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異類(人間以外のキャラ)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・同人誌などジャンルを越境する会です。
「アニミズム、パースペクティヴィズム、マルチスピーシーズ――民俗学的/人類学的な異類・妖怪研究のための理論的エクスポジション」廣田龍平氏

要旨:
今回の発表では、異類・妖怪研究に資する見込みのある人類学理論を、近年のいわゆる「存在論的転回」をベースとして紹介することを試みた。
20世紀から21世紀初頭にいたるまで、人文学・社会科学的な異類・妖怪研究は、「動物は変身しない」「妖怪は実在しない」などの自然科学的知見を前提として進められてきた。しかしこの前提は、民俗誌/民族誌的な話者とは共有されていないことが多い。この「ねじれ」を生じさせる「世界(自然)は一、文化は多」という西洋近代の文化相対主義に対して、「存在論的転回」は、たとえば話者の「動物が変身する」世界と研究者の「動物が変身しない」世界が、人間とさまざまな非人間との関係的実践をとおして、それぞれどのように現実化していき、また概念化されていくのかを問う。世界は、研究者が超越的視点に立てるような「一」のままではなく、「諸世界」として複数化していくもの(しかし別々になるわけではない)なのである。研究者は、話者の世界をそのまま記述することはできないが(翻訳において訳文と原文が異なるように)、みずからの概念を変容させていくことにより、「他者化」していくことはできる(翻訳により言語そのものが変容していく)。このプロセスを続けていくことが重要なのである。
ブリュノ・ラトゥールは、「類型」と「爆弾」という表現によって、「存在論的」と呼ばれる人類学的概念を分けてみることを試みた。今回は前者の代表としてフィリップ・デスコラのアニミズム、後者の代表としてエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロのパースペクティヴィズムを紹介した。
デスコラは、西洋近代の存在論を構造的に相対化するため、人々が非人間を存在論的にどう捉えるのかを「内面性」と「身体性」に分けて考え、それぞれが人間と似ているか異なるかによって4つの類型があることを示した。なかでも西洋近代の自然主義は、人間と非人間で内面性は違うが身体性は似ているという点で、内面性が似ているが身体性は違うとするアニミズムと対称的反転の関係にある。このようにして、西洋近代の存在論と対等なものとして構成されたアニミズムは、諸存在における霊魂の共通性のみならず、身体の差異について重視している点で、従来のアニミズム概念とは大きく異なるものであった。さらに、諸存在ごとに身体が異なるということは、「変身」という現象を、アニミズム概念の中核に導きいれるものでもあった。人間も非人間も変身しあう世界の概念化は、動物変身譚や異類婚姻譚に新しい理解をもたらしてくれるであろう。
ヴィヴェイロス・デ・カストロの提唱するパースペクティヴィズムは、霊魂が同じで身体が違うとき、世界はどのように変わるのかを示す概念である。アマゾンの諸民族によると、人間からも非人間的な種からも世界は同じように見えるのだが、見える世界は異なっている。このようなパースペクティヴ的存在論を、デスコラのようにアニミズムの一類型と見なす論者もいるが、ヴィヴェイロス・デ・カストロ自身は西洋近代に仕掛けた「爆弾」とみなす。実際、「世界が異なる」という存在論は、「存在論的転回」そのものに組み込まれた考え方でもある。アマゾン世界の概念による西洋近代的人類学の「変身」は、それ自体がパースペクティヴィズムの実践なのである。
アニミズムにおいてもパースペクティヴィズムにおいても、人間と他の種との(一方的ではなく)相互的な関係性が重視されている。これを記述的に実践したとも言えるのが、マルチスピーシーズ民族誌である。人間と他の種がつねに関わり合っているのは、アニミズム世界だけではなく西洋近代的な世界でも同じことである。人間に主体と能動性、それ以外に客体と受動性を割り当てるのではなく、お互いに動かされ合い、共生成していくプロセスが、マルチスピーシーズ民族誌では重視されることになる。
今回の発表は、以上の「講義」のなかに、発表者自身が現在進行形で思考中の、日本における動物妖怪や幽霊などについての見解を織り込みつつ、進められていった。参加者とのディスカッションにおいては、一つの社会に必ずしも存在論的類型が一つだけしかないとは限らないこと、擬人化とアニミズムの違いや類似点、アニミズムにおける超越的視点の不在(しかし全くないわけではない)などが確認された。また、民族誌/民俗誌以外での理論の応用についても意見があり、同時代の事例のみならず、異類が登場する古典文学についてもアニミズムなどで捉えることができるのではないか、という提案がなされた。
本発表で何回か指摘したように、欧米人類学理論に生じたアニミズムやパースペクティヴィズムの概念を日本の諸事例に適用しようとすると、いくつかの点で大きな不一致が見つかる。しかし異なる他者との出会いにおいて概念を変形していくこと、「翻訳」・「変身」させていくことが重要なのだとすれば、私たち自身が比較をとおして、複数形でのアニミズムやパースペクティヴィズムを理論化していくことが望まれるであろう。
(文・廣田龍平氏)

※次回は4月27日(土)14:00、大東文化会館404号室で開催します。

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まず擬人化という方法は〈たとえ〉の具体化であること、さらに擬人化キャラクターは原則として物語世界の住人であることを検証した。そして擬人化キャラクターを神や妖怪と区別する根拠としてキャラクターの存立する世界との関連性が重要であることを説く。
大枠としては次のように整理できるだろう。
1)すべての異類が人間的な言動をとらない世界→現実世界
2)すべての異類が人間的な言動をとる(そして共存する人間は何ら疑いをもたない)世界→擬人化世界
3)多くの異類は人間的な言動をとり、一部の異類はとる世界→現実世界(一部の異類は異能のキャラクター)
4)人間に対する異類は人間的な言動をとらず、異類に対する異類はとる世界→現実世界/擬人化世界の視点切り換え

ついで女体化キャラクターの現状について考察した。
近年、女装男子が二次元を越えてリアルでも増えてきてる。それに応じて男の娘になるためのガイドブックも次々に出されている。これらに共通するのは、二次元キャラクターをモデルとする点に特色がある。
一方で性の中間域への関心という点で共通すると思われるが、女体化キャラクターの創出も近年顕著に窺われるところだ。
女体化は後天的な設定としては変身・憑依・入れ替わり・手術などが用いられるが、先天的な設定も多い。とりわけ歴史物が拡大し続けている。
この点について『円卓生徒会』『萌訳 平家物語』『Fate』シリーズなど具体的に示しながら論じた。

擬人化と女体化の問題については、今後、キャラクター変換と関連付けて考察を進めていきたい。

以上、平成24年12月11日開催(於・青山学院大学)の第32回例会における発表要旨です(発表者:伊藤慎吾)。

※昨日開催の第33回例会要旨についても、近々アップします。

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擬人化と神格化の境界について 付、『青物づくしやんれいぶし』

擬人化と神格化との概念上の関係性について考察した。

1)擬人化という表現方法は、本来、自然物や自然現象を神格化する自然崇拝を起源の1つとするものではなかったか。

1.1)ついで抽象的な概念にもまた神を観念するようになったか(厄病神やヒダル神)。怪異から妖怪が生まれる(小松和彦説)ように。

2)それと並行して自然物に霊魂が宿ると考えるアニミズムの信仰も擬人化の起源になっているのではないか。付喪神の創造は宿るところの器物が母体となったキャラクター造形がなされている。器物に人間の目鼻や手足を表しており、宿った霊魂が人間に類似するものとしてイメージされているのである。

3)とはいえ、上記の神や精霊、妖怪の類は実在性を伴う存在である。それに対して異類の擬人化は当初から実在しないもの、想像上、寓話上のキャラクターとみなされる。

3.1)両者は明確な区分ができるものではないが、本来、信仰基盤をもって表現されてきた自然物や自然現象、概念等から信仰基盤をもたない文脈で創造されるようになったとき神格化が擬人化になったのではないか。

このあと、幕末に刊行された『青物づくいやんれいぶし』を翻刻紹介した。


以上、発表者伊藤慎吾自身による要旨。

次回は5月14日(金)、国学院大学で開催します。
詳細は近日中にお知らせします。

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