特撮作品におけるモチーフのとり方は、基本として、子供をターゲットとしている為、子供に分かりやすいモチーフを取ることが多い。その当時どのようなものが使われていたのか、消費されていたのか分かることが興味深く、妖怪モチーフの作品に関しても妖怪的な世相が同じように色濃く出ている。中でも『忍者戦隊カクレンジャー』・『侍戦隊シンケンジャー』・『手裏剣戦隊ニンニンジャー』の三作品を中心に放映時期の前後にどのような妖怪が需要されてきたかを検証する。
1970年代以前のおばけを取り扱った特撮映画では講談や歌舞伎などで取り扱われる幽霊や化猫・河童・狸・鬼等のポピュラーなものが採用されていたが、水木しげるが1960年代後半から漫画や妖怪画集等で妖怪を紹介し始めると児童書の妖怪図鑑等の流れもあり、多種の妖怪が登場する基礎ができる。1970年代に増えた妖怪が80年代には大分定着し、『忍者戦隊カクレンジャー』の1990年代に至る。
■忍者戦隊カクレンジャー(1994-1995年)
『忍者戦隊カクレンジャー』の放映の同時期に水木しげるや鳥山石燕等の図版情報の拡充、漫画・小説等の分野でも妖怪が出る作品が増えた時期である。
・水木しげるの影響
デザイン上は水木しげるの影響を受けないようにしているが、作中登場妖怪44体中38体が、『日本妖怪大全』の妖怪を採用。特にビンボーガミ・カサバケ・チョウチンコゾウ・ヤマンバ・エンラエンラ・ガキツキ等の水木しげる特有の表記や妖怪からも影響が伺える。
■侍戦隊シンケンジャー(2009-2010年)
『忍者戦隊カクレンジャー』から15年を経ての妖怪が敵役の戦隊シリーズ作品。文献資料が増加したことにより、伝承される姿のない妖怪という考え方が大分流布された。妖怪伝承の元が作中の怪物であるという設定は『仮面ライダー響鬼』『侍戦隊シンケンジャー』で使われている。
・京極夏彦の影響
『忍者戦隊カクレンジャー』に登場しなかった妖怪18体中10体の妖怪が京極夏彦の京極堂のシリーズで紹介されている。特にテノメをモチーフにしたデメバクトは賽や花札のデザインを入れており、京極夏彦の小説作中でも使用された妖怪研究家・多田克己のテノメと博打の関連性の絵解きが元になっている。
■手裏剣戦隊ニンニンジャー(2015-2016年)
『侍戦隊シンケンジャー』から『手裏剣戦隊ニンニンジャー』の間5年には『妖怪ウォッチ』が発売され、ウォッチを意識した妖怪本も大量に出版された。『手裏剣戦隊ニンニンジャー』も敢えて妖怪モチーフとしたのは、子供の妖怪知識の広がりとメインライターがコメントしている。
・妖怪ウォッチの影響?
32体中22体の妖怪が『妖怪ウォッチ』との被りが見える。明確に意識されたものもあるが、『妖怪ウォッチ』に直接影響を受けたというよりも妖怪資料の増加で何度も刷り込まれていくうちに70年代までの河童や鬼・化猫等のように採用された妖怪が一般化されたという印象を受けた。
以上を踏まえて、ヌリカベのデザインを例に変遷を見ると柳田國男が『妖怪談義』の伝承を元に水木しげるが足つきの壁タイプのデザインが増殖する。『忍者戦隊カクレンジャー』も壁というデザインだったが、2007年ハロルド・B・リー図書館蔵の三つ目の獣の妖怪画に「ぬりかべ」と表記されていることが発表されると翌年以降より三つ目獣タイプのヌリカベが増加した。『侍戦隊シンケンジャー』では従来の壁のようなデザインを残しつつも三つ目のデザインを追加し、双方の要素を入れ、『手裏剣戦隊ニンニンジャー』では完全に三つ目獣タイプ採用に至った。
特撮という切り口で妖怪を取り扱った先行事例は数少なく、ライトノベルやゲーム同様、情報を散逸することが無いよう、収集と周知することの必要性を少なからず感じた。
また、改めてまとめて見て考えさせられたのは、特撮は妖怪に限らず子供に分かりやすい形でその時代その時代を反映している鏡のようなもので、当時の風俗や文化などを知る上でまとめておけば、有益な情報として活用できる。
質疑でも上げていただいた通り、メインで取り上げた作品以外に関しても情報を追加して、発展させていきたい。(文・式水下流氏)
以上、異類の会70回例会(2017年1月28日・於國學院大學若木タワー)の要旨発表の要旨です。
次回は3月4日、同所14階打ち合わせ室にて行います。よろしくご参集ください。