異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
本発表においては『女郎花物語』所引の鷹説話の背景を探索することで、鷹書の知の領域を検討した。
『女郎花物語』では、『金葉集和歌集』(三奏本)(五六五)に基づく心変わりした男に、鷹の道を心得た和歌を詠じる桜井の尼の話、天竺摩訶陀国にて鷹を遣い始めた長水仙人の死後、その妻の夢で天女が錦の袋に入った薬の書を与え、これを国王に伝授したことにより俸禄に与った話、仁徳朝に来朝した高麗国の鷹飼が、孤竹という女と契り、三年を経て帰国する際に鷹の秘術を伝授したという鷹の伝来説話の三つの鷹関連説話が記される。
この説話の背景として鷹書の世界を想定し、以下三つの観点から検討した。
1、政頼の「思ひ妻」説話
『金葉集』歌は天下無双の鷹飼として喧伝されていたせいらいに関わる説話として鷹百首注に取り込まれ、鷹百首注を取り込む『藻塩草』により連歌の知として浮上した。
2、「こちく」説話
鷹の伝来説話における「こちく」は鷹書のみではなく、連歌や庭訓往来注の世界でも影響が確認された。
3、鷹の薬水
鷹の薬水に関する説の背後にこちくを読みとくことによって、『女郎花物語』長水の妻に通じる女による鷹の療治に関する伝承を検討した。
秘伝とされ、独自の知を築いてきたようにみられる鷹書の世界であるが、和歌・連歌の学のもとで説話を生成し、そこで生成された知は再び連歌の知にも投入され、一方で枝分かれした形で鷹書独自の秘伝・秘説に結実していく。鷹書という知のありようは多様な展開を遂げる中世最末期の知の基盤を解く鍵となるのではないか。
以上、発表者大坪舞氏による要旨でした。
なお、本発表内容は近刊の学術誌に掲載されます。
刊行されましたら、本ブログ上でもご報告します。
さて、次回は今月下旬に開催します。
詳細は近々ご案内します。
初めて参加ご希望の方はご一報ください。
歓迎します。
『女郎花物語』では、『金葉集和歌集』(三奏本)(五六五)に基づく心変わりした男に、鷹の道を心得た和歌を詠じる桜井の尼の話、天竺摩訶陀国にて鷹を遣い始めた長水仙人の死後、その妻の夢で天女が錦の袋に入った薬の書を与え、これを国王に伝授したことにより俸禄に与った話、仁徳朝に来朝した高麗国の鷹飼が、孤竹という女と契り、三年を経て帰国する際に鷹の秘術を伝授したという鷹の伝来説話の三つの鷹関連説話が記される。
この説話の背景として鷹書の世界を想定し、以下三つの観点から検討した。
1、政頼の「思ひ妻」説話
『金葉集』歌は天下無双の鷹飼として喧伝されていたせいらいに関わる説話として鷹百首注に取り込まれ、鷹百首注を取り込む『藻塩草』により連歌の知として浮上した。
2、「こちく」説話
鷹の伝来説話における「こちく」は鷹書のみではなく、連歌や庭訓往来注の世界でも影響が確認された。
3、鷹の薬水
鷹の薬水に関する説の背後にこちくを読みとくことによって、『女郎花物語』長水の妻に通じる女による鷹の療治に関する伝承を検討した。
秘伝とされ、独自の知を築いてきたようにみられる鷹書の世界であるが、和歌・連歌の学のもとで説話を生成し、そこで生成された知は再び連歌の知にも投入され、一方で枝分かれした形で鷹書独自の秘伝・秘説に結実していく。鷹書という知のありようは多様な展開を遂げる中世最末期の知の基盤を解く鍵となるのではないか。
以上、発表者大坪舞氏による要旨でした。
なお、本発表内容は近刊の学術誌に掲載されます。
刊行されましたら、本ブログ上でもご報告します。
さて、次回は今月下旬に開催します。
詳細は近々ご案内します。
初めて参加ご希望の方はご一報ください。
歓迎します。
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お伽草子『梅津長者物語』には、七福神に退治される貧乏神の姿が描かれている。『発心集』『沙石集』にも貧報の冠者、貧窮殿という名で貧窮を司る存在が登場するが、貧乏神という言葉が確認できるのは16世紀初頭の俳諧などからである。ただし『大乗院寺社雑事記』文明十五年条に福天と賓法神が京と和泉・堺を往来したとの記述があり、賓法神が貧乏神であるとすればより早い例として注目される。
この貧乏神の姿を絵画化したのが『梅津長者物語』であり、柿帷子を着て、団扇を手にした十四、五の禿で、大勢で行動するのが特徴である。貧乏神は、福神と共存することはできず、退散することで間接的に富を与える存在となっている。
『梅津長者物語』の貧乏神の姿は、髪を禿に切り回し、赤い直垂を着た、十四、五の子供と『平家物語』諸本に記される禿童と重なる。また同時代の作品の貧乏神の様子はどうであったかというと、俳諧や狂歌などに渋団扇に貧乏神がつくという繋がりがうかがえ、井原西鶴『日本永代蔵』に渋帷子、破れ団扇、紙子頭巾の貧乏神像が出てくるなど、室町時代末から近世にかけての貧乏神の姿に、柿色の装い、団扇という共通性が見てとれる。
まだ検証は不十分ではあるが、貧乏神の柿色の装いには被差別民の姿が投影されていると考えている。特に犬神人は柿帷子と白い覆面ないし頭巾という姿で、『日本永代蔵』の貧乏神の姿と近しい。退散することで福をもたらす貧乏神が、穢れを払う犬神人の姿と重なるのは注目すべきであろう。『梅津長者物語』の貧乏神の姿とは異なるが、両者は渋柿色でつながれている。また貞享五年刊『貧人太平記』などに、破れ団扇を手に行列する非人が描かれており、柿帷子に加えて被差別民への眼差しが重ねられていると言えそうである。
福神の流行と時を同じくして現れた柿色の貧乏神の姿には、富と関わる社会的なイメージがより強く反映されていると考えられる。そこから想像された禿童と犬神人という二つの姿を手がかりに、さらに検討を重ねたい。
以上、発表者塩川和広氏による要旨でした。
これは2012年2月24日の例会(於国学院大学)において発表したものです。
次回の会は前の記事に示したとおり、
日時:3月23日(金)18時00分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
です。詳細は下記参照。
http://irui.zoku-sei.com/Entry/54/
この貧乏神の姿を絵画化したのが『梅津長者物語』であり、柿帷子を着て、団扇を手にした十四、五の禿で、大勢で行動するのが特徴である。貧乏神は、福神と共存することはできず、退散することで間接的に富を与える存在となっている。
『梅津長者物語』の貧乏神の姿は、髪を禿に切り回し、赤い直垂を着た、十四、五の子供と『平家物語』諸本に記される禿童と重なる。また同時代の作品の貧乏神の様子はどうであったかというと、俳諧や狂歌などに渋団扇に貧乏神がつくという繋がりがうかがえ、井原西鶴『日本永代蔵』に渋帷子、破れ団扇、紙子頭巾の貧乏神像が出てくるなど、室町時代末から近世にかけての貧乏神の姿に、柿色の装い、団扇という共通性が見てとれる。
まだ検証は不十分ではあるが、貧乏神の柿色の装いには被差別民の姿が投影されていると考えている。特に犬神人は柿帷子と白い覆面ないし頭巾という姿で、『日本永代蔵』の貧乏神の姿と近しい。退散することで福をもたらす貧乏神が、穢れを払う犬神人の姿と重なるのは注目すべきであろう。『梅津長者物語』の貧乏神の姿とは異なるが、両者は渋柿色でつながれている。また貞享五年刊『貧人太平記』などに、破れ団扇を手に行列する非人が描かれており、柿帷子に加えて被差別民への眼差しが重ねられていると言えそうである。
福神の流行と時を同じくして現れた柿色の貧乏神の姿には、富と関わる社会的なイメージがより強く反映されていると考えられる。そこから想像された禿童と犬神人という二つの姿を手がかりに、さらに検討を重ねたい。
以上、発表者塩川和広氏による要旨でした。
これは2012年2月24日の例会(於国学院大学)において発表したものです。
次回の会は前の記事に示したとおり、
日時:3月23日(金)18時00分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
です。詳細は下記参照。
http://irui.zoku-sei.com/Entry/54/
第27回異類の会例会
日時:3月23日(金)18時00分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
※学術メディアセンターは図書館が入っている建物です。
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
大坪舞氏
「鷹と恋―「こちく」を中心に」
要旨:鷹のとまる木である「木居(こゐ)」が「恋」と通じることもあり、鷹狩は恋歌として多く詠じられるが、これに加え鷹書の中では有名な恋物語がある。「せいらい」が渡来人の鷹飼から鷹道を伝授されるために「こちく」という美女を娶わせるもので、この説話が起源となる「故竹流」という流派の名すら確認されるほど広範な影響が見られる。
本発表では、鷹書の世界を「こちく」の説話を中心として検討したい。
なお、前回(第26回)の発表要旨は追って掲載します。しばしお待ちを。
日時:3月23日(金)18時00分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
※学術メディアセンターは図書館が入っている建物です。
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
大坪舞氏
「鷹と恋―「こちく」を中心に」
要旨:鷹のとまる木である「木居(こゐ)」が「恋」と通じることもあり、鷹狩は恋歌として多く詠じられるが、これに加え鷹書の中では有名な恋物語がある。「せいらい」が渡来人の鷹飼から鷹道を伝授されるために「こちく」という美女を娶わせるもので、この説話が起源となる「故竹流」という流派の名すら確認されるほど広範な影響が見られる。
本発表では、鷹書の世界を「こちく」の説話を中心として検討したい。
なお、前回(第26回)の発表要旨は追って掲載します。しばしお待ちを。
第26回異類の会例会
日時:2月24日(金)18時30分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
※学術メディアセンターは図書館が入っている建物です。
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
塩川和広氏
「柿帷子と渋団扇~貧乏神のイメージ」
要旨:お伽草子『梅津長者物語』には、七福神に退治される貧乏神の姿が描かれる。柿帷子と渋団扇という貧乏神の装いには、どのようなイメージがかさねられているのか考察する。
なお、今回の会場は教室ではないので、もしかしたら寒いかも知れません。
ご注意を。
日時:2月24日(金)18時30分~
場所:國學院大學学術メディアセンター一階ラウンジ
※学術メディアセンターは図書館が入っている建物です。
http://www.kokugakuin.ac.jp/content/000007812.pdf
塩川和広氏
「柿帷子と渋団扇~貧乏神のイメージ」
要旨:お伽草子『梅津長者物語』には、七福神に退治される貧乏神の姿が描かれる。柿帷子と渋団扇という貧乏神の装いには、どのようなイメージがかさねられているのか考察する。
なお、今回の会場は教室ではないので、もしかしたら寒いかも知れません。
ご注意を。
本発表では、まず現在確認できる十点のリストを掲げ、『こほろぎ物語』諸本の概観を試みた。あわせて伝本の紹介を中心とする研究状況を確認した。
従来、新たな伝本が紹介される際に、基準とされてきた内閣文庫本だけでは、諸本把握の目安とはなりにくく、九曜文庫本を加えて検討する必要があるとの見解を述べた。
その上で、これまで存在は知られていたものの、文学研究の側からはほとんど言及されることがない『照国公御母堂賢章院夫人遺芳録』所載本文を取り上げ、
諸本間に異同がみられる和歌に関して考察をおこなった。
最後に、今後の展望として、賢章院を『こほろぎ物語』の作者とする言説について、幕末・近代における薩摩の文化状況をふまえて検討する必要があろうことを述べて締めくくりとした。
以上、発表者宮腰直人氏による要旨でした。
これは2012年1月27日の例会(於青山学院大学)において発表したものです。
なお、次回例会は2月24日(金)18:00~です。
従来、新たな伝本が紹介される際に、基準とされてきた内閣文庫本だけでは、諸本把握の目安とはなりにくく、九曜文庫本を加えて検討する必要があるとの見解を述べた。
その上で、これまで存在は知られていたものの、文学研究の側からはほとんど言及されることがない『照国公御母堂賢章院夫人遺芳録』所載本文を取り上げ、
諸本間に異同がみられる和歌に関して考察をおこなった。
最後に、今後の展望として、賢章院を『こほろぎ物語』の作者とする言説について、幕末・近代における薩摩の文化状況をふまえて検討する必要があろうことを述べて締めくくりとした。
以上、発表者宮腰直人氏による要旨でした。
これは2012年1月27日の例会(於青山学院大学)において発表したものです。
なお、次回例会は2月24日(金)18:00~です。