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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
いわゆる「丑の刻参り」はどこからきたのか?
発表者:
鳴海あかり

 中世以前においては、まず「丑の刻参り(丑の時参り・丑の時詣)」といった言葉が、あくまで単に丑の刻に参り祈願を行うだけの、呪詛も女の嫉妬も関係ない語として確認できる。そこに女の嫉妬などの要素を加えたのは宇治の橋姫説話である。代表的なのは『平家物語』剣の巻であるが、ここには丑の刻も人形も釘も登場しない。しかし謡曲『鉄輪』や御伽草子『かなわ』を見ると、橋姫が丑の刻参りを行っているところに示現があったという記述がみられ、橋姫説話と丑の刻参りの接続が読み取れる。
 一方釘打つ呪いというものは平城宮から出土した形代に既に確認できる。8世紀後半ごろのもので、釘が両目と胸部に刺さった木製のひとがたである。また『名例律裏書』にも「厭魅事」として似た内容の記述が確認できる。また『台記』には「天公像」の目に釘打つことが見えるが、これは神仏を責めることによって強引に願いを叶えてもらおうとする意味合いが読み取れる。一方『勝尾寺住侶等重申状案』には上下御霊神社や貴船神社に釘を打って呪いをかけたことがみえ、より近世的な形になっている。
 近世に入るころには女性が嫉妬により神社などに出向いて釘打って呪うことを「丑の刻参り」と称するようになる。また女性の嫉妬だけでなく、鉄輪にろうそくといったビジュアル要素も橋姫説話から取り入れられる。このころにはこのような意味での「丑の刻参り」はすでに常識となっていたようで、間抜けで現実的な、笑いの対象としての丑の刻参りが様々にみられる。
 しかしながら近世に入ってもまだ人形は出てこない。元禄頃になると紙人形や木の人形がみられるが、藁人形ではない。初めて丑の刻参りに藁人形が使われると明記されるのは1783年の『万載狂歌集』である。これ以降の事例では丑の刻参りと称して藁人形に釘を打つ記述や図像表現が散見される。また古典落語『藁人形』においては、元となった小咄には人形が登場しなかったのに対し、こちらでは当然のごとく藁人形が登場する。この間に丑の刻参りの「当たり前」が変化したのだろうと言える。
 最後に近現代の事例について少し触れた。明治に入っても丑の刻参りに使う人形は絶対に藁人形でなければならないというわけではなかったことが、事例数の集計によってわかる。明治時点で藁人形が使われると明記される割合は63%であるのに対し、平成以降では89%に上昇している。これについては藁人形というものが日常的な存在ではなくなり丑の刻参り以外で目にすることが少なくなったこと、商業化や各種メディアによる「丑の刻参りといえば」というイメージの固定という二点の要因が指摘できる。
 質疑応答では有難いことに多数の情報提供や、地域比較の問題、海外の事例、口に櫛を咥えるという作法がいつから存在するのかといった問題などについて様々に議論が発展した。また資料の読みについて指摘をいただいた。さらによく資料を読み込むと共に、提供された情報を踏まえて研究に反映させていきたい。また今後は近現代についてもまとめて考察していくつもりである。(文・鳴海あかり氏)


※これは2022年11月20日(日)にオンラインで開催された第127回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。



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