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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:
 妖怪を芸術でくくる試み
発表者:永島大輝氏
要旨:

 『妖怪芸術史』というような本を出すことを考えており、まず、発表者の専門は民俗学なので、芸術という語と妖怪を結び付けて言及することについてまずは整理させてもらった。そこで芸術とは鑑賞されるものと定義し、あらゆる民俗事例なども鑑賞されるときは芸術みなせるというようなゆるい定義で執筆する宣言をした。たとえば、なにかしらの習俗も写真に撮られれば、それを芸術として捉えることができる。(鶴見俊輔がいう「限界芸術」には家族アルバムや記録映画という項目もある。)
 妖怪は語りの中でも認識の中でも常に変化するものであるが、やはり記録され文章などで固定化されると、それを鑑賞されることもある。芸術になり固定キャラクターとして成立してしまう。会話も記録されて留められてしまうと時には怪談として作品になってしまう。
 こうした導入は、読者にとって必要ないものなのかもしれないが、ある程度研究者にも引用してもらえる文章を書かねばとも思っており、自身の書いているものを位置づける意味でも自分にはそうした文脈の宣言が必要であった。 
 大衆芸術についての発表ということで扱う題材の範囲を示した。乾英治郎によれば、日本ではサブカルチャー=ポップカルチャーである。漫画・アニメ・コンピューターゲームなどの大衆芸術がそれにあたる(参考文献 「『サブカル』の中に怪異を探す」怪異怪談研究会監修『怪異怪談探索ハンドブック』青弓社 2025)ので、妖怪漫画や図鑑をとりあげた。
 妖怪漫画作品と図鑑には、清水潤の「1970年の妖怪革命」や京極夏彦の「通俗的妖怪」といった先行研究からの語があり、適宜使用した上で、引用参照される妖怪図鑑の萌芽は近世にもみられる(香川雅信『江戸の妖怪革命』角川学芸出版 2013・村上紀夫『怪異と妖怪の近世 情報社会としての近世』創元社 2023など)という流れを確認。
 それらを踏まえて漫画作品『GANTZ』や『ぬらりひょんの孫』の参照したであろう作品について考察をした。たとえば、『ぬらりひょんの孫』は、以前、伊藤慎吾・氷厘亭氷泉編『列伝体妖怪学前史』勉誠出版2021の江馬務の箇所でも触れたが、辻惟雄『奇想の江戸挿絵』集英社 2008から図版が使用されている。
 大まかな流れとしては特に新しいことを言えたというよりは、これまでの先行研究に、その後の漫画を当てはめただけのようなものではある。むしろ先行研究の流れを整理することが書籍になったときに有効なのかもしれないと発表しつつ感じた。
質疑応答では、拡散していく妖怪概念の中で、伝わりにくいところもあったようで、改めて今回の発表は大衆芸術というくくりに依拠した論であることを述べた。やはりそう限定したからには、妖怪漫画や図鑑の先行研究をある程度網羅して文章にまとめたいところである。誰もが妖怪作品と思う作品でありながら妖怪の語を使わない作品に関してその言い換えに関しての情報提供も多かった。
 また、発表の中で、『奇想の江戸挿絵』に載っていた記憶があった図版が見つからなかったということを述べたが、その後参加者の氷厘亭氷泉さんが確認してくださりp58にその該当図版が載っていたことをここに報告する。
(文・永島大輝氏)

*これは2025年12月27日(土)にオンライン(Zoom)で開催された第162回の要旨です。
*上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
*次回は1月25日(土)15時に対面・オンライン(Zoom)のハイブリッドで開催予定です。

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「アニミズム、パースペクティヴィズム、マルチスピーシーズ――民俗学的/人類学的な異類・妖怪研究のための理論的エクスポジション」廣田龍平氏

要旨:
今回の発表では、異類・妖怪研究に資する見込みのある人類学理論を、近年のいわゆる「存在論的転回」をベースとして紹介することを試みた。
20世紀から21世紀初頭にいたるまで、人文学・社会科学的な異類・妖怪研究は、「動物は変身しない」「妖怪は実在しない」などの自然科学的知見を前提として進められてきた。しかしこの前提は、民俗誌/民族誌的な話者とは共有されていないことが多い。この「ねじれ」を生じさせる「世界(自然)は一、文化は多」という西洋近代の文化相対主義に対して、「存在論的転回」は、たとえば話者の「動物が変身する」世界と研究者の「動物が変身しない」世界が、人間とさまざまな非人間との関係的実践をとおして、それぞれどのように現実化していき、また概念化されていくのかを問う。世界は、研究者が超越的視点に立てるような「一」のままではなく、「諸世界」として複数化していくもの(しかし別々になるわけではない)なのである。研究者は、話者の世界をそのまま記述することはできないが(翻訳において訳文と原文が異なるように)、みずからの概念を変容させていくことにより、「他者化」していくことはできる(翻訳により言語そのものが変容していく)。このプロセスを続けていくことが重要なのである。
ブリュノ・ラトゥールは、「類型」と「爆弾」という表現によって、「存在論的」と呼ばれる人類学的概念を分けてみることを試みた。今回は前者の代表としてフィリップ・デスコラのアニミズム、後者の代表としてエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロのパースペクティヴィズムを紹介した。
デスコラは、西洋近代の存在論を構造的に相対化するため、人々が非人間を存在論的にどう捉えるのかを「内面性」と「身体性」に分けて考え、それぞれが人間と似ているか異なるかによって4つの類型があることを示した。なかでも西洋近代の自然主義は、人間と非人間で内面性は違うが身体性は似ているという点で、内面性が似ているが身体性は違うとするアニミズムと対称的反転の関係にある。このようにして、西洋近代の存在論と対等なものとして構成されたアニミズムは、諸存在における霊魂の共通性のみならず、身体の差異について重視している点で、従来のアニミズム概念とは大きく異なるものであった。さらに、諸存在ごとに身体が異なるということは、「変身」という現象を、アニミズム概念の中核に導きいれるものでもあった。人間も非人間も変身しあう世界の概念化は、動物変身譚や異類婚姻譚に新しい理解をもたらしてくれるであろう。
ヴィヴェイロス・デ・カストロの提唱するパースペクティヴィズムは、霊魂が同じで身体が違うとき、世界はどのように変わるのかを示す概念である。アマゾンの諸民族によると、人間からも非人間的な種からも世界は同じように見えるのだが、見える世界は異なっている。このようなパースペクティヴ的存在論を、デスコラのようにアニミズムの一類型と見なす論者もいるが、ヴィヴェイロス・デ・カストロ自身は西洋近代に仕掛けた「爆弾」とみなす。実際、「世界が異なる」という存在論は、「存在論的転回」そのものに組み込まれた考え方でもある。アマゾン世界の概念による西洋近代的人類学の「変身」は、それ自体がパースペクティヴィズムの実践なのである。
アニミズムにおいてもパースペクティヴィズムにおいても、人間と他の種との(一方的ではなく)相互的な関係性が重視されている。これを記述的に実践したとも言えるのが、マルチスピーシーズ民族誌である。人間と他の種がつねに関わり合っているのは、アニミズム世界だけではなく西洋近代的な世界でも同じことである。人間に主体と能動性、それ以外に客体と受動性を割り当てるのではなく、お互いに動かされ合い、共生成していくプロセスが、マルチスピーシーズ民族誌では重視されることになる。
今回の発表は、以上の「講義」のなかに、発表者自身が現在進行形で思考中の、日本における動物妖怪や幽霊などについての見解を織り込みつつ、進められていった。参加者とのディスカッションにおいては、一つの社会に必ずしも存在論的類型が一つだけしかないとは限らないこと、擬人化とアニミズムの違いや類似点、アニミズムにおける超越的視点の不在(しかし全くないわけではない)などが確認された。また、民族誌/民俗誌以外での理論の応用についても意見があり、同時代の事例のみならず、異類が登場する古典文学についてもアニミズムなどで捉えることができるのではないか、という提案がなされた。
本発表で何回か指摘したように、欧米人類学理論に生じたアニミズムやパースペクティヴィズムの概念を日本の諸事例に適用しようとすると、いくつかの点で大きな不一致が見つかる。しかし異なる他者との出会いにおいて概念を変形していくこと、「翻訳」・「変身」させていくことが重要なのだとすれば、私たち自身が比較をとおして、複数形でのアニミズムやパースペクティヴィズムを理論化していくことが望まれるであろう。
(文・廣田龍平氏)

※次回は4月27日(土)14:00、大東文化会館404号室で開催します。

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まず擬人化という方法は〈たとえ〉の具体化であること、さらに擬人化キャラクターは原則として物語世界の住人であることを検証した。そして擬人化キャラクターを神や妖怪と区別する根拠としてキャラクターの存立する世界との関連性が重要であることを説く。
大枠としては次のように整理できるだろう。
1)すべての異類が人間的な言動をとらない世界→現実世界
2)すべての異類が人間的な言動をとる(そして共存する人間は何ら疑いをもたない)世界→擬人化世界
3)多くの異類は人間的な言動をとり、一部の異類はとる世界→現実世界(一部の異類は異能のキャラクター)
4)人間に対する異類は人間的な言動をとらず、異類に対する異類はとる世界→現実世界/擬人化世界の視点切り換え

ついで女体化キャラクターの現状について考察した。
近年、女装男子が二次元を越えてリアルでも増えてきてる。それに応じて男の娘になるためのガイドブックも次々に出されている。これらに共通するのは、二次元キャラクターをモデルとする点に特色がある。
一方で性の中間域への関心という点で共通すると思われるが、女体化キャラクターの創出も近年顕著に窺われるところだ。
女体化は後天的な設定としては変身・憑依・入れ替わり・手術などが用いられるが、先天的な設定も多い。とりわけ歴史物が拡大し続けている。
この点について『円卓生徒会』『萌訳 平家物語』『Fate』シリーズなど具体的に示しながら論じた。

擬人化と女体化の問題については、今後、キャラクター変換と関連付けて考察を進めていきたい。

以上、平成24年12月11日開催(於・青山学院大学)の第32回例会における発表要旨です(発表者:伊藤慎吾)。

※昨日開催の第33回例会要旨についても、近々アップします。

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擬人化と神格化の境界について 付、『青物づくしやんれいぶし』

擬人化と神格化との概念上の関係性について考察した。

1)擬人化という表現方法は、本来、自然物や自然現象を神格化する自然崇拝を起源の1つとするものではなかったか。

1.1)ついで抽象的な概念にもまた神を観念するようになったか(厄病神やヒダル神)。怪異から妖怪が生まれる(小松和彦説)ように。

2)それと並行して自然物に霊魂が宿ると考えるアニミズムの信仰も擬人化の起源になっているのではないか。付喪神の創造は宿るところの器物が母体となったキャラクター造形がなされている。器物に人間の目鼻や手足を表しており、宿った霊魂が人間に類似するものとしてイメージされているのである。

3)とはいえ、上記の神や精霊、妖怪の類は実在性を伴う存在である。それに対して異類の擬人化は当初から実在しないもの、想像上、寓話上のキャラクターとみなされる。

3.1)両者は明確な区分ができるものではないが、本来、信仰基盤をもって表現されてきた自然物や自然現象、概念等から信仰基盤をもたない文脈で創造されるようになったとき神格化が擬人化になったのではないか。

このあと、幕末に刊行された『青物づくいやんれいぶし』を翻刻紹介した。


以上、発表者伊藤慎吾自身による要旨。

次回は5月14日(金)、国学院大学で開催します。
詳細は近日中にお知らせします。

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16
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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