びにもとづく名前なども多く、閉鎖的な秘法の類というより俗文芸と密接に関わるものであることを指摘した。
また、中世末に成立した『月庵酔醒記』にも天狗名や霊山を列挙する祭文が収載されている。『月庵酔醒記』研究では、天台宗系の山渡り祭文にも同様のものがあることをふまえ、中世に溯る除災の天狗祭文が中下層の宗教者によって担われ、謡曲にも取り込まれたこと、記録されたものとしては最も古い例であることが指摘される。首肯すべき見通しであるが、本報告では祭文の呪的側面だけでなく、物尽くし、言葉遊びの文芸的、娯楽的側面に注目し、修験だけでなく俗文芸のなかで天狗イメージが形成されてきたことを述べた。
質疑応答では、近世仏教における魔・天狗と信仰の問題、天狗物の謡曲が作られた年代と背景についての質問、謡曲や歌謡など芸能における物尽くしと、祭文や起請文における神さま尽くしを同列に考えて良いのかという問題などが指摘された。また、「いざなぎ流」の山渡り祭文や、上今道念節の詞章にも「天狗揃」「天狗尽くし」があるという指摘があり、趣向がもつ広がりが改めて明らかにされた。(文・久留島元氏)
※当発表は6月27日オンライン開催の第100回の例会で口頭発表したものです。
※上記文章を直接的、間接的に使用する際は、必ず発表者の説であることを明記してください。
※次回は9月13日(日)午後2時オンライン開催の予定です。
よろしくお願いします。