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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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第144回開催のご案内
日時:6月30日(日)16:00 
会場:オンライン

タイトル:
 2023年浅草寺歳の市にみられる『藤娘』の羽子板について

発表者:平井優香氏
要旨:
 江戸時代に、現在の滋賀県大津市追分で製作・販売された「大津絵」の画題「藤娘」は、歌舞伎舞踊演目として採用され、現在も定期的に公演されている。
 また、舞踊演目として人気を博したことで「藤娘」は人形、羽子板、絵画などの題材となり、造形化されている。
 本発表は2023年12月17日から19日にかけて浅草寺歳の市で確認した「藤娘」の羽子板全169事例を分析し、現在の羽子板に見られる「藤娘」像の多様性について考察する。
※来聴歓迎! 初めて参加する方はX(舊Twitter)
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タイトル:
 沖縄の幽霊譚と魔除け

発表者:
 鈴木慶一氏

要旨:
 沖縄の民俗が昔話などの伝承文学にどのように反映されているのかを幽霊譚を元に考察した。比較上、沖縄の幽霊と日本本土のそれとは同一とは言えないが、柳田国男は幽霊について「オバケは出現する場所は大抵定まっていた。幽霊は向こうからやってきた。遠くへ逃げても追いかけられる」などとしていた。沖縄ではその魔除け意識に注目すると、家への侵入を防ぐ豚小屋や呪具が存在し、それが幽霊出現に制限を加えていたことが明らかになった。


質問関係
〇柳田国男の幽霊の「定義」の妥当性、有効性について指摘あり。
 引き続き検討を進めるべき問題と思う。そのため幽霊や妖怪の定義が明確でない点が不明確な点に繋がっているのではないかと思われる。なお、当発表では幽霊と表現していたが、「霊的存在」でよいと考えている。
最近の日本各地の大震災の幽霊体験談と今回の沖縄の幽霊譚とは似ているとの感想。
 沖縄の幽霊関係の話は殆どが物語ではない実体験が多い為と思われる。体験談では差が少ないということは、物語風になると差が出て来るということになるとも言える。
(文・鈴木慶一氏)

*これは4月27日(土)にオンライン(Microsoft Teams)で開催された第143回の要旨です。
*上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
 

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第143回開催のご案内
日時:4月27日(土)17:00 
会場:オンライン

タイトル:
 沖縄の幽霊譚と魔除け

発表者:鈴木慶一氏

要旨:
 沖縄の民俗が民話などにどのように反映されているのかを幽霊譚をもとに考察する。
 沖縄の幽霊と日本本土のそれとは同一とは言えないが幽霊の出現について柳田国男は「オバケは出現する場所は大抵定まっていた。幽霊は向こうからやってきた。遠くへ逃げても追いかけられる」とし、池田弥三郎は、「どこへでも出てくるのが幽霊の性質のひとつ」などとしている。しかし沖縄での霊魂観に基づいた魔除け意識に注目すると、幽霊の出現について認識に違いが認められるのではないか、この点に注目して検討を進めていく。

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タイトル:
 近世噺本と笑い話
 ―鬼と天狗を中心に―

発表者:
 齊藤竹善氏

要旨:

 本発表では、前半に江戸期の笑い本に登場する異類(鬼・天狗)のイメージを検討し、後半で、そうした江戸期の「噺」が如何に伝播し、地方の笑い話として定着したかを「彦一話」を中心に論じた。


江戸期の噺本における鬼像は、一般に地獄や六道の辻など、死後の世界に閻魔と共に登場する存在として描かれており、また、庶民の生活世界に登場する際には節分の時に登場するなど、登場する時・場所がかなり限られた存在となっていた。また、鬼が登場する噺のオチは、「来年の話をすると鬼が笑う」「鬼も十八番茶も出花」などの鬼にまつわる慣用句や、「鬼殺し」などの酒、鬼の天敵としての「鐘馗」を用いたダジャレなど、鬼にまつわる事項をうまく用いたオチが様々に見られた。


一方、噺本における天狗像は、山や空に出現しやすいといった傾向があるも、鬼に比べて出現場所の制約がなく、庶民と遭遇することが多々ある存在として描かれていた。こうした傾向は、江戸期において天狗が一定のリアリティを持つ存在として、多少なりとも実在を信じられていたが故であると考えている。


また、天狗が登場する噺のオチは、その殆どが「鼻」を揶揄するネタであった。特に、その鼻は男根と重ね合わされる形の下ネタとしてネタにされることが多く、この点は天狗と男根を結び付ける民間信仰との結びつきを思わせる


後半では、柳田も父から聞いたことのあるという、天狗の鼻をとらえる笑い話を軸に、落語家「彦八」の登場する笑い話が民話化・伝播する現象について論じた。そこでは、江戸期から明治期にかけて、旅の噺家が「ヒコハチ」と呼称されていたことや、二代目米沢彦八が旅の興行中に亡くなったことなどから、「ヒコハチ」が演じた噺が民話化した可能性について仮説を提示した。


一方、質疑応答では、そうした民話が伝わる際に「ヒコハチ」がいわばキャラクター化した主人公の記号として流布した可能性を示唆され、語り手=伝播者という図式に疑問が呈された。多くの昔話の伝播論は、口承文芸の性質もあり、史料による充分な裏付けがなされずに、推測が多分に含まれる議論となりがちである。笑い話の伝播に関しては、様々な可能性に留意しながら、今後ともに研究を進めていきたい。


(文・齊藤竹善氏)

*これは3月31日(日)にオンライン(Zoom)で開催された第142回の要旨です。
*上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。

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第142回開催のご案内

日時:3月31日(日)15:00 

会場:オンライン(Zoom)

タイトル:近世噺本と笑い話
     ―鬼と天狗を中心に―


発表者:齊藤 竹善氏
 
要旨:
 「噺本」は、近世において活発に出版された笑い話集である。これらの噺本は民間伝承との関係も深い。特に、「噺本の祖」と位置付けられる『醒酔笑』は、談義僧であった安楽庵策伝が、「小僧の時より、耳にふれておもしろくおかしかりつる事」を書き残したものと述べているように、当時(特に、談義僧の説教話として)流布していた説話・世間話の記録、という側面がある。また、新たに噺が創作されるにせよ、そうした噺が口承の笑い話となり、地方へと持ち込まれることもあった。
 それらの噺の舞台の多くは、庶民の日常生活の場であり、
そこには近世の庶民の生活感覚が根付いている。今回は噺本の中に創作・記録された噺の中からとくに鬼と天狗が登場する噺をいくつか見ていき、そこで示されるイメージから、近世庶民が如何に「異類」を笑いものにしたかを考えていく。また、そうした噺が全国的に広まり、民話化した例を挙げ、近世における噺と笑い話をめぐるネットワークを考察する。


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2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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