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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
お伽草子の物の〈精〉について

発表者:伊藤慎吾

要旨:
室町時代から近世前期にかけられて作られた短編物語草子の一群であるお伽草子には、人間以外のキャラクター(=異類)が夥しく登場する。
中でも、人間不在で異類ばかりで成立している物語世界も少なくない。
キャラクターとしての異類は、神の化身として登場することもあれば、妖怪として登場することもある。
ところが、『花情物語』や『花の縁(姫百合)』などに出てくる異類は、神でもなければ妖怪でもない。
そうした異類たちが物語世界に増殖した時代がお伽草子の時代であったといえるだろう。
本発表ではこうした有象無象の物の〈精〉の性格や与えられたイメージを通して、この時代の擬人化の特色を考えた。

まず、神としての異類/妖怪としての異類/神・妖怪以外の異類を示した上で、神仏の力によって(他力)、あるいは年経た結果(自力)、生物としての異類が人間的な外見を獲得するもののほか、先天的に無条件で人間の姿で描かれる物の〈精〉やそれに類するものがいること、ついでそれらには対人的な干渉が限定的であることを確認した。
人間関係ということでいえば、物の〈精〉は人間の文化に対する知識が豊富でありながら、付かず離れずの距離を保つものとして描かれている。

本発表では神や妖怪として捉えられない異類を物の〈精〉やそれに類するものとして把握しようとしたものである。
そうすることで、人間や人間社会に干渉する神や妖怪としての異類ではなく、人間に等しい存在としての異類がお伽草子の時代に発達していった結果、擬人物が成長したことを見たかったからである。
今回は取り上げなかったが、謡曲に見られる物の〈精〉も人間として具現化する。
お伽草子もまた物に宿った霊魂という観念を読み取ることができる
これがお伽草子の時代の擬人化キャラクターの特色だろうと考える

近世期に大いに発達した〈見立て〉の趣向が純粋に類推に着想した遊戯だとすれば、お伽草子のレトリック面ではすでに共通する発想があるが、しかし、キャラクター化された異類にはまだその趣向は物語文学の領域では開拓されていなかったようである。

※第111回は7月18日(日)16時、Zoomにて開催しました。
 次回は8月21日(土)15時、Zoom開催

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タイトル:日中における動物観の比較─お伽草子・『聊斎志異』を中心に―
発表者:穆雪梅氏

要旨:
 本発表では、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観について、お伽草子、『聊斎志異』を通して、考察を試みた。両者に描かれている動物の変身の作品、擬人化の作品及び、描かれて動物の住処である異郷の考察を通して、それぞれの特徴・相違点がみられる。日本においては、「アニミズム」精神が根底にあり、動物が人語を語るなど擬人化させ、人間と動物との関係は同等でありながら、人間は人間、動物は動物という両者の間には明確な境界があり、区別しようとする意識がみられる。『聊斎志異』においては、人間が動物より優れた存在や、人間が動物を支配するなどの一面がみられない。人間中心の精神がありながら、人間と動物との共生という従来の人間と動物との関係を大きく変え、動物を人間と区別する意識が希薄であろうと論じた。お伽草子と『聊斎志異』との比較を通して、日中伝統文化でのアニミズム精神、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観の相違がみられた。
質疑応答では、次の御指摘を頂いた。
 1、「擬人化」、「変身」の定義についてより明確にしたうえで、考察を深めていくべきであること。
 2、対象とした作品は、動物の登場する作品だけではなく、鬼、精、植物といった他の異類も研究対象にすべきであること。
 3、中国の東北地方、西南地方などの少数民族の文学作品も着目すべきであること。
 4、文献の参照、先行文献の引用について、より明確にすべきであること。
これらの御教示に従い、今後の課題にしたい。
 
 
※次回は5月30日(日)15時、寺西まさひろ氏によるリュウグウノツカイに関するご発表です。

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「お伽草子を中心とした鼠にみる擬人化の特徴」
発表者:中山恵那̪氏


鼠は、古くから日本人の生活に密接に関わってきた。
多産な事から目出度いものとされ、中世以降は大黒天と結び付けられた。一方、食害をもたらす存在でもあり、とりわけ都市が発展していく近世以降は、中世までのイメージを引き継ぎ、ペットとしての飼育の流行もあったものの、駆除対象にもされていた。
生活に身近な存在である鼠は、数多くの物語に取り上げられており、お伽草子でも鼠が登場する話が数点存在する。それらは擬人化されたものが多く、様々な形で描かれている。
鼠が擬人化で描かれる際には、人間の世界と鼠の住処において姿の使い分けがされている。更に、同族間でも場合によっては擬人化の程度に差を付けられる。
『鼠草子』や『弥兵衛鼠』では、より動物的な行動をとる場合に本来の姿、或いは本来の姿に近い姿で描かれている。また、色によって身分の上下、性別が描き分けられており、それは、吉祥の鼠か害獣の鼠かという違いのみならず、擬人化にも人間を描く際の細かい規範が用いられている事を示している。
物語中には、擬人化される動物とされない動物が存在する。人目につくものの生活の全貌が掴めない鼠は比較的擬人化の対象として選ばれ易かったと考えられるが、人間にとって道具や食料として使用される動物やそれらに似た形状の動物は擬人化されることが少なく、役割によって描かれ方が異なることが分かる。
これらの挿絵に描かれている擬人化の様子は、本文中に記述されていない情報が非常に多く、物語の世界観を説明する上で大きな効果を発揮している。(文・発表者)


先月の会の要旨をお送りします。
なお、次回は今月29日(土)14時から先月同様、武蔵大学で開催します。
詳細は近日中にお知らせします。

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申し子の本質的な親は神仏であり、そのため申し子たちはさまざまな異常性をもってこの世に生まれてくる。
しかし、お伽草子「一寸法師」では、申し子の異常性が両親から 「化物風情」という言葉で否定されている。
なぜこのような否定が生じるのか。鬼子として生まれる申し子が登場する「弁慶物語」を比較材料としながら 検討した。
また、お伽草子以降現代に至るまでの「一寸法師」テキストをとりあげ、一寸法師を授かった両親の思いがどのように変容しているのかを確認した。(文・発表者 佐伯和香子氏)


以上、異類の会第45回例会(2014年7月25日・於青山学院大学)発表の要旨です。

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 お伽草子『隠れ里』において、鼠の隠れ里という理想郷が木幡野に設定された。その背景としては、寛永年間の飢饉をはじめとする都の荒廃があり、当時の人々の理想郷を希求する動きに結びついた。その際、大黒信仰の広がりから致富への予兆とされ、また飢饉の際に強く意識されていた鼠への眼差しが、鼠の隠れ里を身近な場所に求めたのであろう。それが木幡に求められたのは、京周辺に存在すると考えられた鼠の隠れ里の口頭伝承、さらに木幡という地が持つ境界性が異界と結びついたと考えられる。さらにその理想郷描写には、特殊な四方四季ともいうべき表現も見られた。
 隠れ里の風景、特に宝物や食の問題など、『鼠の草子』、『をごぜ』、『酒飯論』などと関わり、論じるべき点は多く残されている。今後、さらに読みを深めていきたい。

(文・発表者塩川和広氏)

以上、第37回例会(5月21日・於青山学院大学)の発表要旨です。

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2009/09/15
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新宿ミュンヘンで誕生。

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