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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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 本発表では、〈キカイガシマ〉と、〈イオウガシマ〉が具体的にどの島に相当するかといった問題に主眼を置くのではなく、〈キカイガシマ〉という言葉と、〈イオウガシマ〉という言葉の、語誌を確認していった。そして、この作業を踏まえ、永山修一が指摘する十二世紀末期を境に「キカイガシマ」の表記が「貴駕島」から「鬼界島」のように「鬼」の字を用いた表記に変化した問題を中心に、中世日本に於ける西の境界領域の様相を検討した。
  本発表では、その検討にあたり、〈キカイガシマ〉という語と〈イオウガシマ〉という語に対する認識の相関関係に着目した。当時の薩南諸島に対する認識の在り方に重要な役割を果たすのは硫黄である。中国に於ける火薬兵器製作の発展に伴い、交易品としての硫黄の価値が高まったことから、硫黄を産する島々に注目が集まり、薩南諸島に対する認識も大きく変化したものと思われる。そうした流れの中で十二世紀に〈イオウガシマ〉が出現する。そして、重要な輸出品である硫黄の管理の一環として、硫黄を産する島々の統治も行われていったものと思われる。さらに、こうした状況は、自ずと流刑として適した土地にもなっていったのではあるまいか。
 こうして交易品を多く産出する土地として、或いは流刑に適した土地として〈イオウガシマ〉に対する注目が集まった。それに伴い、同じく薩南諸島の一地域を指す〈キカイガシマ〉の、交易品を産出する土地としての認識は影を潜めるようになったのではなかろうか。すなわち、交易や流刑など現実的なやりとりで用いられる薩南諸島の呼称として〈イオウガシマ〉が台頭してくることにより、〈キカイガシマ〉は徐々に、西の境界領域としての観念的な性質が色濃くなっていったのではなかろうか。つまり、〈キカイガシマ〉は、現実的なやりとりに登場する機会が減ることにより、認識の上で遠い空間となり、西の最果ての呼称としての性質を色濃くしていったものと思われるのである。そして、このように認識の上で遠い空間として認識されてゆくことにより、例えばかつての遣唐使達が大陸へ渡る際の海上ルートであった「美祢良久之埼」(『肥前国風土記』松浦郡値嘉郷条)が、菅原道真の建議により遣唐使が停止されてから約百年後に成る『蜻蛉日記』に於いては「みゝらくの島」なる「なくなる人の、あらはに見ゆるところ」として、死者の魂の集まる海上彼方の常世国に対する認識が付与されていったように、〈キカイガシマ〉にも冥界(地獄)の認識が付与され、異境としての認識と、異界としての認識の入り交じった空間として捉えられていったものと思われるそして、またその一方で〈キカイガシマ〉は、『竹取物語』や『今昔物語集』に語られるような、〈知らぬ所〉としての性質も色濃くなり、それに伴い〈キカイガシマ〉は「鬼」、或いは「鬼がかつて住んでいた」という歴史観と結びつけて捉えられるに至ったのではないだろうか。
 
以上、発表者杉山和也氏による要旨でした。
これは2011年12月26日の例会(於青山学院大学)において発表したものです。

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 本発表では、室町後期の公家である持明院基春と、その周辺にあったと考えられる『似則似鳩抄』を検討した。
 持明院家は西園寺家とともに鷹の道を家業とする家柄として知られる。しかし、鎌倉期以来鷹狩を好む家柄として認識されていた西園寺家に対して、持明院家の人物が鷹狩を行った記載は史料上見出し得ない。同家が鷹を家業とする家として広く認知されるのは室町後期以降であるが、その契機として、持明院基春・基規による鷹書の収集・書写・編纂活動が考えられる。
 持明院家の鷹書研究においては、従来群書類従に所収される鷹書が検討の対象の主であった。しかしこれらは近世期の写本が主で、室町期の写本は限られている。本発表では、基春・基規周辺での鷹書の蒐集・編纂により迫るため、基春自筆本などが多く確認される尊経閣文庫に所蔵され、基春周辺での編纂と考えられる『似則似鳩抄』を取り上げた。
 持明院基春・基規は鷹の道のみではなく、入木道・郢曲道の家を確立している。『似則似鳩抄』第四十条では、鞠道・歌道と郢曲道、あるいは歌道と入木道の関わりについても記載する。この記載は基春が書写した蹴鞠書(内閣文庫蔵甘露寺家旧蔵本『蹴鞠抄物部類』所収『蹴鞠条々大概』)、あるいは近世持明院流の入木道の書(『入木道相伝事』)などと共通する部分がある。
 基春は歌道・蹴鞠道あるいは衣紋道なども視野に入れた幅広い伝書蒐集・書写活動を行っており、持明院家の鷹書の編纂活動、ひいては鷹の家業化はこれらの書写活動の中に位置づけるべきではないかと考察した。
 以上のように、同書は持明院家の芸道を考える上でも重要であると同時に、室町後期の公家の芸道観の一端を明らかにするための資料として期待されるものであり、今後も検討を続けたいと考えている。


以上、発表者大坪舞氏による要旨でした。

なお、次回は12月26日(月)午後4時から青山学院大学で開催します。
詳細は近々ご案内します。
初めて参加ご希望の方はご一報ください。

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第23回異類の会例会のご案内

日時:11月25日(金)18時30分~
場所:青山学院大学11号館2階1121教室

大坪舞氏
「持明院基春と鷹書」

要旨:
 室町後期においては鷹書が盛んに生成されていく。持明院基春とその子基規は、多くの鷹書の執筆・書写に携わると同時に、入木道・郢曲道の家を確立し、室町後期の公家の芸道を研究する上で注目すべき父子である。
 京ではなく美濃で過ごすことも多かった基春の鷹書においては京都における天皇の鷹狩にまつわる記載が多く含まれている。中でも禁裏御料の狩場であり、日次の贄を献上するために鷹狩が行なわれた交野は歌枕としても定着しており、和歌に多く詠まれると同時に、基春の鷹書にも記載がみられる。
 本発表では、持明院基春周辺を中心に中世における禁野交野の記載を検討することによって、室町後期以降、公家の地方下向が盛んであった時代における在国、京という二つの空間を、その精神も含めて明らかにすることを目的とする。

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11月例会の発表者は決まりました。
日程はたぶん23日(水・勤労感謝の日)になるかと思います。
ただし、場所は未定です。
追って詳細をお知らせします。

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 室町時代以降、急速に信仰の広がりを見せた福神信仰は、お伽草子の中にも取り入れられ、その姿を変容させた。本発表では主に『大黒舞』『梅津長者物語』における大黒天と貧乏神の描写について考察した。
両作品において、大黒天は白い面相で描かれ、打出の小槌をふるって戦い、また舞の道具として用いる。儀軌に黒い肌とされる大黒天が白く描かれるのは『豊国祭礼図屏風』に描かれるような、芸能民が被る面とのつながりが想像される。打出の小槌は本来鬼の持ち物とされ、大黒天と鬼のイメージの連絡が注目される他、宝物を打ち出す小槌を武器として使用することも特徴的である。『渓嵐拾葉集』に記される盗賊避けの大黒天や、『犬筑波集』に収録された俳諧がこの大黒天像の形成に影響を及ぼしていると考えられる。『今昔物語集』16-32の小槌で叩いて病を起こす疫病神の姿も、鬼と打出の小槌との関わりから重要であるが、打出の小槌という宝物を武器として用いるというのは、二作品から見られる特徴的な姿である。
 大黒舞という芸能を大黒天自身が舞うという趣向も含めて、ここに描かれる大黒天には芸能民の姿が投影されており、なおかつ宝物を単なる武器や舞の道具として用いる姿には、福を授ける存在という信仰からの解離が見える。これは福神が、信仰から切り離されて人と同じ存在にまで引きずり下ろされていくという、お伽草子における福神描写の流れに則ったものであり、『大黒舞』から福神の擬人化が生み出されていったということができる。また大黒天に芸能民の姿が重ねられていたように、『梅津長者物語』に描かれる貧乏神の姿にも、特定の階層の人々が投影されていたようである。柿帷子などに象徴されるその姿は、ライ病者や犬神人などの姿と共通し、中世末から近世初期にかけての、人々の被差別民を見る眼差しを考える上でも、この作品は重要であると言えよう。


以上、発表者塩川和広氏による要旨でした。
※この内容は第22回例会(7月22日・於青山学院大学総研ビル3階1135教室)での発表に基づくものです。

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誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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