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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
 近世噺本と笑い話
 ―鬼と天狗を中心に―

発表者:
 齊藤竹善氏

要旨:

 本発表では、前半に江戸期の笑い本に登場する異類(鬼・天狗)のイメージを検討し、後半で、そうした江戸期の「噺」が如何に伝播し、地方の笑い話として定着したかを「彦一話」を中心に論じた。


江戸期の噺本における鬼像は、一般に地獄や六道の辻など、死後の世界に閻魔と共に登場する存在として描かれており、また、庶民の生活世界に登場する際には節分の時に登場するなど、登場する時・場所がかなり限られた存在となっていた。また、鬼が登場する噺のオチは、「来年の話をすると鬼が笑う」「鬼も十八番茶も出花」などの鬼にまつわる慣用句や、「鬼殺し」などの酒、鬼の天敵としての「鐘馗」を用いたダジャレなど、鬼にまつわる事項をうまく用いたオチが様々に見られた。


一方、噺本における天狗像は、山や空に出現しやすいといった傾向があるも、鬼に比べて出現場所の制約がなく、庶民と遭遇することが多々ある存在として描かれていた。こうした傾向は、江戸期において天狗が一定のリアリティを持つ存在として、多少なりとも実在を信じられていたが故であると考えている。


また、天狗が登場する噺のオチは、その殆どが「鼻」を揶揄するネタであった。特に、その鼻は男根と重ね合わされる形の下ネタとしてネタにされることが多く、この点は天狗と男根を結び付ける民間信仰との結びつきを思わせる


後半では、柳田も父から聞いたことのあるという、天狗の鼻をとらえる笑い話を軸に、落語家「彦八」の登場する笑い話が民話化・伝播する現象について論じた。そこでは、江戸期から明治期にかけて、旅の噺家が「ヒコハチ」と呼称されていたことや、二代目米沢彦八が旅の興行中に亡くなったことなどから、「ヒコハチ」が演じた噺が民話化した可能性について仮説を提示した。


一方、質疑応答では、そうした民話が伝わる際に「ヒコハチ」がいわばキャラクター化した主人公の記号として流布した可能性を示唆され、語り手=伝播者という図式に疑問が呈された。多くの昔話の伝播論は、口承文芸の性質もあり、史料による充分な裏付けがなされずに、推測が多分に含まれる議論となりがちである。笑い話の伝播に関しては、様々な可能性に留意しながら、今後ともに研究を進めていきたい。


(文・齊藤竹善氏)

*これは3月31日(日)にオンライン(Zoom)で開催された第142回の要旨です。
*上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。

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タイトル(発表者):
予言獣3題―予言獣の誤転写・アマビエの変容・件(クダン)の位置―
 1. 誤転写と予言獣
  ー「アマビエはアマビコの誤記」説の再考からー
 (長野栄俊氏)
 2. 予言をしなくなった予言獣
  誰がいつアマビエを変えたのか
  (峰守ひろかず氏)
 3. 予言獣としての件(クダン)の位置
  (笹方政紀氏)

要旨

誤転写と予言獣-「アマビエはアマビコの誤記」説の再考から-

長野栄俊氏


 『予言獣大図鑑』の資料解説で用いたキーワード「誤転写」について、具体的事例を示しながら検討した。
 前半では、「予言獣の本質はかわら版」であるとの見通しを示し、かわら版の帯びる特質を列挙した。その特質とは、1)事実報道以外の虚報や娯楽・パロディも多く含まれていたこと、2)珍談奇聞は当該地方で記録・伝承されず、都市で捏造されたものであったこと、3)「役人」云々の文言や公文書形式を模した形式は虚報に信憑性を付与するためのものだったこと、4)非合法出版ゆえ模倣版が横行したこと、5)転写されて流通し、地方へも伝播したこと、などである。
 これをふまえると、「アマビコ」から「アマビエ」への「誤記」は、肥後の役人から江戸に報告され、かわら版になる過程で生じたものとは考えにくく、先行する「あま彦(天ひこ)」のかわら版(未発見)が転写されたり、模倣版が作られたりする過程で生じたものと推定できることを指摘した。
 後半では、予言獣資料に見られる「誤転写=誤読+誤写」のメカニズムが、現代人が接する活字やフォントでは生じえない、くずし字に特有の事情によって生じたものであることを7つの事例を挙げて論じた。なかでも、くずし方が類似する字形を誤読して写したパターン(「神社姫」→「神の姫」、「くだん」→「くたべ」→「どだく」)や連綿体の文字の切れ目を読誤して写したパターン(「尼彦」→「左立領」)をくずし字特有の事例として詳しく取り上げた。
 最後に、「かいし人」や「どだく」など非合理な名称であっても、妖怪名称(怪異名称)ゆえに受け入れてしまうバイアスがかかり、誤転写を促進させた可能性があった点についても言及した。


 質疑応答の時間では、予言獣の要件としての「人面」の問題や、予言をしない瑞獣かわら版を予言獣に含めるかどうかという定義の問題、予言獣かわら版の営利ではない無償配布の可能性の有無などについて質問があった。(文・長野栄俊氏)


 


予言をしなくなった予言獣 誰がいつアマビエを変えたのか


峰守ひろかず氏


 2023年12月に刊行された『予言獣大図鑑』の拙稿「予言から疫病退散へ」では、2020年に端を発したコロナ禍を経て、アマビエの通俗的な性格(属性)が、「予言する妖怪『予言獣』の一種」から「伝統的な疫病退散祈願の対象」へと変質したことを指摘した。今回は、この変質の時期と過程について、主に新聞報道を参考に報告を行った。
 変質の第一波は、2020年2月以降にインターネット上でアマビエが流行する中で「疫病を退散させる妖怪」として扱われるようになったこと、それを受けて厚生労働省が4月上旬(この日付については後述する)に「疫病から人々を守るとされる妖怪」として感染拡大防止啓発アイコンに採用したことによって起こったものと考えられる。
 一方、新聞報道では、アマビエに言及した記事は3月から見られるが、この時期から4月頃にかけての記事は、アマビエが疫病退散祈願に使われていることには触れつつも、あくまで予言するもの(予言獣)として紹介していた。もっとも、この時期には、本文ではアマビエを予言獣として扱いつつも、見出しでは疫病退散属性を強調している記事も散見できる。この流れを受けて、4月初旬〜5月上旬頃になると、記事本文においても「アマビエは伝統的な疫病退散祈願のシンボル」という設定が明記され、「江戸時代にはアマビエが疫病が封じる妖怪として広く信じられていた」という「史実」が存在したことになってくる。
 さらに5月中旬以降は「アマビエ=伝統的な疫病退散の妖怪」という図式は周知の事実として通用するようになる。ネット上でのブームを経て既に通俗的妖怪としてのアマビエの性格は「予言獣の一種」から「伝統的な疫病退散のシンボル」へと変わっていたが、それが社会に定着したのが、この時期(5月中旬)と言える。
 2020年のアマビエの変質は、まず「新型コロナ収束」という社会的な需要(願望)に応じて偏った認識が広まり、その上で、報道機関が社会に広がっていたイメージに合わせた表現を多用したことが念押しとなって「伝統的な疫病退散の妖怪」という性格の固定化が生じたものと考えられる。


 なお、発表後の質疑応答では、厚労省がアマビエをアイコンに採用した日付について、発表者が「2020年4月9日」としていることに対し、「8日以前ではなかったか」との指摘を受けた。確認を行ったところ、厚生労働省のWEBサイトにアマビエを採用したロゴが掲載されたのは同年同月7日の深夜で、厚生労働省の公式Twitter(現X)アカウントによる本件の周知が行われたのが9日であった。正確には7日時点で採用されていたことになるため、機会があれば訂正を行いたい。
 また、アマビエの変質や社会への定着過程を見るためには新聞報道だけではなくワイドショーやニュース等の映像媒体にも気を配るべきとの指摘もあった。活字情報以外の分野の掘り下げ不足は自覚しており、今後の課題と受け止めている。
 質疑応答の中では、変質後のアマビエ像を示す資料として取り上げた児童書の監修者から、同資料の編纂中にアマビエの記述が疫病退散妖怪へと傾いていった過程を具体的に聞くこともできた。このあたりの情報も今後生かしていくこととしたい。(文・峰守ひろかず氏)


 



予言獣としての件(クダン)の位置


笹方政紀氏


  現在把握されている件(クダン)(以下「クダン」という。)のかわら版は、『予言獣大図鑑』にも掲載した『大豊作を志ら須件と云獣なり』と『件獸之寫真』の2枚があり、その内予言をするものは後者の1枚だけである。それにも関わらず、クダンは予言獣の代表的な存在のように言われることも多い。本発表では、その経緯を追いつつクダンの予言獣としての位置を確認した。
 少なくとも18世紀において、クダンは正義や正しいものの象徴であり、予言をしていなかった。文政2(1819)年、予言獣の古い事例である神社姫や姫魚の流行した年、予言をするクダンの記録が残っているが、予言獣としてかわら版(読売、摺物とも)に登用された事例は幕末まで下る。
 クダンと他の予言獣との大きな違いの一つとして、クダンは既存の妖怪(ここでは便宜上、妖怪とする。)を採用し予言獣構文を持つかわら版に登用したものであるが、アマビコやクタベなど他の予言獣は予言獣オリジナルのものであり予言獣のかわら版やその転写物などの中でしか存在が認められない半人半漁の人魚もクダンと同様に既存の妖怪を登用したものと言えるが、その事例は限られている。また、神社姫や姫魚は人魚の類と言えるが、独自のオリジナルの名称を有している。
 近代になると、かわら版というメディアはその立場を徐々に新聞にとって代わられていく。それにつれ、かわら版やその転写物の中にだけ存在していた予言獣は徐々に衰退していく。片や、クダンはかわら版等の世界だけでなく、畸形の仔牛の誕生譚を伴い現実に起こったとされる噂話の中で予言をし、生き続けていく。その事例は近世のかわら版と違い多数認められる。飼牛のいる農村部から食料としての牛が飼育される都市部へも広がり、太平洋戦争時などには戦時流言としてクダンは語られた。
 平成になり、湯本豪一氏が「予言獣」というカテゴリを推奨する時には、他の予言獣は衰退し消える一方で、クダンはその事例、資料を増やすことにより、予言獣の代表として捉えられた。このようにクダンは予言獣として特異な位置に存在するものであるといえる。(文・笹方政紀氏)


※これは2月17日(土)にオンラインで開催された第141回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。


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タイトル:
「天狗と修験者」再考

発表者:
久留島 元

要旨
 このたび白澤社より『天狗説話考』を出版していただいた。
 https://hakutakusha.co.jp/book/9784768479995/
 拙著で言及したが、これまで天狗研究は民俗学によってリードされており、在野の研究者として柳田国男や知切光歳の一連の著作があるほか、研究書としては宮本袈裟雄『天狗と修験者:山岳信仰とその周辺』(人文書院→法蔵館文庫)がある。しかし修験道研究はその後急速に史料の開拓が進んだ。拙著でもその成果の一部を反映し、これまで印象論として語られていた「南北朝期における天狗像の変化」などを修験道史との関係によって位置づけた(つもり)である。すなわち南北朝期以降、天狗説話は修験道による寺社縁起などに積極的に取り込まれ、山岳修行者を奉仕したり、霊場を護る護法神として認識されたりした。そうした修験道側の言説のなかで、天狗は「山の神」とも同一視され、仏敵、魔物という認識から「山の神霊」としての天狗像へと変化していくのである。
第一三五回異類の会(二〇二三年七月三〇日)に毛利恵太氏によって報告された「白峯相模坊」も、近世に流行した四国巡礼の影響下で「本地不動にて南海の守護神」(『四国偏礼霊場記』)と位置づけられ、「山の主」(『香西記』)と同一視されたことがわかっている。
 ところで相模坊は西行が崇徳院霊を慰めたという謡曲「松山天狗」に登場する天狗だが、その由来については、先行研究で『保元物語』に現れる三井寺(園城寺)の相模阿闍梨勝尊かと指摘されるものの確証はない。
 金輪運岳紹介の史料では「満位の行者相模坊道了」が天狗になって東へ飛び去ったといわれ(三井寺天狗杉の由来)、このため現在では神奈川県最乗寺の道了尊になったとも説明されるが、道了尊との関わりはよくわからない。金輪氏の紹介する資料は所在不明のため調査中だが、園城寺周辺には複数の「相模坊」が語られていたようである。なお近年では西行と寺門派修験の影響が強いことが注目されており、西行伝承とともに寺門派修験によって相模坊説話が白峯寺に持ち込まれた可能性があることを指摘しておきたい。
 このように、天狗説話の担い手としての山岳修験者(山伏)の活動が垣間見える事例がいくつかある。愛宕縁起に登場する日羅坊もそのひとつである。
日羅は本来、『日本書紀』に百済達卒として登場する実在の武人で、暗殺され肥前葦北(熊本県)に葬られたという。しかし聖徳太子伝承では百済の高僧と造型され、聖徳太子の師とも位置づけられた。しかし戦国時代には日羅は愛宕権現と同一とも考えられており、徳川家康、加藤清正らに信仰されていたという。また愛宕白雲寺縁起では、天竺の天狗日羅が震旦の善界、愛宕の太郎とともに愛宕山を開いた役行者、泰澄を嘉したとされる。
 実は日羅を開基とする寺は大阪・兵庫や、熊本・宮崎・大分などに分布し、聖徳太子と関わる異国の高僧として伝承される。現在は廃寺だが甲信地方にも日羅伝承とともに勝軍地蔵法を伝える堂寺があったといわれ、愛宕信仰との関わりが推測される。聖徳太子信仰のなかで神格化された渡来人日羅は、中世修験の伝承で重視されていたようである。
 日羅伝承の担い手とも考えられる愛宕山伏は、豊臣秀吉の時代に規制が加えられ、判形を所持しなければ活動を認められなかったという。逆に言えばそれ以前は真偽定かでない山伏が横行していたということであり、野盗、野武士に近い存在としても認識されていた。戦勝祈願の勝軍地蔵を奉じ、野盗に近いほどの武力をもった存在であった愛宕山伏は、戦国時代において善くも悪くも大きな存在感があり、そうした山伏たちと同一視されることで天狗像も大きく変化したと考えられる。
 質疑応答では「八天狗」が相模坊、太郎坊などの天狗に比定された経緯や、「八天狗」として信仰対象になっている例など、天狗信仰と文芸の関係について話題が広がった。また古代の説話では天狗は必ずしも山だけに結びつく存在ではなかったが、修験道との関わりによって山の神霊という側面が重視されるようになったことを、改めて指摘した。
(文・久留島元)
※これは12月24日(日)にオンラインで開催された第139回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。

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タイトル:
真珠庵本『百鬼夜行絵巻』について
発表者:
名倉ミサ子 

要旨
 真珠庵本で課題となっている妖怪について考察した。真珠庵本の妖怪には多義性があり、組み合わせによって意味が異なっているものがある。
 《赤い妖怪》は赤子あるいは胞衣と見られるが、これを宗派に分類するなら妻帯を認めた浄土真宗であり、孕み女と組むなら赤子、疫神と対峙する場合には胞衣から作られる薬を意味する。当時は新しい医術や医書が輸入され、僧医の活動が目立ち始めた時代であった。
 《幣を持つ天狗》と《白布》の妖怪は、舞楽法会に関わる入調
舞(延年)の白拍子か。猿田彦や大天狗の可能性も考えられる。赤鬼が頭に載せた「鍋蓋」には取手がないが、これは鍋蓋ではなく金属製の器物の可能性がある。真珠庵本の摸本には真珠庵本と同色で描かれている巻は少なく、描き方や着色には多様性がある。
(文・名倉ミサ子氏)


※これは2023年4月30日(日)にオンラインで開催された第132回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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タイトル:
現代における「牛鬼」表象とその成立について
発表者:
加藤嵩人氏 

要旨
 「牛鬼」という名で呼び表される妖怪について、民間伝承や伝説の中に語られるものから絵画上に描かれるもの、あるいは南予地方の祭礼行事に登場する練物やそれを象った民芸品まで、多種多様に存在する。特に伝承における「牛鬼」は出没地域や形態などの要素もさまざまであり、異なる怪物伝承が「牛鬼」という統一された名称を与えられ、それぞれ異なる地域において伝承されてきたのではないかと考察を行った。

 また現代における「牛鬼」の表象については上記のさまざまな要素(複数の伝承、絵巻物のビジュアル)が組み合わせられ、「牛鬼」という一個の妖怪として確立しており、こうした背景には水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』「牛鬼」(1968年)の影響も多分に存在していると考えられる。

 このほか、国立国会図書館の全文検索機能を用いて1945年から70年までの「牛鬼」に関する言及を取りまとめ、南予地方における牛鬼祭礼の観光資源としての全国的な扱われ方や、児童文学・演劇での「牛鬼」の取り沙汰され方など、その後の「牛鬼」受容に対してどのような下地が作られていたのかについて提示し、また参加者との意見交換を行った。

 今後は議論にて得られた情報や知見を基に、今回の発表ではあまり触れられなかった70年代以降の「牛鬼」展開や近世資料に現れる「牛鬼」など、更に研究とそれを成立させるに足る説得力を深めていきたい。
(文・加藤嵩人氏)


※これは2023年3月26日(日)にオンラインで開催された第131回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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プロフィール
HN:
異類の会
年齢:
15
性別:
非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

連絡先:
gijinka☆way.ocn.ne.jp
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