異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:はとや説話考
―なぜ鷹は鳩の名を持つのか―
発表者:大坪舞氏
要旨:
「はとや」(鳩屋・鳩也) という鷹が親のかたきである鷲を討つ説話の展開を追い、 それぞれなぜ「はとや」の名を持つとされるかを確認しながら、 背景にある鷹と鳩に対する解釈を探った。
はとや説話については鎌倉時代初期「石清水文書」において、 石清水八幡宮の宝物「鳩屋鈴」の由来として確認される、 鳩の名を持つ穏やかな印象の鷹が力で勝る鷲に知恵で以て仇討ちす るものである。「石清水文書」 でははとやの帰還を祈り天皇が奉納した鈴が、鎌倉時代後期の『 八幡愚童訓』 でははとや自身が仇討ちを祈念して奉納することとなり、 同時に八幡の霊験として鳩が登場する。
一方で、八幡発信以外の言説においても、名鷹の一つとして、 あるいは『新撰和歌六帖』「出羽なる」歌、 その解釈などではとやの鷹説話が広まっていく。 八幡の霊験を示す存在だった鳩は、『六花集注』『藻塩草』 にて仇討ちの協力者となり、室町後期の雑書『塵荊鈔』では、 協力した鳩と鷹が契る筋立てになる。
一見奇異に思われる鷹と鳩の婚姻譚が生じた背景として、『礼記』 以来日本でも七十二候の一つとして広く知られる「鷹化為鳩」 の解釈の変遷を取り上げた。『和漢朗詠集古注釈』 の中に鷹化為鳩の解釈に鷹と鳩との混血の鳥を挙げることを指摘し 、室町時代において「鷹化為鳩」が、その難解さゆえに、 鷹と鳩との婚姻が前提となる解釈が生じており、「はとや」 の名を聞き、鳩との混血の鷹を想起するものがおり、 同じく一条院の名鷹として語られる「みさご腹」 の鷹説話と併記されることにより、 鷹と鳩との混血の鷹とする異伝が生じるまでに至ったと考察した。
質疑応答では、『八幡愚童訓』と同時代成立の『 八幡宇佐宮御託宣集』 にある八幡の化身である鷹が鳩に変じる類話について検討するべき であると提起された。
また、異類婚姻譚とは本来、人間と異類との婚姻を意味し、 異類同士の契りについて適切な枠組みを考えるべきではないかとい う疑問が出された。その中で、S.
Thompson. Motif-index of folk-literatureではAnimal
Weddingと分類されることが紹介され、「婚姻譚」 が意味するところは制度的婚姻か、 あるいは単なる性交も婚姻譚に含めてよいか議論が交わされた。 また、鷹と鳩、 鷹と雎鳩を大きくは鳥類あるいは猛禽類に属している以上、「 異類婚」と呼べるほどの距離がないのでは、 という疑問が呈された。
発表者は本説話で鷹が鷹以外と契り混血になることにより、 鷹の中でも優れた存在となる点に注目しているが、 同類の事例の調査を進めていきたい。
この他、仇討ちの類話、 霊験譚の定義などについても議論が交わされた。
(文・大坪舞氏)
※これは2021年1月31日(日)にオンライン開催された第105回の報告です。
※次回は2月28日(日)15時にオンラインで開催します。
―なぜ鷹は鳩の名を持つのか―
発表者:大坪舞氏
要旨:
「はとや」(鳩屋・鳩也)
はとや説話については鎌倉時代初期「石清水文書」において、
一方で、八幡発信以外の言説においても、名鷹の一つとして、
一見奇異に思われる鷹と鳩の婚姻譚が生じた背景として、『礼記』
質疑応答では、『八幡愚童訓』と同時代成立の『
また、異類婚姻譚とは本来、人間と異類との婚姻を意味し、
Thompson. Motif-index of folk-literatureではAnimal
Weddingと分類されることが紹介され、「婚姻譚」
発表者は本説話で鷹が鷹以外と契り混血になることにより、
この他、仇討ちの類話、
(文・大坪舞氏)
※これは2021年1月31日(日)にオンライン開催された第105回の報告です。
※次回は2月28日(日)15時にオンラインで開催します。
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タイトル:天狗尽くしの系譜
発表者:久留島元氏
要旨:
従来、『天狗経』に見られる天狗尽くしは、修験者の山入りにおける除災の修法という機能から呪的側面が注目される。『花月』『鞍馬天狗』などにあらわれる天狗尽くしにもこうした天狗祭文が影響を与えたと考えられる一方で、『梁塵秘抄』以来の伝統的趣向として物尽くしという文芸的性格も切り離せない。
本報告では、お伽草子や古浄瑠璃正本、絵本などに近世初期に集中して見える天狗尽くしの事例を紹介した。ここでは言葉遊びにもとづく名前なども多く、閉鎖的な秘法の類というより俗文芸と密接に関わるものであることを指摘した。
また、中世末に成立した『月庵酔醒記』にも天狗名や霊山を列挙する祭文が収載されている。『月庵酔醒記』研究では、天台宗系の山渡り祭文にも同様のものがあることをふまえ、中世に溯る除災の天狗祭文が中下層の宗教者によって担われ、謡曲にも取り込まれたこと、記録されたものとしては最も古い例であることが指摘される。首肯すべき見通しであるが、本報告では祭文の呪的側面だけでなく、物尽くし、言葉遊びの文芸的、娯楽的側面に注目し、修験だけでなく俗文芸のなかで天狗イメージが形成されてきたことを述べた。
質疑応答では、近世仏教における魔・天狗と信仰の問題、天狗物の謡曲が作られた年代と背景についての質問、謡曲や歌謡など芸能における物尽くしと、祭文や起請文における神さま尽くしを同列に考えて良いのかという問題などが指摘された。また、「いざなぎ流」の山渡り祭文や、上今道念節の詞章にも「天狗揃」「天狗尽くし」があるという指摘があり、趣向がもつ広がりが改めて明らかにされた。(文・久留島元氏)
※当発表は6月27日オンライン開催の第100回の例会で口頭発表したものです。
※上記文章を直接的、間接的に使用する際は、必ず発表者の説であることを明記してください。
※次回は9月13日(日)午後2時オンライン開催の予定です。
よろしくお願いします。
発表者:久留島元氏
要旨:
従来、『天狗経』に見られる天狗尽くしは、修験者の山入りにおける除災の修法という機能から呪的側面が注目される。『花月』『鞍馬天狗』などにあらわれる天狗尽くしにもこうした天狗祭文が影響を与えたと考えられる一方で、『梁塵秘抄』以来の伝統的趣向として物尽くしという文芸的性格も切り離せない。
本報告では、お伽草子や古浄瑠璃正本、絵本などに近世初期に集中して見える天狗尽くしの事例を紹介した。ここでは言葉遊びにもとづく名前なども多く、閉鎖的な秘法の類というより俗文芸と密接に関わるものであることを指摘した。
また、中世末に成立した『月庵酔醒記』にも天狗名や霊山を列挙する祭文が収載されている。『月庵酔醒記』研究では、天台宗系の山渡り祭文にも同様のものがあることをふまえ、中世に溯る除災の天狗祭文が中下層の宗教者によって担われ、謡曲にも取り込まれたこと、記録されたものとしては最も古い例であることが指摘される。首肯すべき見通しであるが、本報告では祭文の呪的側面だけでなく、物尽くし、言葉遊びの文芸的、娯楽的側面に注目し、修験だけでなく俗文芸のなかで天狗イメージが形成されてきたことを述べた。
質疑応答では、近世仏教における魔・天狗と信仰の問題、天狗物の謡曲が作られた年代と背景についての質問、謡曲や歌謡など芸能における物尽くしと、祭文や起請文における神さま尽くしを同列に考えて良いのかという問題などが指摘された。また、「いざなぎ流」の山渡り祭文や、上今道念節の詞章にも「天狗揃」「天狗尽くし」があるという指摘があり、趣向がもつ広がりが改めて明らかにされた。(文・久留島元氏)
※当発表は6月27日オンライン開催の第100回の例会で口頭発表したものです。
※上記文章を直接的、間接的に使用する際は、必ず発表者の説であることを明記してください。
※次回は9月13日(日)午後2時オンライン開催の予定です。
よろしくお願いします。
発表者:沼賀健一郎氏
題目:伝説研究の意義――赤城山男体山神戦伝説・俵藤太百足退治伝説を例に――
要旨:
群馬県と栃木県には「赤城山の神と男体山の神がそれぞれ百足と蛇に変じて戦い、男体山は猟師小野猿丸の助けを得て勝利した」という神戦伝説が存在するが、実際その内容は一様ではない。また、滋賀県には「俵藤太秀郷が蛇を助け百足を退けた」というよく似た伝説がある。
・赤城山男体山神戦伝説の形成過程はどのようなものだったのか。特に、百足退治譚が発生するのはいつ頃か。
・離れた地域にある赤城山男体山神戦伝説と俵藤太百足退治伝説を結びつけるものは何か。両伝説の構成要素を成す「秀郷流」の歴史的展開から明らかにすることはできないか。
発表では、秀郷本人と子孫である「秀郷流」の歴史的展開と『吾妻鏡』における秀郷故実の記事を紹介し、鎌倉時代までには「秀郷流」の都周辺での活動の蓄積が各家に継承され、具体的な兵法(書)として機能していた可能性、頼朝の指示で「秀郷流」小山氏のもとで兵法の体系化が行われた可能性について述べた。
俵藤太百足退治伝説の形成過程について、園城寺の鐘の縁起説話として特に『古事談』『寺徳集』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』を取り上げ、この中では少なくとも百足退治譚は描かれず、『補録』では、世間で流布している百足退治関連の内容を「奇怪の説」と記していることを示した。
一方、園城寺の縁起以外のものとして『俵藤太草子』『太平記』、また、伊勢神宮所蔵の太刀「蜈蚣切」への研究成果を挙げ、本伝説の百足退治譚は南北朝時代ごろには流布していた可能性を示した。
赤城山男体山神戦伝説の形成過程について、『神道集』『拾菓集』『山立根本巻』諸「二荒山神社縁起」のほか先行研究の成果により、「シンプルな神戦譚」→「男体山ではマタギの物語と融合」→「百足退治譚」へと変化していったのではないかと推測した。
以上、両伝説の形成過程をたどっていくと、百足退治譚の発生・流布の時期はともに南北朝時代であることがわかる。この事実を明らかにする一つの可能性としては、秀郷流などの武士勢力が媒介となった点を挙げた。小山氏は南北朝時代においても秀郷故実を利用したようで、近江国の百足退治譚が上野下野国へとほとんど時間をおかずに伝わったのは故実への関心の高さが関係しているのではないか。
また、両伝説を構成する要素には金属冶金に関連する事象が見え隠れしていることに言及した。
そして、中世という時代はこれまで蓄積された歴史が盛んに再編成・再生産された時代であり、両伝説の変遷をこのような大きな時代の流れに応じたものと位置づけることはできないかという点を今後の展望とした。
発表後の質疑応答では、百足や蜘蛛、蟹、蛇蛸、ウミケムシといった多足の動物など、また、それらを倒す方法といった、関連する俗信等が話題にのぼった。また、熊野詣に伴う説話の内容の変遷の可能性が示され、「秀郷流」を媒介とするものとは別のアプローチで本題目に向き合う方法が指摘された。(文・発表者)
以上です。
次回は12月8日(土)14時から、國學院大學で開催します。
詳細は追ってお知らせします。
題目:伝説研究の意義――赤城山男体山神戦伝説・俵藤太百足退治伝説を例に――
要旨:
群馬県と栃木県には「赤城山の神と男体山の神がそれぞれ百足と蛇に変じて戦い、男体山は猟師小野猿丸の助けを得て勝利した」という神戦伝説が存在するが、実際その内容は一様ではない。また、滋賀県には「俵藤太秀郷が蛇を助け百足を退けた」というよく似た伝説がある。
・赤城山男体山神戦伝説の形成過程はどのようなものだったのか。特に、百足退治譚が発生するのはいつ頃か。
・離れた地域にある赤城山男体山神戦伝説と俵藤太百足退治伝説を結びつけるものは何か。両伝説の構成要素を成す「秀郷流」の歴史的展開から明らかにすることはできないか。
発表では、秀郷本人と子孫である「秀郷流」の歴史的展開と『吾妻鏡』における秀郷故実の記事を紹介し、鎌倉時代までには「秀郷流」の都周辺での活動の蓄積が各家に継承され、具体的な兵法(書)として機能していた可能性、頼朝の指示で「秀郷流」小山氏のもとで兵法の体系化が行われた可能性について述べた。
俵藤太百足退治伝説の形成過程について、園城寺の鐘の縁起説話として特に『古事談』『寺徳集』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』を取り上げ、この中では少なくとも百足退治譚は描かれず、『補録』では、世間で流布している百足退治関連の内容を「奇怪の説」と記していることを示した。
一方、園城寺の縁起以外のものとして『俵藤太草子』『太平記』、また、伊勢神宮所蔵の太刀「蜈蚣切」への研究成果を挙げ、本伝説の百足退治譚は南北朝時代ごろには流布していた可能性を示した。
赤城山男体山神戦伝説の形成過程について、『神道集』『拾菓集』『山立根本巻』諸「二荒山神社縁起」のほか先行研究の成果により、「シンプルな神戦譚」→「男体山ではマタギの物語と融合」→「百足退治譚」へと変化していったのではないかと推測した。
以上、両伝説の形成過程をたどっていくと、百足退治譚の発生・流布の時期はともに南北朝時代であることがわかる。この事実を明らかにする一つの可能性としては、秀郷流などの武士勢力が媒介となった点を挙げた。小山氏は南北朝時代においても秀郷故実を利用したようで、近江国の百足退治譚が上野下野国へとほとんど時間をおかずに伝わったのは故実への関心の高さが関係しているのではないか。
また、両伝説を構成する要素には金属冶金に関連する事象が見え隠れしていることに言及した。
そして、中世という時代はこれまで蓄積された歴史が盛んに再編成・再生産された時代であり、両伝説の変遷をこのような大きな時代の流れに応じたものと位置づけることはできないかという点を今後の展望とした。
発表後の質疑応答では、百足や蜘蛛、蟹、蛇蛸、ウミケムシといった多足の動物など、また、それらを倒す方法といった、関連する俗信等が話題にのぼった。また、熊野詣に伴う説話の内容の変遷の可能性が示され、「秀郷流」を媒介とするものとは別のアプローチで本題目に向き合う方法が指摘された。(文・発表者)
以上です。
次回は12月8日(土)14時から、國學院大學で開催します。
詳細は追ってお知らせします。
室町期に書かれた後崇光院伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』に見える、建物への異類の侵入(「異類侵入譚」)を通して、各異類に対する貞成の通念を探った。
その多くは、侵入を災いの前兆と捉えていた。烏の侵入は、後の自身の出家と結び付けられ「得度之怪異」とされ、犬は侵入とともに小便をしたことを祓の対象とされた。また、『小右記』や『殿暦』といった室町期以前の古記録にも、犬の侵入と小便は「怪」として古くから災いの前兆と捉えられていたことが分かった。
しかし、鶯の侵入は「嘉瑞」であるとされた。これは「遷喬」の観念が影響していると考えられる。貞成自身、御集『沙玉和歌集』において「遷喬」の観念を詠んだ和歌が残されており、この観念を貞成が認識していたことが窺えた。
また牛の侵入に関しては、事実としての侵入と夢想での侵入の用例が見え、夢想では牛が「疫神」として描かれていた。これは牛頭天王などとの関連が考えられ、今後さらに調査を進めていくべき課題である。
また、吉凶を判断する人物の各異類に対する観念が「異類侵入譚」に大きく関わってくるであろうことが分かった。今後は、陰陽道などの方面からも異類ごとの観念・先例などを調査をする必要があるであろう(文・河田翔子)。
以上、異類の会第56回例会(2015年8月26日)の発表要旨です。
次回予告
9月15日(火)14時
大東文化会館4階 K-403教室
伊藤慎吾「前近代の擬人化キャラクターの甲冑姿の特徴について」
その多くは、侵入を災いの前兆と捉えていた。烏の侵入は、後の自身の出家と結び付けられ「得度之怪異」とされ、犬は侵入とともに小便をしたことを祓の対象とされた。また、『小右記』や『殿暦』といった室町期以前の古記録にも、犬の侵入と小便は「怪」として古くから災いの前兆と捉えられていたことが分かった。
しかし、鶯の侵入は「嘉瑞」であるとされた。これは「遷喬」の観念が影響していると考えられる。貞成自身、御集『沙玉和歌集』において「遷喬」の観念を詠んだ和歌が残されており、この観念を貞成が認識していたことが窺えた。
また牛の侵入に関しては、事実としての侵入と夢想での侵入の用例が見え、夢想では牛が「疫神」として描かれていた。これは牛頭天王などとの関連が考えられ、今後さらに調査を進めていくべき課題である。
また、吉凶を判断する人物の各異類に対する観念が「異類侵入譚」に大きく関わってくるであろうことが分かった。今後は、陰陽道などの方面からも異類ごとの観念・先例などを調査をする必要があるであろう(文・河田翔子)。
以上、異類の会第56回例会(2015年8月26日)の発表要旨です。
次回予告
9月15日(火)14時
大東文化会館4階 K-403教室
伊藤慎吾「前近代の擬人化キャラクターの甲冑姿の特徴について」