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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
 『吉利支丹物語』のキリシタン

発表者:
 杉山和也氏


要旨:
 『吉利支丹物語』は、日本へのキリスト教の伝来、日本でのキリスト教の広まり、キリスト教と仏教との宗論、キリスト教への迫害、天草・島原の乱などを描いた仮名草子である。キリシタン排斥の志向が色濃く反映された作品であり、日本にやってきたキリシタンたちは「荒天狗」や「見越し入道」に例えられ、悪役として、ある種の妖怪のように描かれている。本発表は、この作品において、キリシタンやキリスト教が如何に捉えられ、また描かれているかを考察し、その上で『吉利支丹物語』が成立に至る歴史的、文化的な背景を探るものである。
 本発表ではまず、キリシタンバテレンの姿の描写について分析を行ない、これを、中世以来、しばしば用いられてきた境界の民に対して用いられる類型的表現の系譜をひくものと位置付けた。そして、それは実際のキリシタン達の姿とは異なる虚構性に満ちた描写であるということを確認した。
 続いて、本発表の後半では、『吉利支丹物語』に見受けられるキリシタンに関する知識のあり方が、どのように位置付けられるかを検討した。キリシタン達の世界観や、彼らが行う宗教儀礼等に関する描写について、従来の研究では、読者の好奇心を満たすところに主眼があるとされてきた。しかしながら、発表者は、同時代の排耶書や、キリシタン関係文献の記述との比較から、『吉利支丹物語』は、できるだけ正確に、こうしたキリシタン達に関する知識の大要を把握し、紹介しようという志向が認められると考えた。
 キリシタンバテレンを、虚構性に満ちた表現で妖怪のように描き出していながら、キリシタン達に関する知識は、できるだけ正確に書こうとしているということは、一見、作品内での整合性が取れていないかのようだが、こうしたことは、実は現代におけるカルト等の排斥を意図した注意喚起においても、往々にして認められると、発表者は指摘した。すなわち、化物のような姿で、そうした宗教者からの勧誘の様子を描くことにより、ある種のレッテルとして、その危険性を強く印象づける。その一方で、排斥しようとする宗教の宗旨や、勧誘の手口に関する情報は正確に紹介する。そうでなければ、そうした宗教を排斥する上での、傾向と対策をあらかじめ示すことにならないためである。『吉利支丹物語』の成立時期、キリシタンをめぐる問題は、なお、燃焼していた。そうした時代性を勘案するならば、『吉利支丹物語』は、民衆がキリシタンに改宗することを阻止し、キリシタンを排斥する意図で、編まれた可能性があるのではないかと、発表者は考えた。(文・杉山和也氏)

※これは2021年11月14日に開催された第115回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名、本サイト名及び記事URLを明記してください。
※次回は12月19日(日)15時オンライン開催です。



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発表者:杉山和也氏
タイトル:
前近代東アジアの臨海諸地域に於けるシャチの認識 ―日本の事例を中心として―


要旨:
 クジラもシャチも中国古典世界の知識が網羅し切れていない存在であった。東アジアの臨海諸地域では近世以降、積極的な捕鯨を行うようになるにつれ、それぞれにクジラやシャチを〈発見〉し、実態に則した情報を蓄積していった。そして、それを元に従来の中国古典世界の知識と批判的に対峙し、またそれを相対的に捉えるようにもなっていった。
 日本では近世以降、捕鯨技術の向上を背景として、クジラの生態に関する情報が圧倒的な増幅を見せるようになる。このためにそれまで通用していた漢籍や仏典由来の「空想上の大魚」としての認識が相対化され、そして退けられていった。他方のシャチは、経緯は不明ながら中世以来、シャチホコと呼ばれる棟飾りの空想上の怪魚と深く関わって捉えられていた。また、シャチは味が「下品」であったことから、クジラほど積極的には捕獲されず流通量も少なく、それ故に人目に触れる機会が少なかったことが想定される。このために日本では「シャチの生態に関する情報」、「シャチホコと呼ばれる棟飾りの空想上の怪魚としての認識」、「漢籍由来の魚虎に関する知識」の三者について、後二者を退けることなく、むしろ同一物として整合性を求めて行く方向で考証が為されていった。前近代日本のシャチ観の特徴はこのように空想的な把握が色濃く残っていった点にある。
 ところで、シャチの〈発見〉をめぐって注目されるのは、シャチが群れでクジラを狩るという生態が東アジアの臨海諸地域の各所で〈発見〉されていった点である。自然界に於いてシャチは人間以外で唯一、クジラを狩る存在である。ところが、各所での認識や伝達された情報に異同があったことにより、クジラを狩る水棲生物に関する目撃情報が錯綜し、多様に展開していたことが確認できる。例えば『魚鑑』では蝦夷地からの情報と見られる「かみきり」について、クジラを殺す棟飾り様の姿の「鯱」とは同一視し得てはいなかった。また、十九世紀前半の朝鮮半島では、日本のクジラ類に関する知識が、漢籍由来の知識よりも信頼が置かれるという事例が認められた。李圭景の『五州衍文長箋散稿』は「魚虎(しゃちほこ)」についても、日本の『和漢三才図会』の記述を信頼しつつ紹介した上で、朝鮮半島に於いてもクジラを殺す存在として「長酥被」、「長藪被」という二種の情報を紹介している。同書が三者を同一視できなかったのには、前述の日本の「魚虎(しゃちほこ)」の空想性と、「長酥被」の情報に誤りが含まれていたことに要因が求められる。他方で十九世紀末頃成立と見られるベトナムの漢文資料『野史補遺』に記されたシャチのクジラ捕獲場面の描写は、『本朝食鑑』に所見のそれと驚くほど酷似していた。シャチは実際にクジラを捕食するという事実や、その動作の観察、そしてクジラの舌を好んで食べるという事実から、結果的にシャチという同じ現実世界の対象物(〈モノ〉)について非常に似通った言説が異なる地域に於いて生成されたということは、説話の発生の在り方という観点からも注目されるべきものであろう
 シャチの〈発見〉をめぐる言説については、先述のようにクジラを襲うという生態が自然界では基本的にシャチに限られるということから、人間達がこの事象をどのように捉えて言説を生じさせ、伝承し、それを知識として整理していったかという経緯をたどりやすい。人類がそれまでの古典知、ならびに自然観察に基づく新知見とどのように対峙し、その上でそれを表現し、また思考してきたかという問題を地球的(グローバル)な観点のもとに追究するには格好のものであると言えるだろうし、自然科学の領域との学際的研究が可能な話題でもあろう。西欧を初めとする世界の他所でのシャチの〈発見〉をめぐる言説との対照と検討については発表者の今後の課題としたい。(文・発表者)

以上は2019年1月26日の例会発表(於・青山学院大学)の要旨です。
次回は2月23日14時、青山学院大学14号館(総研ビル)6F14603号室で開催予定です。

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 本発表では、古典文学に登場するサメを取り上げ、時代時代でどのような認識を以て捉えられていたかを追究した。結果、中世以前に於いては、サメという語は多くの場合「人を襲うことの稀なエイなどの魚類」を指していると推察された。ただし、近世に入ると、サメは「人を襲う恐るべき存在」として捉えられることが多くなった。この認識の変質については、近世以降、江戸が文化的に影響力を高めて行く過程で、江戸における魚類の呼称もその影響力を増していったことを、その要因として考えた。
 以上、サメの認識の通史的な概観を踏まえて、朝比奈三郎義秀が「鮫三喉」を捕獲した説話が、原拠となる『吾妻鏡』以来、曲亭馬琴『朝夷巡嶋記全傳』に至るまでの諸作品の中でサメがどのような役割、或いは表現効果を果たし得ているのかを考察した。すなわち、『吾妻鏡』の段階では、むしろ朝比奈の「長時間の潜水」に焦点のあたった語りであり、「鮫三喉」も飽くまでも長時間に亘る潜水を表すための指標に過ぎなかったと考えられる。ところが、サメの認識が変質したことが要因となって、近世以降の諸作品では鰐鮫を倒す場面に重点が置かれるようになり、専ら武勇譚として語られるようになった。説話の構成要素(サメ)の認識が変質したことにより、説話の在り方そのものが変転したといえる。(文・発表者 杉山和也氏)

以上、異類の会第48回例会(2014年12月27日・於大東文化大学)発表の要旨です。

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 本発表では、鰐(ワニ)と共に虎が登場する説話を取り上げ、鰐(ワニ)の認識の虎に対する認識との連関に着目しつつ、その諸相を検討した。
 『今昔物語集』・『宇治拾遺物語』や「月のねずみ」説話に見られる鰐(ワニ)と虎の説話からは、両者が対立関係にあるものとして捉える認識と、相互に近しい性質を持つ存在と捉える認識とが看取された。こうした認識は漢籍の知識に基づくものであったと思われる。ただし、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、上代以来の海魚の認識で鰐(ワニ)を捉えながら、漢籍的な世界の描出を試みている。そのため、上代的な「ワニ」の認識と、漢籍的な「鰐」の認識の鬩ぎ合いが看取される。例えば、その表現空間が齟齬をきたして、不自然になっている点が幾つか認められる。また、虎と鰐(ワニ)が決闘をする説話に於いては、両者は最早、漢籍に見られたような山川の動物の争いではなく、対立関係の背後に「陸と海」という壮大な二元的世界観が付随するようになっている。
  ところで、発表者はこの度、ベトナム漢文小説の中に、『今昔物語集』・『宇治拾遺物語』所載の虎と鰐(ワニ)が決闘する説話の類話を見出した。双方の表現分析を踏まえ、この説話が近世に於ける朱印船貿易を通して、日本からベトナムへ伝播した可能性を指摘した。


以上、発表者杉山和也氏による要旨でした。

次回詳細は近々ご案内します。

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 本発表では、〈キカイガシマ〉と、〈イオウガシマ〉が具体的にどの島に相当するかといった問題に主眼を置くのではなく、〈キカイガシマ〉という言葉と、〈イオウガシマ〉という言葉の、語誌を確認していった。そして、この作業を踏まえ、永山修一が指摘する十二世紀末期を境に「キカイガシマ」の表記が「貴駕島」から「鬼界島」のように「鬼」の字を用いた表記に変化した問題を中心に、中世日本に於ける西の境界領域の様相を検討した。
  本発表では、その検討にあたり、〈キカイガシマ〉という語と〈イオウガシマ〉という語に対する認識の相関関係に着目した。当時の薩南諸島に対する認識の在り方に重要な役割を果たすのは硫黄である。中国に於ける火薬兵器製作の発展に伴い、交易品としての硫黄の価値が高まったことから、硫黄を産する島々に注目が集まり、薩南諸島に対する認識も大きく変化したものと思われる。そうした流れの中で十二世紀に〈イオウガシマ〉が出現する。そして、重要な輸出品である硫黄の管理の一環として、硫黄を産する島々の統治も行われていったものと思われる。さらに、こうした状況は、自ずと流刑として適した土地にもなっていったのではあるまいか。
 こうして交易品を多く産出する土地として、或いは流刑に適した土地として〈イオウガシマ〉に対する注目が集まった。それに伴い、同じく薩南諸島の一地域を指す〈キカイガシマ〉の、交易品を産出する土地としての認識は影を潜めるようになったのではなかろうか。すなわち、交易や流刑など現実的なやりとりで用いられる薩南諸島の呼称として〈イオウガシマ〉が台頭してくることにより、〈キカイガシマ〉は徐々に、西の境界領域としての観念的な性質が色濃くなっていったのではなかろうか。つまり、〈キカイガシマ〉は、現実的なやりとりに登場する機会が減ることにより、認識の上で遠い空間となり、西の最果ての呼称としての性質を色濃くしていったものと思われるのである。そして、このように認識の上で遠い空間として認識されてゆくことにより、例えばかつての遣唐使達が大陸へ渡る際の海上ルートであった「美祢良久之埼」(『肥前国風土記』松浦郡値嘉郷条)が、菅原道真の建議により遣唐使が停止されてから約百年後に成る『蜻蛉日記』に於いては「みゝらくの島」なる「なくなる人の、あらはに見ゆるところ」として、死者の魂の集まる海上彼方の常世国に対する認識が付与されていったように、〈キカイガシマ〉にも冥界(地獄)の認識が付与され、異境としての認識と、異界としての認識の入り交じった空間として捉えられていったものと思われるそして、またその一方で〈キカイガシマ〉は、『竹取物語』や『今昔物語集』に語られるような、〈知らぬ所〉としての性質も色濃くなり、それに伴い〈キカイガシマ〉は「鬼」、或いは「鬼がかつて住んでいた」という歴史観と結びつけて捉えられるに至ったのではないだろうか。
 
以上、発表者杉山和也氏による要旨でした。
これは2011年12月26日の例会(於青山学院大学)において発表したものです。

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異類の会
年齢:
14
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

連絡先:
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