異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
タイトル:下野岩船山高勝寺奇譚
―怪奇・天狗・霊験―
発表者:林京子氏
要旨:
・岩船山のメインの信仰は死者供養・水子供養・子授け祈願である。本堂の裏山に卒塔婆を建てる現行の死者供養の習俗は近代日本の戦死者供養との関連で発展してきたと推測される。「西院の河原」は子どもの死者を供養する場所とされる。水子供養が社会現象化すると、高勝寺は江戸時代から水子供養を行っていると主張して多くのメディアに登場した。子授け祈願では、呪物の下付や岩船と孫太郎(後述)を巡拝する宗教儀礼が行われる。平成10年頃奥の院と岩船は複製され、震災で本来の岩船は忘却される。中岡俊哉氏のような超常現象研究家や霊能者が多数岩船山を訪れ寺側は彼らから影響を受けている。
・高勝寺本堂には聖なる生身の地蔵と高勝寺の怪奇譚である「お玉の怨念の刀」や様々な怪奇なモノが同居。
・岩船山山頂には天狗である「孫太郎尊」を祀った寺の堂舎がある。かつては元旦講があり、高勝寺よりも参詣者が多かった。寺では現在も天狗のお札を配布しているが、その姿は吒枳尼天に近く、また稲荷要素も混ざっている。明治31年以降、孫太郎尊は「岩船神社」と呼ばれ多くの人の尊崇を集めた。岩田重則は戦時下天狗が流行神として現出したという見解 を取っているが孫太郎尊も同様と思われる。
・昭和30年頃には30万人が供養(戦死者?)のために彼岸の岩船山に押し寄せ、彼らを目当てに死者の口寄せをする人や傷痍軍人達も集まった。昭和の終わりには岩船石の採掘による振動で孫太郎本殿は倒壊した。
・佐野市にも孫太郎稲荷がある。平将門を討った田原藤太秀郷により天明の春日ノ岡に建てられた寺の鎮守でその後13世紀に。秀郷の子孫の足利孫太郎家綱が神社を修復し「孫太郎明神」とよばれるようになった。奈良の薬師寺の「孫太郎社」は佐野の分祀であるそうだ。栃木県では民間宗教者が祀っていたマタラ神=ダキニ天を、その後「稲荷」と呼び換える例がある 。お玉も稲荷である。佐野の孫太郎と岩船山の孫太郎も別々の場所で祀られているだけで同一ではないか。
・寛永寺子院浄名院の妙運は庶民の信仰の側に立つことを決意し、自らを地蔵比丘と名乗り八万四千躰地蔵建立運動を開始する。人々は妙運を生き仏として熱狂的に支持し、妙運が日光に異動すると彼の分身の地蔵が信者の家を巡行するようになった。1980年頃池袋方面を巡行していた地蔵は行方不明となった。
・池袋在住のKさん(女性)は、巡行地蔵の信者で巡行地蔵が来なくなり自分で地蔵を建立し家で奉斎していたが、偶然岩船山に来て強い感銘を受けて自分の墓をここに作った。2020年の夏、Kさんは亡くなり、遺族の願いで石地蔵は本堂に遷座した。妙運は転生して岩船山に帰還したのである。
・高勝寺では死者供養と子授け、生と死が表裏一体であるので、怪奇なモノと聖なるモノが混然としており寺は近世の創建からずっと民間宗教者や様々な言説から都合が良いものを取り込み続けている。
・岩船山は変身ヒーロー縁起のはじまりの場所であり、現在も人智を超えた霊験が現実世界に噴出している。装いを変え、文脈を組み替えて、分厚い信仰の古層の中から再構築され続ける岩船山の宗教民俗を今後も注視していきたい。
・ネットで何でも検索できる現代であるが、現場に行き話を聞くという足で稼ぐ研究を今後も続けたい。
※これは2021年2月28日(日)にオンライン開催された第106回の報告です。
※次回は3月21日(日)15時にオンラインで開催します。
―怪奇・天狗・霊験―
発表者:林京子氏
要旨:
・岩船山は栃木県の南部に位置し、街道の分岐点のランドマークであり、日光と江戸城を結ぶライン上に位置する為、寛永期に寛永寺系列の寺院として山上に高勝寺が草創された。岩船山では多くの特撮ドラマが撮影されサブカル聖地として多くの巡礼者が訪れる。巨岩(岩船)付近ではブロッケン現象が見られる。それが神仏の示現=生身の地蔵の出現とされ法師の身体を裂いて地蔵が出現する絵が描かれた 。享保4年岩船地蔵は流行神となって山を下り、関東一円を巡行した。その理由は現在も不明である 。
・岩船山のメインの信仰は死者供養・水子供養・子授け祈願である。本堂の裏山に卒塔婆を建てる現行の死者供養の習俗は近代日本の戦死者供養との関連で発展してきたと推測される。「西院の河原」は子どもの死者を供養する場所とされる。水子供養が社会現象化すると、高勝寺は江戸時代から水子供養を行っていると主張して多くのメディアに登場した。子授け祈願では、呪物の下付や岩船と孫太郎(後述)を巡拝する宗教儀礼が行われる。平成10年頃奥の院と岩船は複製され、震災で本来の岩船は忘却される。中岡俊哉氏のような超常現象研究家や霊能者が多数岩船山を訪れ寺側は彼らから影響を受けている。
・高勝寺本堂には聖なる生身の地蔵と高勝寺の怪奇譚である「お玉の怨念の刀」や様々な怪奇なモノが同居。
・岩船山山頂には天狗である「孫太郎尊」を祀った寺の堂舎がある。かつては元旦講があり、高勝寺よりも参詣者が多かった。寺では現在も天狗のお札を配布しているが、その姿は吒枳尼天に近く、また稲荷要素も混ざっている。明治31年以降、孫太郎尊は「岩船神社」と呼ばれ多くの人の尊崇を集めた。岩田重則は戦時下天狗が流行神として現出したという見解 を取っているが孫太郎尊も同様と思われる。
・昭和30年頃には30万人が供養(戦死者?)のために彼岸の岩船山に押し寄せ、彼らを目当てに死者の口寄せをする人や傷痍軍人達も集まった。昭和の終わりには岩船石の採掘による振動で孫太郎本殿は倒壊した。
・佐野市にも孫太郎稲荷がある。平将門を討った田原藤太秀郷により天明の春日ノ岡に建てられた寺の鎮守でその後13世紀に。秀郷の子孫の足利孫太郎家綱が神社を修復し「孫太郎明神」とよばれるようになった。奈良の薬師寺の「孫太郎社」は佐野の分祀であるそうだ。栃木県では民間宗教者が祀っていたマタラ神=ダキニ天を、その後「稲荷」と呼び換える例がある 。お玉も稲荷である。佐野の孫太郎と岩船山の孫太郎も別々の場所で祀られているだけで同一ではないか。
・寛永寺子院浄名院の妙運は庶民の信仰の側に立つことを決意し、自らを地蔵比丘と名乗り八万四千躰地蔵建立運動を開始する。人々は妙運を生き仏として熱狂的に支持し、妙運が日光に異動すると彼の分身の地蔵が信者の家を巡行するようになった。1980年頃池袋方面を巡行していた地蔵は行方不明となった。
・池袋在住のKさん(女性)は、巡行地蔵の信者で巡行地蔵が来なくなり自分で地蔵を建立し家で奉斎していたが、偶然岩船山に来て強い感銘を受けて自分の墓をここに作った。2020年の夏、Kさんは亡くなり、遺族の願いで石地蔵は本堂に遷座した。妙運は転生して岩船山に帰還したのである。
【まとめ】
・恐山や川倉地蔵堂などと同じように、高勝寺は戦争を契機として知名度を高めた。現在の塔婆の景観と「死者に会える場所:供養霊場」という言説は戦没者に対する多くの人々の慰霊行動が創り出したものであろう
・高勝寺では死者供養と子授け、生と死が表裏一体であるので、怪奇なモノと聖なるモノが混然としており寺は近世の創建からずっと民間宗教者や様々な言説から都合が良いものを取り込み続けている。
・岩船山は変身ヒーロー縁起のはじまりの場所であり、現在も人智を超えた霊験が現実世界に噴出している。装いを変え、文脈を組み替えて、分厚い信仰の古層の中から再構築され続ける岩船山の宗教民俗を今後も注視していきたい。
・ネットで何でも検索できる現代であるが、現場に行き話を聞くという足で稼ぐ研究を今後も続けたい。
【質疑応答から】
地域の方からの情報や、変身についてアニミズムの視点から、また天狗信仰についても貴重なご指摘をいただいた。岩船山の信仰は重層的でベクトルの異なる様々な宗教者の言説を積み上げて構成されており、唐沢山を本拠地とした佐野氏が自らを秀郷の末裔と称したことと孫太郎天狗信仰は関連が示唆される。が、客観的な史料がないため、根本的な解決は難しいと思われる。ともあれ岩船山高勝寺は現在でも強烈なインパクトをもたらす物語を生み出す力を持つ霊場なのである。
(文・林京子氏)※これは2021年2月28日(日)にオンライン開催された第106回の報告です。
※次回は3月21日(日)15時にオンラインで開催します。
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