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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
刷物・書写本〈伝来薬「心躰安樂丸」〉処方箋一覧
 ―極楽からの御薬の効能―



発表者:
羽鳥 佑亮

要旨
 本発表は、伝承文学研究会令和五年(二〇二三)度大会研究発表会で発表予定の「刷物・書写本〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の展開と通俗教訓先行公開、乃至、プレ発表としてった。時間は気にせずにその内容を〈伝来薬「心躰安樂丸」〉諸本の画像を適宜に提示しつつ位置づけを示し、いくつかの系統への分類をこころみたものである。

 質疑応答ではまず、氷厘亭氷泉氏の御所蔵のうちに新たな伝本を御教示いただき、有難くも御提示をいただいたうえ利用の御許可を頂戴した。簡略ながら篤く御礼を申し上げる。氷厘亭氷泉氏蔵伝本、本発表で提示した基本的な体裁から外れているが、むしろそれだけに、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉が江戸時代後期頃に広く膾炙していたことを示すものであった。


 ついで、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の位置づけとしては、戯文に散見される御薬の体裁にされたもののひとつであるという見解がなさた。また、近接のものとして落書の提示がなされ、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉は風刺をきかせるものではないために異なるものでありながらも、いわば同床異夢がごとく、同じ観念のもとに成立しと考えられ、江戸時代前期頃から大きな流れのうちにあとする御意見を頂戴した


各系統の特徴よりそれらを頒布した動機や団体に関する事項については発表で示したが、主に頒布を行っていた地域についても考慮の余地があることを御指摘いただき、殊に仏門において出されたと推測されるものには特定の地域と関わりそうであることが質疑応答のうちにいだされた。さらに、となる内容とはずれるが、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉諸本のひとつに「弘法大師十種無益歌」と題する弘法大師が六字名号を賞賛する和歌が付されることから、弘法大師と六字名号の結びつきにも広りをみせた。主とする研究とは異なるものの、弘法大師と六字名を結びつける文献は管見に他にもいくつか散見されるため、気にしつつ解明を課題としたい。


〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の内容としては、この御薬を調合したとされる「其身野德成」という擬人名についても話題となり、異類の会主催の伊藤慎吾氏により、構想段階ながら「擬人名辞典(仮)」のお考えが提示された。〈伝来薬「心躰安樂丸」〉をはじめとする教訓を示した戯文にはこの類も多いことから、御力になればと思う次第である。また、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉のかい内容の分析は今後の課題とし、まずは前述した、伝承文学研究会大会での発表を成功させたい。


同時刻に怪異怪談研究会シンポジウムが開催されていたため集まりに不安があったが、新しい伝本の発見を主とし思いの外収穫があったように思える。御所蔵の伝本を御提示のうえ利用を御許可いただいた氷厘亭氷泉氏には、簡略ながら重ねて御礼を申し上げる

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第136回開催のご案内

日時:8月27日()15:00
会場:オンライン(Zoom)
タイトル:
刷物・書写本〈伝来薬「心躰安樂丸」〉処方箋一覧
―極楽からの御薬の効能―
発表者:
羽鳥佑亮氏
 要旨:
  江戸時代には、御薬そのものに、乃至、御薬の広告に見たてた体裁で、処世訓や俚諺を羅列したり、ある考えを平易に記したりとした、刷物や書写本が散見される。管見に入るものには、例えば『家運長久修身元』や『人心儉約長榮丹』、『三國相傳他力念佛丸』がある他、江戸時代前期の井原西鶴による『日本永代蔵』には「長者丸」の記述があり、同様の趣向である。
 これらの類のひとつに、「極樂傳來心躰安樂丸」と名付けられることの多い伝本がある。この極楽伝来の御薬は、江戸時代後期から戦前期頃までは広く享受されたようだが、現在では忘れ去られていよう。この類は他にも雑多にあり、著名な作品ではないために学術からも看過され、研究はほとんど行われていない。
 そこで、この極楽伝来の御薬に注目し、表記の揺れにより統一書名を〈伝来薬「心躰安樂丸」〉としてとりあげ、実態把握と系統整理、各々の特徴の確認を行う。

※来聴歓迎!
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タイトル:
白峯相模坊はどこから来たのか
 —「天狗の山移り」の虚実


発表者:
毛利 恵太

要旨
 今回は天狗の中でも香川県の大天狗として知られる白峯相模坊を中心に、伯耆坊・清光坊という伯耆大山(だいせん)にまつわる天狗の来歴を紐解き、天狗研究家・知切光歳が提唱した「天狗の山移り」説の妥当性について検証した。
 相模坊は謡曲『松山天狗』『鞍馬天狗』で知られた天狗であり、近世の地誌や縁起、紀行文にもその存在が確認できる。讃岐の地に配流となった崇徳上皇の陵墓の傍らに祀られた相模坊だが、近世以前の縁起にはその名が確認できないため、崇徳上皇の怨霊・魔王イメージの醸成とともに形作られ、実際の信仰の場にも定着していったと推測される。伯耆坊もまた大天狗の定番として相模坊や愛宕山太郎坊・鞍馬山僧正坊と並ぶ知名度があるが、実際の伯耆大山における信仰にはその名は用いられなかった。しかし伯耆大山の周辺における天狗認識にはその名を確認でき、地誌などの記録や謡曲などの物語、民話などの口碑において「伯耆大山には伯耆坊という天狗がいる」という前提は共有されていた。清光坊は石鎚山信仰圏で用いられていたと思われる経文『天狗経』にのみその名が確認でき、それ以外の場ではほとんど取り沙汰されてこなかったようである。
 相模大山(おおやま)における信仰にも天狗は存在するが、その名は石尊権現の脇侍である「大天狗小天狗」としか呼ばれていない。しかし知切光歳は相模大山の大山寺に祀られた「伯耆坊」という天狗の祠を“発見”したことで、相模大山の天狗は伯耆坊であるというやや飛躍した論を展開していった。大山寺の伯耆坊祠は記録を信じるならば戦後間もなく建立されたものであり、ここ以外で相模大山の伯耆坊という天狗の名は確認できない。知切は霊山などに棲む天狗には必ず棟梁となる名付きの大天狗がいると考え、特に天狗の名が列挙された『天狗経』を重要視していた。その意識と「相模坊という讃岐の天狗」「伯耆坊ではなく清光坊の名が記された『天狗経』」「相模大山に祀られた伯耆坊」という情報を組み合わせることで「かつて相模大山(おおやま)には相模坊、伯耆大山(だいせん)には伯耆坊がいたが、相模坊が讃岐の白峯に移り、空所となった大山(おおやま)に伯耆坊が移り、更に空所となった大山(だいせん)に清光坊が現れた」という説を提唱したのであった。
 知切の天狗研究は現在に至るまで強い影響を与えており、様々な分野から天狗を研究・考察する時にもよく引用されている。そのため、知切の独自研究からなるある種の“珍説”も定説として無批判に流通することになってしまった。今回の調査で現在定説とされているものにも批判的に向き合う必要性を改めて実感した。今後の課題としては、知切の天狗研究の全体的な再検証と、今も各地に遺されているであろう天狗経・天狗祭文の事例収集が考えられる。また相模大山の「伯耆坊祠」についても、より詳しい背景などの確認が必要であろう。
(文・毛利恵太氏)

※これは2023年7月30日(日)にオンラインで開催された第135回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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第135回開催のご案内

日時:7月30日()15時00分
会場:オンライン開催
 
タイトル:
 白峯相模坊はどこから来たのか
  
「天狗の山移り」の虚実

発表者:
毛利 恵太

要旨:
 白峯相模坊といえば、讃岐国白峯(現・香川県坂出市の五色台)で祀られている大天狗である。その名は謡曲『松山天狗』『鞍馬天狗』にも登場し、いわゆる「八天狗」として愛宕山太郎坊や鞍馬山僧正坊などと並ぶ存在とされるなど、古くから大天狗の定番として知られていた。この相模坊に関する逸話の一つに「相模坊は元々、相模国(神奈川県)の天狗であったが、ある時に讃岐国に山移りをして飛来してきた」というものがある。この「天狗の山移り」は天狗研究家として知られる放送作家・知切光歳が提唱したもので、それによると「かつて相模国の大山(おおやま)には相模坊、伯耆国(鳥取県)の大山(だいせん)には伯耆坊がいたが、相模坊が讃岐国の白峯に移り、空所となった大山(おおやま)に伯耆坊が移り、更に空所となった大山(だいせん)に清光坊が現れた」という出来事があったのだという。この「天狗の山移り」は知切の著作においてたびたび取り上げられ、まるで本当にあった事のように紹介されているが、実際にはそのような出来事を記録した資料は存在せず、全て知切の推測からなるものでしかない。しかし知切の著作はその後の天狗研究・天狗認識に大きな影響を与えており、「天狗の山移り」も無批判にそのまま受容され、寺社や自治体の解説にもそのまま用いられているのが現状である。
 本発表では「天狗の山移り」があったという相模坊・伯耆坊・清光坊の資料を精査し、また知切の著作や記述を検証することで、これら三体の天狗が過去どのような存在として扱われてきたのか、また「天狗の山移り」がどのようにして提唱されたのかを考察する。

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タイトル:
90年代における人形の怪談についての一考察
 —メリーさん・リカちゃんの怪を中心に—


発表者:
鳴海 あかり

要旨
 今回はメリーさんとリカちゃん人形を中心として90年代を中心とした人形の怪談についての考察を行った。
 まずメリーさんが関連する怪談として「青い目の人形」や「メリーさんの電話」がある。怪談「青い目の人形」の背景には戦前の日米人形交流と、それによってアメリカからおくられてきた実在する「青い目の人形」との関連があると考えられる。実在した「青い目の人形」にはメリーの名が多く、またメリーという名の青い目の人形をきっかけとして各地の青い目の人形が探されるようになった流れがあり、怪談「青い目の人形」とほとんど共通する感動秘話もついていた。この感動秘話が有名となり、怪談「青い目の人形」の素地となったと思われる。
 もう一つ有名なメリーさんと言えば横浜を闊歩していた老娼婦のメリーさんがいるが、当時メリーさんと呼ばれた女性は彼女だけではなかった。一般的に西洋っぽい女性の象徴的な名前としてメリーという名があったといえる。
メリーさんといえば「メリーさんの電話」という怪談が代表的だろう。これについては「リカちゃん電話」とも言われ、人形でもない事例も多い。実際、話の構造として人形である必要はないからである。
 リカちゃん人形の怪談といえば「三本足のリカちゃん」であるが、そのイメージ形成においては『LCミステリー』別冊1992年8月号の記事の影響が強いと思われる。
これらの話は時代的背景もあり、多くサブカルチャー作品にも登場する。特にメリーさんは口裂け女やトイレの花子さんほど決まった姿がないが、西洋人形のような姿の美少女というイメージがよくみられる。
 質疑応答ではありがたくも多数の情報提供を戴いた。また青い目の人形・三本足のリカちゃんについて、初期の掲載誌の編集者などが意図的に話を構成したり、広めていた可能性を指摘された。これは私が知らず知らずのうちに見逃していた可能性であり、改めて都市伝説が自然に広まるだけとは限らないのだと思わされた。今後は今回提供された情報・知見を取り入れて論文として仕上げていきたい。
(文・鳴海あかり氏)

※これは2023年6月25日(日)にオンラインで開催された第134回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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プロフィール
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年齢:
15
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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gijinka☆way.ocn.ne.jp
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