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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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日時:5月25日(火)19:00~21:00
場所:青山学院大学 総研ビル5階 14502教室
  ※正門を入ってすぐ右手にある建物

三浦億人氏
「お伽草子『鼠のさうし』の形成について」

要旨:
 お伽草子(室町物語)には、「鼠」を主人公とする作品が少なくない。お伽草子の時代を生きた人々にとって、数多くの<異類>の中でも、「鼠」が特別な存在であったことは明らかである。試みに『お伽草子事典』(徳田和夫編)を繙いてみると、「鼠の草子」として登録されている作品が3種も存在する。中でも、もっとも知られているのは、サントリー美術館や東博に絵巻として蔵せられている『鼠の権頭(絵巻)』であり、これに次ぐのが、フォッグ美術館に寄託され、『新修日本絵巻物全集・別巻』にも紹介されている異類怪婚譚のものであろう。
 今回私が取り上げる、ケンブリッジ大学図書館所蔵の『鼠のさうし』は、3種の中でも、もっとも認知度の低いものと思われるが、その内容をみると、前2者に劣らず興味ふかく、物語草子と「鼠」の問題を考える上で、重要なテキストであることがわかる。
 発表者は、平成22年度説話文学会大会(於:奈良女子大學)において、本作品を論じる機会を得たが、今回の発表では、さらにこの論を深め、作品の形成や成立背景について考察を加えてみたい。また、説話文学会の折には、時間的制約からほとんど論じることのできなかった、挿絵(全5図)についても、ケンブリッジ図書館から取り寄せたマイクロフィルム資料を用いて、他の<鼠物>の物語草子の挿絵等と比較・検証してみたい。



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 お伽草子『隠れ里』において、鼠の隠れ里という理想郷が木幡野に設定された。その背景としては、寛永年間の飢饉をはじめとする都の荒廃があり、当時の人々の理想郷を希求する動きに結びついた。その際、大黒信仰の広がりから致富への予兆とされ、また飢饉の際に強く意識されていた鼠への眼差しが、鼠の隠れ里を身近な場所に求めたのであろう。それが木幡に求められたのは、京周辺に存在すると考えられた鼠の隠れ里の口頭伝承、さらに木幡という地が持つ境界性が異界と結びついたと考えられる。さらにその理想郷描写には、特殊な四方四季ともいうべき表現も見られた。
 隠れ里の風景、特に宝物や食の問題など、『鼠の草子』、『をごぜ』、『酒飯論』などと関わり、論じるべき点は多く残されている。今後、さらに読みを深めていきたい。

(文・発表者塩川和広氏)

以上、第37回例会(5月21日・於青山学院大学)の発表要旨です。

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日時:5月21日(火)19:00~21:00
場所:青山学院大学 総研ビル6階 14602教室
  ※正門を入ってすぐ右手にある建物

塩川和広氏
「福神の眷属の世界―木幡野の鼠の隠れ里を端緒にして」

 本発表は、お伽草子『隠れ里』に見る鼠の隠れ里を足掛かりにして、16、17世紀にかけての異界観の一端を考察するものである。
 明暦頃の成立と見られる『隠れ里』は、木幡野という地に鼠の隠れ里を設定した。木幡野は平安時代以来の葬送の地でもあるが、中世には異類物の舞台ともされる。木幡野と鼠の隠れ里の繋がり、またそこに投影された理想郷の表現から、お伽草子「福神物」における異類、異界の意義を追求したい。


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 明治時代における妖怪・お化けに関する研究で、最も有名なものは井上円了による妖怪研究であろう。仏教哲学者である円了は『妖怪学講義』『妖怪玄談』などの著作を記し、また1893年には「妖怪研究会」を設立するなど、哲学や科学によって妖怪や迷信、俗信の打破を目指した。これらの研究は明治維新・文明開化による日本の様々な面での西欧化・近代化の大きな流れのうちの一つとしてとらえることができるが、同時に、円了は明治期において最も妖怪やお化けについて詳しい人物でもあった。
 しかし、円了が全国を巡回し、講演会を行い始めた頃に、讀賣新聞紙上でとある会が発足した。それが「化物会」である。

 1907年7月に発足したこの「化物会」は、「お化は居るものとか居ないものとかいう様な野暮な研究にあらず」「昔からあると伝えられたるお化を利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試むるもの」であると紙面上で盛んに宣伝し、第一回会合には坪井正五郎、芳賀矢一、鳥居龍蔵といった当時の有名な研究者の面々を集めたにも関わらず、同年9月の初めには紙上からほぼ完全に消滅してしまった、謎の会である。しかし、わずか二ヶ月ほどの活動期間の記事には、その当時の妖怪に対する見方や、現代においても重要な記述や指摘などが多くあり、この会の活動について研究することは意義があると思われる。
 当時、井上円了による「妖怪学」が興隆し、円了自身が全国で講演会を開くほどであった。妖怪の実在・非実在や迷信の害についてなど、啓蒙的な学問であった妖怪学に対抗する形で、「お化けを利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試みる」という別視点からの研究を求めた結果だったと考えられる。
 また、「集古会」や「流行会」に代表されるように、当時の文化人は趣味や学問を共有して楽しむ傾向があったように思われる。「化物会」もその一環だったのではないか。 
 1907年8月30日の讀賣新聞の社告『九月以後の讀賣新聞』に、「三面記事改良」という項があり、『淫猥なるものを避け、毒悪なるものを避け、常に高尚なる材料を選んでかかげ、(中略)一家団欒の席上にて朗読するも決して顔を赤らめたり、不快に感じたるする事なきは本紙三面記事の特徴なり、…』と書かれた。「化物会」関連の最後の記事である『珍怪百種 完』が9月5日であることを考えると、一連の活動は三面記事改良に伴って連載不可になってしまった可能性がある。1908年2月22日の投書欄に『化物研究会は其の後どうなりました 会名が会名だけに立ち消えになりはせぬかと心配しています』という投書があり、読者にも告知なく消えてしまったことが推察できる。
 単純にお化けらしい季節である夏季のみの活動だったのではないかとも考えられるが、仮規則などは長期活動を考えた内容となっているので、短期活動だったとは考えにくい。


以上、毛利恵太氏「明治期の讀賣新聞における「化物会」の活動について」(第36回例会発表)の要旨でした。

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日時:4月20日(土)14:00~18:00
場所:専修大学 神田校舎 一号館 74教室


毛利恵太氏
明治期の讀賣新聞における「化物会」の活動について


要旨:
「化物会」とは、1907年(明治40)に讀賣新聞紙上にて活動を報告していた研究組織である。当時は井上円了を中心とした「妖怪学」が興隆し、円了が全国で講演会を行っていた時期でもある。この時期に「お化は居るものとか居ないものとかいう様な野暮な研究にあらず」という言葉とともに活動を開始し、わずか数ヶ月で新聞紙上から姿を消した化物会とはどのような存在だったのか、それを中心に発表したいと思う。

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