異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
『おおかみこどもの雨と雪』(以下「おおかみこども」)は大学生の花と「彼」と呼ばれるニホンオオカミの血を引く男が出会い、二人の間に雪と雨という子供が生まれ、そしてその二人の子供たちがそれぞれ自立しハナの手元を離れていくまでの13年間の物語である。
本研究のねらいは物語としての「おおかみこども」に注目し、話型の解釈や、登場人物の姿を民俗学的・文化人類学的に解釈するものである。
まず確認しておきたいのは、この物語は異類婚の話型をもつことである。異類婚の話型とは昔話の「魚女房」を基準とすると以下の六つの法則がある。
第1法則 異類と人間とが出会う。
第2法則 異類が人間となり一方的に人間に求婚し両者が結婚する。
第3法則 結婚後のタブーがある。
第4法則 人間がタブーを犯し異類の本性が発覚する。
第5法則 本性が発覚すると結婚が破綻し両者は離別する。
第6法則 後日譚がある。
「おおかみこども」では、第1法則は、花の夢の中で、実現される。第2法則は逆になっていて、花という人間の女が積極的に異類に接近し結婚する。第3・第4法則はないが、第5・第6法則はある。特に「おおかみこども」の物語はこの第6法則である後日譚が異様に長いものになっている。言わば、異類婚の話型の後日譚が異様に膨らんだ物語といってよい。ただし、上記の異類婚の法則は異類女房譚をもとにしているため、「おおかみこども」の彼は異類婿であるから、本来は異類婿譚をもとに法則を考えなくてはならない。しかし、異類婿譚の場合、猿婿入りや犬婿入りの多くは異類婿は殺され、子孫が残される話ではない。その点を考えると、三輪山神話をもとに異類婚の法則を作り直し、改めて「おおかみこども」と照らし合わせる必要があろう。
次に「おおかみこども」の物語を読み解くうえで重要なのは花の人物像である。
筆者は花を巫女であると位置づけた。なぜなら、花は巫女的な特殊な能力をいくつかもつことが彼女のしぐさや精神性に確認できるからである。
彼女の特殊能力の一つは他界とつながることができることである。例えば物語の中で花の夢が三回描かれる。イ)オープニング、ロ)彼の死後の直後、ハ)息子の雨が山へ行ってしまったとき。イは予知夢。これから出会うであろう彼をシルエットで見る。ロは死んだ彼を他界の境界まで追う。ただし、花は彼には追いつけず、そのままこちらの世界へ戻ってくる。ハは死者である彼と会う。この死者と会うというのが重要である。すると、彼女は憑依型の巫女ではなく、脱魂型の巫女に近いのではないか。つまり花は他界とこちらの世界を夢の中ではあるが行き来できる特殊な能力をもつ女性なのだ。
彼女の特殊能力のもう一つは〈笑い〉である。彼女の〈笑い〉は呪術的な行為である。例えば、パプアニューギニアのカルリ族の歌合戦「ギサロ」では、聴衆が対戦相手側の歌い手たちを笑わせるという行為があるが、なぜなら、笑いによって、相手側の歌に引き込まれないようにするためである。ここでは、笑いが歌のもつ呪力に対抗する行為として、つまり、相手の歌の力に抗う行為として存在する。〈笑い〉は呪力に抗う行為である。すると、花の〈笑い〉は、このカルリ族のギサロにおける笑いのはたらきと同じように思われる。なぜなら、困難極まりないとき、或いは、悲しみの絶頂のとき、花は〈笑う〉のだが、〈笑う〉ことによって、花はその困難さや悲しさに抗っていると思われる。花の〈笑い〉は、苦しみや悲しみを無化しようとする行為であり、これはリアリズム的な行為ではなく、むしろ呪術的と言える。
以上のように花という女性は巫女的な特殊能力をもつ人物であるのだが、問題は、なぜ「おおかみこども」の物語に花という巫女が呼ばれたのかということである。特に、この物語は子育ての物語であるとされており、なぜ子育ての物語に巫女なのか、また、なぜ異類婚なのか。今後はこれらの問いを明らかにしていく必要がある。
以上、飯島奨氏「『おおかみおとこの雨と雪』を読む」(2013年2月例会)の発表要旨でした。
本研究のねらいは物語としての「おおかみこども」に注目し、話型の解釈や、登場人物の姿を民俗学的・文化人類学的に解釈するものである。
まず確認しておきたいのは、この物語は異類婚の話型をもつことである。異類婚の話型とは昔話の「魚女房」を基準とすると以下の六つの法則がある。
第1法則 異類と人間とが出会う。
第2法則 異類が人間となり一方的に人間に求婚し両者が結婚する。
第3法則 結婚後のタブーがある。
第4法則 人間がタブーを犯し異類の本性が発覚する。
第5法則 本性が発覚すると結婚が破綻し両者は離別する。
第6法則 後日譚がある。
「おおかみこども」では、第1法則は、花の夢の中で、実現される。第2法則は逆になっていて、花という人間の女が積極的に異類に接近し結婚する。第3・第4法則はないが、第5・第6法則はある。特に「おおかみこども」の物語はこの第6法則である後日譚が異様に長いものになっている。言わば、異類婚の話型の後日譚が異様に膨らんだ物語といってよい。ただし、上記の異類婚の法則は異類女房譚をもとにしているため、「おおかみこども」の彼は異類婿であるから、本来は異類婿譚をもとに法則を考えなくてはならない。しかし、異類婿譚の場合、猿婿入りや犬婿入りの多くは異類婿は殺され、子孫が残される話ではない。その点を考えると、三輪山神話をもとに異類婚の法則を作り直し、改めて「おおかみこども」と照らし合わせる必要があろう。
次に「おおかみこども」の物語を読み解くうえで重要なのは花の人物像である。
筆者は花を巫女であると位置づけた。なぜなら、花は巫女的な特殊な能力をいくつかもつことが彼女のしぐさや精神性に確認できるからである。
彼女の特殊能力の一つは他界とつながることができることである。例えば物語の中で花の夢が三回描かれる。イ)オープニング、ロ)彼の死後の直後、ハ)息子の雨が山へ行ってしまったとき。イは予知夢。これから出会うであろう彼をシルエットで見る。ロは死んだ彼を他界の境界まで追う。ただし、花は彼には追いつけず、そのままこちらの世界へ戻ってくる。ハは死者である彼と会う。この死者と会うというのが重要である。すると、彼女は憑依型の巫女ではなく、脱魂型の巫女に近いのではないか。つまり花は他界とこちらの世界を夢の中ではあるが行き来できる特殊な能力をもつ女性なのだ。
彼女の特殊能力のもう一つは〈笑い〉である。彼女の〈笑い〉は呪術的な行為である。例えば、パプアニューギニアのカルリ族の歌合戦「ギサロ」では、聴衆が対戦相手側の歌い手たちを笑わせるという行為があるが、なぜなら、笑いによって、相手側の歌に引き込まれないようにするためである。ここでは、笑いが歌のもつ呪力に対抗する行為として、つまり、相手の歌の力に抗う行為として存在する。〈笑い〉は呪力に抗う行為である。すると、花の〈笑い〉は、このカルリ族のギサロにおける笑いのはたらきと同じように思われる。なぜなら、困難極まりないとき、或いは、悲しみの絶頂のとき、花は〈笑う〉のだが、〈笑う〉ことによって、花はその困難さや悲しさに抗っていると思われる。花の〈笑い〉は、苦しみや悲しみを無化しようとする行為であり、これはリアリズム的な行為ではなく、むしろ呪術的と言える。
以上のように花という女性は巫女的な特殊能力をもつ人物であるのだが、問題は、なぜ「おおかみこども」の物語に花という巫女が呼ばれたのかということである。特に、この物語は子育ての物語であるとされており、なぜ子育ての物語に巫女なのか、また、なぜ異類婚なのか。今後はこれらの問いを明らかにしていく必要がある。
以上、飯島奨氏「『おおかみおとこの雨と雪』を読む」(2013年2月例会)の発表要旨でした。
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