異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:日中における動物観の比較─お伽草子・『聊斎志異』を中心に―
発表者:穆雪梅氏
要旨:
本発表では、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観について、お伽草子、『聊斎志異』を通して、考察を試みた。両者に描かれている動物の変身の作品、擬人化の作品及び、描かれて動物の住処である異郷の考察を通して、それぞれの特徴・相違点がみられる。日本においては、「アニミズム」精神が根底にあり、動物が人語を語るなど擬人化させ、人間と動物との関係は同等でありながら、人間は人間、動物は動物という両者の間には明確な境界があり、区別しようとする意識がみられる。『聊斎志異』においては、人間が動物より優れた存在や、人間が動物を支配するなどの一面がみられない。人間中心の精神がありながら、人間と動物との共生という従来の人間と動物との関係を大きく変え、動物を人間と区別する意識が希薄であろうと論じた。お伽草子と『聊斎志異』との比較を通して、日中伝統文化でのアニミズム精神、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観の相違がみられた。
質疑応答では、次の御指摘を頂いた。
1、「擬人化」、「変身」の定義についてより明確にしたうえで、考察を深めていくべきであること。
2、対象とした作品は、動物の登場する作品だけではなく、鬼、精、植物といった他の異類も研究対象にすべきであること。
3、中国の東北地方、西南地方などの少数民族の文学作品も着目すべきであること。
4、文献の参照、先行文献の引用について、より明確にすべきであること。
これらの御教示に従い、今後の課題にしたい。
※次回は5月30日(日)15時、寺西まさひろ氏によるリュウグウノツカイに関するご発表です。
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第108回 異類の会
日時:2021年4月25日(日)15時開始
場所:Zoom
タイトル:日中における動物観の比較
─お伽草子・『聊斎志異』を中心に―
発表者:穆雪梅氏
要旨
近年、お伽草子の研究では、絵画史、民俗史、宗教史など多方面にわたって行われている。
発表者は、これらの優れた研究を踏まえながら、お伽草子の「異類物」特に、その中の動物の登場する作品に着眼し、動物の擬人化・変身について、研究を行っている。
本発表では、これまでの研究を基に、お伽草子のみならず、中国の怪異小説の白眉とされている『聊斎志異』も取りあげ、作品における動物の変身、異郷の描写などを比較する。
両者の作品に登場する動物がどのように描かれているのか。それぞれの特徴・独自性及び、相違点がみられるのか。
これらの疑問を明らかにした上で、これまでの日中文学の比較研究とは異なる視点から、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観を検討したい。
※参加歓迎。
初めて参加希望の方は、「異類の会広報用」(TwitterID:@iruinokai)にDMを。
日時:2021年4月25日(日)15時開始
場所:Zoom
タイトル:日中における動物観の比較
─お伽草子・『聊斎志異』を中心に―
発表者:穆雪梅氏
要旨
近年、お伽草子の研究では、絵画史、民俗史、宗教史など多方面にわたって行われている。
発表者は、これらの優れた研究を踏まえながら、お伽草子の「異類物」特に、その中の動物の登場する作品に着眼し、動物の擬人化・変身について、研究を行っている。
本発表では、これまでの研究を基に、お伽草子のみならず、中国の怪異小説の白眉とされている『聊斎志異』も取りあげ、作品における動物の変身、異郷の描写などを比較する。
両者の作品に登場する動物がどのように描かれているのか。それぞれの特徴・独自性及び、相違点がみられるのか。
これらの疑問を明らかにした上で、これまでの日中文学の比較研究とは異なる視点から、お伽草子の時代における日中の動物観、異郷観を検討したい。
※参加歓迎。
初めて参加希望の方は、「異類の会広報用」(TwitterID:@iruinokai)にDMを。
タイトル:日本中世の地震と異類ーー龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏
要旨:
本発表では、日本中世の龍神説の形成と展開について、元暦地震(1185年7月9日)の事例を中心に、考察を試みた。所説の一般性・普遍性を論じる以前に、まずは書物固有の性質や文脈を踏まえて事例を捉えることの重要性・有効性を指摘した。具体的には、これまでの研究でとりあげられた公卿日記や歴史書に見える龍神説の事例のほとんどは、占術の判定結果なのであって、それらによって時代一般の認識といえるかどうかは、慎重に考える必要があるということを論じた。すなわち本発表を通じて、龍神説中心に中世の地震観を説明することへの疑問を提示したのである。
質疑応答では、『今昔物語集』巻三十一の鯉説話や『平家物語』の龍神説話群、『渓嵐拾葉集』等々の、他の説話・類話との関係を視野に入れて考察を深めていくべきであると御指摘をいただいた。さらに、「信仰」という語の使用が曖昧であり、より適切に表現すべきというアドバイスや、『天地瑞祥志』の成立に関しては最新の先行研究を参照すべきという御教示をいただいた。他にも、国家鎮護と災害はどのような関係にあるか、「平家と龍神」説が結びつく初見は何か、ウロボロス的世界観を日本の学僧はいかに享受したか、『愚管抄』の龍の説はどの程度の影響力があったか等々の御質問を頂戴した。(文・児島啓祐氏)
※これは2021年3月21日(日)にオンライン開催された第107回の報告です。
※次回は4月25日(日)15時にオンラインで開催します。
※これは2021年3月21日(日)にオンライン開催された第107回の報告です。
※次回は4月25日(日)15時にオンラインで開催します。
第107回 異類の会
日時:2021年3月21日(日)15時開始
場所:Zoom
タイトル:日本中世の地震と異類――龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏
要旨
日本の地震原因伝承・地震観の研究では、龍(中世)から鯰( 近世)へという変化が指摘されてきた。
本発表では、社会史・災害史・ 民俗学分野で蓄積された従来の研究に学び、それらを紹介しつつ、 中世を龍の時代と捉えることへの一つの疑念を新たに提示したい。
それは、 龍の説が日本中世の地震観といえるほどに普遍性を持ち得ていたの だろうか、という疑問である。
これまでの研究(歴史学・民俗学)では、時代・ 社会に共有された地震観・信仰を捉えることが重視されてきた。
しかし、龍の説がいかに作り出されたのか(形成の経緯)、 それが一人一人の記録者によってなぜ選ばれたのか、 どのように描かれたのか(意義及び展開)、 これらの問いかけはほとんど試みられてこなかったように見受けら れる。
本発表の目的は、特殊性や独自性を重視する文学研究の観点から、 中世の龍神説を捉え直し、 諸書における所説の固有の位置付けを見出すことである。
※参加歓迎。
初めて参加希望の方は、「異類の会広報用」(TwitterID:@iruinokai)にDMを。
日時:2021年3月21日(日)15時開始
場所:Zoom
タイトル:日本中世の地震と異類――龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏
要旨
日本の地震原因伝承・地震観の研究では、龍(中世)から鯰(
本発表では、社会史・災害史・
それは、
これまでの研究(歴史学・民俗学)では、時代・
しかし、龍の説がいかに作り出されたのか(形成の経緯)、
本発表の目的は、特殊性や独自性を重視する文学研究の観点から、
※参加歓迎。
初めて参加希望の方は、「異類の会広報用」(TwitterID:@iruinokai)にDMを。
タイトル:下野岩船山高勝寺奇譚
―怪奇・天狗・霊験―
発表者:林京子氏
要旨:
・岩船山のメインの信仰は死者供養・水子供養・子授け祈願である。本堂の裏山に卒塔婆を建てる現行の死者供養の習俗は近代日本の戦死者供養との関連で発展してきたと推測される。「西院の河原」は子どもの死者を供養する場所とされる。水子供養が社会現象化すると、高勝寺は江戸時代から水子供養を行っていると主張して多くのメディアに登場した。子授け祈願では、呪物の下付や岩船と孫太郎(後述)を巡拝する宗教儀礼が行われる。平成10年頃奥の院と岩船は複製され、震災で本来の岩船は忘却される。中岡俊哉氏のような超常現象研究家や霊能者が多数岩船山を訪れ寺側は彼らから影響を受けている。
・高勝寺本堂には聖なる生身の地蔵と高勝寺の怪奇譚である「お玉の怨念の刀」や様々な怪奇なモノが同居。
・岩船山山頂には天狗である「孫太郎尊」を祀った寺の堂舎がある。かつては元旦講があり、高勝寺よりも参詣者が多かった。寺では現在も天狗のお札を配布しているが、その姿は吒枳尼天に近く、また稲荷要素も混ざっている。明治31年以降、孫太郎尊は「岩船神社」と呼ばれ多くの人の尊崇を集めた。岩田重則は戦時下天狗が流行神として現出したという見解 を取っているが孫太郎尊も同様と思われる。
・昭和30年頃には30万人が供養(戦死者?)のために彼岸の岩船山に押し寄せ、彼らを目当てに死者の口寄せをする人や傷痍軍人達も集まった。昭和の終わりには岩船石の採掘による振動で孫太郎本殿は倒壊した。
・佐野市にも孫太郎稲荷がある。平将門を討った田原藤太秀郷により天明の春日ノ岡に建てられた寺の鎮守でその後13世紀に。秀郷の子孫の足利孫太郎家綱が神社を修復し「孫太郎明神」とよばれるようになった。奈良の薬師寺の「孫太郎社」は佐野の分祀であるそうだ。栃木県では民間宗教者が祀っていたマタラ神=ダキニ天を、その後「稲荷」と呼び換える例がある 。お玉も稲荷である。佐野の孫太郎と岩船山の孫太郎も別々の場所で祀られているだけで同一ではないか。
・寛永寺子院浄名院の妙運は庶民の信仰の側に立つことを決意し、自らを地蔵比丘と名乗り八万四千躰地蔵建立運動を開始する。人々は妙運を生き仏として熱狂的に支持し、妙運が日光に異動すると彼の分身の地蔵が信者の家を巡行するようになった。1980年頃池袋方面を巡行していた地蔵は行方不明となった。
・池袋在住のKさん(女性)は、巡行地蔵の信者で巡行地蔵が来なくなり自分で地蔵を建立し家で奉斎していたが、偶然岩船山に来て強い感銘を受けて自分の墓をここに作った。2020年の夏、Kさんは亡くなり、遺族の願いで石地蔵は本堂に遷座した。妙運は転生して岩船山に帰還したのである。
・高勝寺では死者供養と子授け、生と死が表裏一体であるので、怪奇なモノと聖なるモノが混然としており寺は近世の創建からずっと民間宗教者や様々な言説から都合が良いものを取り込み続けている。
・岩船山は変身ヒーロー縁起のはじまりの場所であり、現在も人智を超えた霊験が現実世界に噴出している。装いを変え、文脈を組み替えて、分厚い信仰の古層の中から再構築され続ける岩船山の宗教民俗を今後も注視していきたい。
・ネットで何でも検索できる現代であるが、現場に行き話を聞くという足で稼ぐ研究を今後も続けたい。
※これは2021年2月28日(日)にオンライン開催された第106回の報告です。
※次回は3月21日(日)15時にオンラインで開催します。
―怪奇・天狗・霊験―
発表者:林京子氏
要旨:
・岩船山は栃木県の南部に位置し、街道の分岐点のランドマークであり、日光と江戸城を結ぶライン上に位置する為、寛永期に寛永寺系列の寺院として山上に高勝寺が草創された。岩船山では多くの特撮ドラマが撮影されサブカル聖地として多くの巡礼者が訪れる。巨岩(岩船)付近ではブロッケン現象が見られる。それが神仏の示現=生身の地蔵の出現とされ法師の身体を裂いて地蔵が出現する絵が描かれた 。享保4年岩船地蔵は流行神となって山を下り、関東一円を巡行した。その理由は現在も不明である 。
・岩船山のメインの信仰は死者供養・水子供養・子授け祈願である。本堂の裏山に卒塔婆を建てる現行の死者供養の習俗は近代日本の戦死者供養との関連で発展してきたと推測される。「西院の河原」は子どもの死者を供養する場所とされる。水子供養が社会現象化すると、高勝寺は江戸時代から水子供養を行っていると主張して多くのメディアに登場した。子授け祈願では、呪物の下付や岩船と孫太郎(後述)を巡拝する宗教儀礼が行われる。平成10年頃奥の院と岩船は複製され、震災で本来の岩船は忘却される。中岡俊哉氏のような超常現象研究家や霊能者が多数岩船山を訪れ寺側は彼らから影響を受けている。
・高勝寺本堂には聖なる生身の地蔵と高勝寺の怪奇譚である「お玉の怨念の刀」や様々な怪奇なモノが同居。
・岩船山山頂には天狗である「孫太郎尊」を祀った寺の堂舎がある。かつては元旦講があり、高勝寺よりも参詣者が多かった。寺では現在も天狗のお札を配布しているが、その姿は吒枳尼天に近く、また稲荷要素も混ざっている。明治31年以降、孫太郎尊は「岩船神社」と呼ばれ多くの人の尊崇を集めた。岩田重則は戦時下天狗が流行神として現出したという見解 を取っているが孫太郎尊も同様と思われる。
・昭和30年頃には30万人が供養(戦死者?)のために彼岸の岩船山に押し寄せ、彼らを目当てに死者の口寄せをする人や傷痍軍人達も集まった。昭和の終わりには岩船石の採掘による振動で孫太郎本殿は倒壊した。
・佐野市にも孫太郎稲荷がある。平将門を討った田原藤太秀郷により天明の春日ノ岡に建てられた寺の鎮守でその後13世紀に。秀郷の子孫の足利孫太郎家綱が神社を修復し「孫太郎明神」とよばれるようになった。奈良の薬師寺の「孫太郎社」は佐野の分祀であるそうだ。栃木県では民間宗教者が祀っていたマタラ神=ダキニ天を、その後「稲荷」と呼び換える例がある 。お玉も稲荷である。佐野の孫太郎と岩船山の孫太郎も別々の場所で祀られているだけで同一ではないか。
・寛永寺子院浄名院の妙運は庶民の信仰の側に立つことを決意し、自らを地蔵比丘と名乗り八万四千躰地蔵建立運動を開始する。人々は妙運を生き仏として熱狂的に支持し、妙運が日光に異動すると彼の分身の地蔵が信者の家を巡行するようになった。1980年頃池袋方面を巡行していた地蔵は行方不明となった。
・池袋在住のKさん(女性)は、巡行地蔵の信者で巡行地蔵が来なくなり自分で地蔵を建立し家で奉斎していたが、偶然岩船山に来て強い感銘を受けて自分の墓をここに作った。2020年の夏、Kさんは亡くなり、遺族の願いで石地蔵は本堂に遷座した。妙運は転生して岩船山に帰還したのである。
【まとめ】
・恐山や川倉地蔵堂などと同じように、高勝寺は戦争を契機として知名度を高めた。現在の塔婆の景観と「死者に会える場所:供養霊場」という言説は戦没者に対する多くの人々の慰霊行動が創り出したものであろう
・高勝寺では死者供養と子授け、生と死が表裏一体であるので、怪奇なモノと聖なるモノが混然としており寺は近世の創建からずっと民間宗教者や様々な言説から都合が良いものを取り込み続けている。
・岩船山は変身ヒーロー縁起のはじまりの場所であり、現在も人智を超えた霊験が現実世界に噴出している。装いを変え、文脈を組み替えて、分厚い信仰の古層の中から再構築され続ける岩船山の宗教民俗を今後も注視していきたい。
・ネットで何でも検索できる現代であるが、現場に行き話を聞くという足で稼ぐ研究を今後も続けたい。
【質疑応答から】
地域の方からの情報や、変身についてアニミズムの視点から、また天狗信仰についても貴重なご指摘をいただいた。岩船山の信仰は重層的でベクトルの異なる様々な宗教者の言説を積み上げて構成されており、唐沢山を本拠地とした佐野氏が自らを秀郷の末裔と称したことと孫太郎天狗信仰は関連が示唆される。が、客観的な史料がないため、根本的な解決は難しいと思われる。ともあれ岩船山高勝寺は現在でも強烈なインパクトをもたらす物語を生み出す力を持つ霊場なのである。
(文・林京子氏)※これは2021年2月28日(日)にオンライン開催された第106回の報告です。
※次回は3月21日(日)15時にオンラインで開催します。