異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:
「隠れ蓑笠」は誰のものか? ―姿を隠す鬼と天狗―
発表者:
齊藤竹善氏
要旨:
身に着けた者の姿を隠す不思議な道具である「隠れ蓑」、「 隠れ笠」についての記述は、古くは平安時代からみられる。 そして、この「隠れ蓑笠」は、歴史的には鬼との結びつきが深く、 古くは鬼の宝物の一つとしてよく知られていた。
しかし、隠れ蓑が登場する民話として有名なものは「隠れ蓑笠」 型民話であり、この民話類型における「隠れ蓑笠」 の所有者はほとんどが天狗として語られている。 歴史的には鬼と結びつきが強かった「隠れ蓑笠」が、 なぜ天狗の持ち物としてイメージされたのだろうか。
本発表では、天狗と隠れ蓑笠とが結びつくまでの、「隠形」 という性質、及び隠れ蓑笠をめぐる諸相を鬼と天狗に着目し、 概観していった。
『和名類聚抄』などからわかるように、初期の鬼は、 目に見えない存在としてイメージされていた。そして、 その鬼の衣装としては蓑笠がイメージされており、 目に見えない鬼と、その衣装である蓑笠から、「隠れ蓑笠」 が鬼の衣装・宝物としてイメージされはじめた事が推定される。
しかし、時代が下るにつれて、鬼のイメージは変化し、「隠形」 という属性は本質的なものではなくなっていった。また、 鬼の宝物である「隠れ蓑笠」を、 鬼が有効に用いる物語は少なかった。多くの物語での鬼の役割は、 人間に対して「隠れ蓑笠」 を提供する入手経路としての役割が殆どであった。 それらの事から、鬼のイメージの変化に伴い、「隠れ蓑笠」 が鬼の宝物である必要性がなくなった可能性が考えられる。
そして、中世の頃から、 天狗は様々な術を用いる存在としてもイメージされ始めた。 その中には「隠形の術」が存在し、天狗は鬼に代わり、 姿を隠す性質を付与されたと考えられる。 こうして成立した姿を隠す天狗のイメージによって、「隠れ蓑笠」 型民話において江戸時代頃に天狗と隠れ蓑笠との結びつきが成立し ていったのでないかと発表者は考えている。
質疑応答では、 鬼と天狗の扱いの差異に関する諸言説が宗教者らによって故意に形 成された可能性や、兵法を含む、様々な術の系譜から「隠形の術」 が如何に捉えられたかなど、様々な観点からのご指摘を頂いた。 また、日本以外の諸外国、特にユーラシア大陸における「 姿を隠す衣服」 にまつわる民話についての調査の必要性が提示された。今後、 より広い資料収集を行っていき、研究を進めていきたい(執筆: 齊藤竹善氏)。
※これは2022年7月30日(土) にオンラインで開催された第123回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、 必ず発表者兼執筆者の名を明記してください。
※次回は8月20日(土)15時00分オンライン開催です。
「隠れ蓑笠」は誰のものか? ―姿を隠す鬼と天狗―
発表者:
齊藤竹善氏
要旨:
身に着けた者の姿を隠す不思議な道具である「隠れ蓑」、「
しかし、隠れ蓑が登場する民話として有名なものは「隠れ蓑笠」
本発表では、天狗と隠れ蓑笠とが結びつくまでの、「隠形」
『和名類聚抄』などからわかるように、初期の鬼は、
しかし、時代が下るにつれて、鬼のイメージは変化し、「隠形」
そして、中世の頃から、
質疑応答では、
※これは2022年7月30日(土)
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
※次回は8月20日(土)15時00分オンライン開催です。
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第123回開催のご案内
日時:7月30日(土)15時00分
発表者:
齊藤竹善氏
要旨:
日時:7月30日(土)15時00分
会場:オンライン(Zoom)開催
タイトル:
「隠れ蓑笠」は誰のものか? ―姿を隠す鬼と天狗―
「隠れ蓑笠」は誰のものか? ―姿を隠す鬼と天狗―
発表者:
齊藤竹善氏
要旨:
身に着けた者の姿を隠す不思議な道具である「隠れ蓑」、「隠れ笠」についての記述は、古くは平安時代からみられる。そして、この「隠れ蓑笠」は、歴史的には鬼との結びつきが深く、古くは鬼の宝物の一つとしてよく知られていた。
しかし、隠れ蓑が登場する民話として有名なものは「隠れ蓑笠」型民話であり、この民話類型における「隠れ蓑笠」の所有者はほとんどが天狗として語られている。歴史的には鬼と結びつきが強かった「隠れ蓑笠」が、なぜ天狗の持ち物としてイメージされたのか。隠れ蓑笠をめぐる諸相を概観し、検討していきたい。
※来聴歓迎!
初めて参加する方は
TwitterID: @iruinokai
にDM等でご一報ください。
※来聴歓迎!
初めて参加する方は
TwitterID: @iruinokai
にDM等でご一報ください。
タイトル:
疑似姉妹の心中と怪談
発表者:
嘉川馨氏
要旨:
〈少女〉らによる疑似姉妹は、明治後期には既に少女雑誌に見られ 、実際に女学校内で展開されていたと考えられる。疑似姉妹は、一 部の女子教育者からは清らかな「友情」であると擁護されたが、新 聞や総合雑誌などの一般メディアは勿論、学生向けの流行り言葉事 典や、性欲研究書においても「同性愛」という病として扱われた。
1911年の親不知海岸女学生心中以降、〈少女〉らの「同性愛」 や疑似姉妹に対する社会的関心が高まっていった結果、〈少女〉ら が共に自殺すれば、「「同性愛」が原因ではないか」という先入観 をもって報道されるようになった。
対して〈少女〉らの自殺についての記事が、〈少女〉のためのメデ ィアである少女雑誌に掲載されることは、少なくとも大正期以降は ほとんどなかったと考えられる。久米依子や佐藤(佐久間) りかによれば、少女雑誌が許容したのは清らかな「友情」としての 疑似姉妹までであり、加熱した「同性愛」的な投書や投稿小説は、 時代を下るにつれて排除されていったという。同様に、現実に起き た〈少女〉らの(「同性愛」的とレッテル貼りされた)自殺や心中 に関する記事は、誌上から排除されていたのだろう。
こうした〈少女〉と「同性愛」を巡る議論が乱立していた戦前の状 況下においても、現実の〈少女〉の死が、女学校内で幽霊譚に発展 していた可能性があることが、松谷みよ子による戦後の聞き書きか ら分かっている。注目すべきは、 今回取り上げた実践高女の例では、元の事件(三原山女学生投身自 殺)ではあくまで〈少女〉らの自殺だったにもかかわらず、「 同性愛」が原因の心中であったと歪曲されている点である。この手 つきからは、三原山女学生投身自殺――真許三枝子の自殺と松本貴 代子の自殺――が、当時の新聞や婦人雑誌においては、まるで「 同性愛」が原因であるかのように書き立てられたことを想起せずに はいられない。
「同性愛」も〈少女〉の死も、あくまで〈少女〉向けメディアで排 除されていたにすぎない。〈少女〉たちは何も少女雑誌だけを読ん で生活していたわけではなく、新聞や総合雑誌などの一般メディア の影響も受けていた。また少女雑誌は「同性愛」 を排除しようとしながら、疑似姉妹は「友情」 として擁護せざるを得ないという矛盾を抱えていた。
今回の調査から、現実の〈少女〉の死が、女学校内では「同性愛」 者の、つまりは疑似姉妹の幽霊譚として発展していたと推測できる 。しかし現状、戦前に発行されたメディアからは、直接的な根拠と なるような記事を発見できておらず、また今回取り上げることがで きた(戦後に採集された)当時の女学校の怪談・ 幽霊譚の数も極めて少ない。
発表者はこれまで、主に戦前の少女雑誌を資料としていたため、今 後は当時の新聞や婦人雑誌に加え、戦後に発行された資料でも、同 窓会報や回顧録まで範囲に広げていくことで、さらに調査を深めて いきたい。(文・嘉川馨氏)
※これは2022年6月26日(日) にオンラインで開催された第122回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、 必ず発表者兼執筆者の名を明記してください。
※次回は7月30日(土)15時00分オンライン開催です。
疑似姉妹の心中と怪談
発表者:
嘉川馨氏
要旨:
〈少女〉らによる疑似姉妹は、明治後期には既に少女雑誌に見られ
1911年の親不知海岸女学生心中以降、〈少女〉らの「同性愛」
対して〈少女〉らの自殺についての記事が、〈少女〉のためのメデ
こうした〈少女〉と「同性愛」を巡る議論が乱立していた戦前の状
「同性愛」も〈少女〉の死も、あくまで〈少女〉向けメディアで排
今回の調査から、現実の〈少女〉の死が、女学校内では「同性愛」
発表者はこれまで、主に戦前の少女雑誌を資料としていたため、今
※これは2022年6月26日(日)
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
※次回は7月30日(土)15時00分オンライン開催です。
タイトル:
神仏による「祟り方・罰のあて方」
発表者:
羽鳥佑亮氏
要旨:
本発表では、神仏の祟り方・罰のあて方そのものに注目した。 論じるにあたっては神仏による「祟り」や「罰」 と表記されるものに加え、神仏の意に反したと記載、 またそのようによみとれるものを術語として「祟り・罰」とし、 その中から特に、似た傾向をもつと思われた、 対象が疾病を患うもの、対象が事故に遭遇するものを俎上にあげ、 「祟り・罰」の表現の変遷の大きな潮流を確認した。
まず、対象が疾病を患うものについては、 平安時代から室町時代にかけては、対象がどのような「祟り・罰」 の原因とされる行為をとったにしろ、おおよそは、 ただ疾病を患うのみであり、際立った特徴はなかったようだった。 しかし、江戸時代からは、対象がとった「祟り・罰」 の原因とされる行為から連想される疾病を患うものが増加する傾向 にある。
さらに、 対象が事故に遭遇するものについても同様の傾向が認められ、 平安時代から室町時代にかけては、対象がどのような「祟り・罰」 の原因とされる行為をとったにしろ、おおよそは、 ただ何らかの災難に遭遇するのみであり、 際立った特徴はないようだが、江戸時代からは、対象がとった「 祟り・罰」 の原因とされる行為から連想される疾病を患うものが増加する傾向 にある。しかしそれだけではなく、 対象が事故に遭遇するものについてはさらに、江戸時代から、 普通に生活していては遭遇することのない、 いわゆる怪異や妖怪とされるものへ遭遇する、 というものがみられ、これもひとつの潮流となるようである。
こういった潮流が江戸時代に出現した要因としては、 神仏や宗教施設の周辺で起きたことを「祟り・罰」 であるとする認識の強まりや、「因果応報」 として説明されたものが「祟り・罰」 とされたことが考えられるものの、いずれも推測に留まる。 しかし、これらの新しい潮流からは、どうやら「祟り・罰」 の説話は、それまで霊験譚とされていたものから、 耳を驚かせる怪奇譚として享受されるようになったあらわれである といえそうであり、人々の興味が霊験から怪奇に移るという、 さらに大きな流れの一端であろうと考えられる。
質疑応答では、発表でとりあげた「神仏」の指す範囲について、 形而上のもののみで権化を扱うかどうかについての御指摘や、 とりあげられた事例についての補足の御意見があった他、 プレ発表であったこともあり、 発表の体裁や御指導も様々にいただいた。
御指摘の箇所については応答ができなかった箇所もあり、 今後の課題としたい。御意見に感謝を申し上げる次第である。
※これは2022年5月29日(日) にオンラインで開催された第121回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、 必ず発表者名を明記してください。
※次回は6月26日(日)15時00分オンライン開催です。
神仏による「祟り方・罰のあて方」
発表者:
羽鳥佑亮氏
要旨:
本発表では、神仏の祟り方・罰のあて方そのものに注目した。
まず、対象が疾病を患うものについては、
さらに、
こういった潮流が江戸時代に出現した要因としては、
質疑応答では、発表でとりあげた「神仏」の指す範囲について、
御指摘の箇所については応答ができなかった箇所もあり、
※これは2022年5月29日(日)
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
※次回は6月26日(日)15時00分オンライン開催です。