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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル(発表者):
予言獣3題―予言獣の誤転写・アマビエの変容・件(クダン)の位置―
 1. 誤転写と予言獣
  ー「アマビエはアマビコの誤記」説の再考からー
 (長野栄俊氏)
 2. 予言をしなくなった予言獣
  誰がいつアマビエを変えたのか
  (峰守ひろかず氏)
 3. 予言獣としての件(クダン)の位置
  (笹方政紀氏)

要旨

誤転写と予言獣-「アマビエはアマビコの誤記」説の再考から-

長野栄俊氏


 『予言獣大図鑑』の資料解説で用いたキーワード「誤転写」について、具体的事例を示しながら検討した。
 前半では、「予言獣の本質はかわら版」であるとの見通しを示し、かわら版の帯びる特質を列挙した。その特質とは、1)事実報道以外の虚報や娯楽・パロディも多く含まれていたこと、2)珍談奇聞は当該地方で記録・伝承されず、都市で捏造されたものであったこと、3)「役人」云々の文言や公文書形式を模した形式は虚報に信憑性を付与するためのものだったこと、4)非合法出版ゆえ模倣版が横行したこと、5)転写されて流通し、地方へも伝播したこと、などである。
 これをふまえると、「アマビコ」から「アマビエ」への「誤記」は、肥後の役人から江戸に報告され、かわら版になる過程で生じたものとは考えにくく、先行する「あま彦(天ひこ)」のかわら版(未発見)が転写されたり、模倣版が作られたりする過程で生じたものと推定できることを指摘した。
 後半では、予言獣資料に見られる「誤転写=誤読+誤写」のメカニズムが、現代人が接する活字やフォントでは生じえない、くずし字に特有の事情によって生じたものであることを7つの事例を挙げて論じた。なかでも、くずし方が類似する字形を誤読して写したパターン(「神社姫」→「神の姫」、「くだん」→「くたべ」→「どだく」)や連綿体の文字の切れ目を読誤して写したパターン(「尼彦」→「左立領」)をくずし字特有の事例として詳しく取り上げた。
 最後に、「かいし人」や「どだく」など非合理な名称であっても、妖怪名称(怪異名称)ゆえに受け入れてしまうバイアスがかかり、誤転写を促進させた可能性があった点についても言及した。


 質疑応答の時間では、予言獣の要件としての「人面」の問題や、予言をしない瑞獣かわら版を予言獣に含めるかどうかという定義の問題、予言獣かわら版の営利ではない無償配布の可能性の有無などについて質問があった。(文・長野栄俊氏)


 


予言をしなくなった予言獣 誰がいつアマビエを変えたのか


峰守ひろかず氏


 2023年12月に刊行された『予言獣大図鑑』の拙稿「予言から疫病退散へ」では、2020年に端を発したコロナ禍を経て、アマビエの通俗的な性格(属性)が、「予言する妖怪『予言獣』の一種」から「伝統的な疫病退散祈願の対象」へと変質したことを指摘した。今回は、この変質の時期と過程について、主に新聞報道を参考に報告を行った。
 変質の第一波は、2020年2月以降にインターネット上でアマビエが流行する中で「疫病を退散させる妖怪」として扱われるようになったこと、それを受けて厚生労働省が4月上旬(この日付については後述する)に「疫病から人々を守るとされる妖怪」として感染拡大防止啓発アイコンに採用したことによって起こったものと考えられる。
 一方、新聞報道では、アマビエに言及した記事は3月から見られるが、この時期から4月頃にかけての記事は、アマビエが疫病退散祈願に使われていることには触れつつも、あくまで予言するもの(予言獣)として紹介していた。もっとも、この時期には、本文ではアマビエを予言獣として扱いつつも、見出しでは疫病退散属性を強調している記事も散見できる。この流れを受けて、4月初旬〜5月上旬頃になると、記事本文においても「アマビエは伝統的な疫病退散祈願のシンボル」という設定が明記され、「江戸時代にはアマビエが疫病が封じる妖怪として広く信じられていた」という「史実」が存在したことになってくる。
 さらに5月中旬以降は「アマビエ=伝統的な疫病退散の妖怪」という図式は周知の事実として通用するようになる。ネット上でのブームを経て既に通俗的妖怪としてのアマビエの性格は「予言獣の一種」から「伝統的な疫病退散のシンボル」へと変わっていたが、それが社会に定着したのが、この時期(5月中旬)と言える。
 2020年のアマビエの変質は、まず「新型コロナ収束」という社会的な需要(願望)に応じて偏った認識が広まり、その上で、報道機関が社会に広がっていたイメージに合わせた表現を多用したことが念押しとなって「伝統的な疫病退散の妖怪」という性格の固定化が生じたものと考えられる。


 なお、発表後の質疑応答では、厚労省がアマビエをアイコンに採用した日付について、発表者が「2020年4月9日」としていることに対し、「8日以前ではなかったか」との指摘を受けた。確認を行ったところ、厚生労働省のWEBサイトにアマビエを採用したロゴが掲載されたのは同年同月7日の深夜で、厚生労働省の公式Twitter(現X)アカウントによる本件の周知が行われたのが9日であった。正確には7日時点で採用されていたことになるため、機会があれば訂正を行いたい。
 また、アマビエの変質や社会への定着過程を見るためには新聞報道だけではなくワイドショーやニュース等の映像媒体にも気を配るべきとの指摘もあった。活字情報以外の分野の掘り下げ不足は自覚しており、今後の課題と受け止めている。
 質疑応答の中では、変質後のアマビエ像を示す資料として取り上げた児童書の監修者から、同資料の編纂中にアマビエの記述が疫病退散妖怪へと傾いていった過程を具体的に聞くこともできた。このあたりの情報も今後生かしていくこととしたい。(文・峰守ひろかず氏)


 



予言獣としての件(クダン)の位置


笹方政紀氏


  現在把握されている件(クダン)(以下「クダン」という。)のかわら版は、『予言獣大図鑑』にも掲載した『大豊作を志ら須件と云獣なり』と『件獸之寫真』の2枚があり、その内予言をするものは後者の1枚だけである。それにも関わらず、クダンは予言獣の代表的な存在のように言われることも多い。本発表では、その経緯を追いつつクダンの予言獣としての位置を確認した。
 少なくとも18世紀において、クダンは正義や正しいものの象徴であり、予言をしていなかった。文政2(1819)年、予言獣の古い事例である神社姫や姫魚の流行した年、予言をするクダンの記録が残っているが、予言獣としてかわら版(読売、摺物とも)に登用された事例は幕末まで下る。
 クダンと他の予言獣との大きな違いの一つとして、クダンは既存の妖怪(ここでは便宜上、妖怪とする。)を採用し予言獣構文を持つかわら版に登用したものであるが、アマビコやクタベなど他の予言獣は予言獣オリジナルのものであり予言獣のかわら版やその転写物などの中でしか存在が認められない半人半漁の人魚もクダンと同様に既存の妖怪を登用したものと言えるが、その事例は限られている。また、神社姫や姫魚は人魚の類と言えるが、独自のオリジナルの名称を有している。
 近代になると、かわら版というメディアはその立場を徐々に新聞にとって代わられていく。それにつれ、かわら版やその転写物の中にだけ存在していた予言獣は徐々に衰退していく。片や、クダンはかわら版等の世界だけでなく、畸形の仔牛の誕生譚を伴い現実に起こったとされる噂話の中で予言をし、生き続けていく。その事例は近世のかわら版と違い多数認められる。飼牛のいる農村部から食料としての牛が飼育される都市部へも広がり、太平洋戦争時などには戦時流言としてクダンは語られた。
 平成になり、湯本豪一氏が「予言獣」というカテゴリを推奨する時には、他の予言獣は衰退し消える一方で、クダンはその事例、資料を増やすことにより、予言獣の代表として捉えられた。このようにクダンは予言獣として特異な位置に存在するものであるといえる。(文・笹方政紀氏)


※これは2月17日(土)にオンラインで開催された第141回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。


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第141回開催のご案内

日時:2月17日(土)15:00 
会場:オンライン(Zoom)

タイトル:予言獣3題
 ―予言獣の誤転写・アマビエの変容・件(クダン)の位置

  1. 誤転写と予言獣ー「アマビエはアマビコの誤記」説の再考からー(
長野栄俊氏)
  2. 予言をしなくなった予言獣 誰がいつアマビエを変えたのか(峰守ひろかず氏)
  3. 予言獣としての件(クダン)の位置(笹方政紀氏)

発表者:長野 栄俊氏・峰守 ひろかず氏・笹方 政紀氏
 
要旨:

1. 誤転写と予言獣ー「アマビエはアマビコの誤記」説の再考からー(長野栄俊氏)
 コロナ禍でアマビエが流行した際、「アマビエはアマビコの誤記」説が一般にも流布した。予言獣の世界で「誤」が多くの新種や珍名を生みだすことは報告者も認めるところである。しかしこの説では、出現情報が肥後から江戸に報告される過程で「誤記」が生じたと捉えている節があり、「誤」の生じた段階の想定としては疑問が残る。
 そこでまずは予言獣(資料)生成の過程を再検討し、どの段階で「誤」が生じるのかを見極めたい。また、この「誤」は、くずし字の「誤読」を伴う「誤転写」として生じたものと捉えることができ、現代的な「誤記」として理解するのは十分ではない。本報告では、この誤転写の仕組みをいくつかの事例をもとに紹介し、誤転写と予言獣との関係を取り上げてみたい。

2. 予言をしなくなった予言獣 誰がいつアマビエを変えたのか(峰守ひろかず氏)
 「予言獣大図鑑」の拙稿「予言から疫病退散へ」では、コロナ禍を経て、報道や一般書におけるアマビエの在り方が「予言する妖怪(予言獣)の一種」から「疫病退散祈願のシンボル」へと変質したこと、また、アマビエの疫病退散属性は決してコロナ禍をきっかけに生まれたものではなく、従前から存在していた萌芽がコロナ禍をきっかけに大きく取り上げられた結果として起こった可能性があることを指摘した。
 ここで起こった変質は特定の個人や団体の先導によるものではなく、複数の公共機関、マスコミ、商業施設、SNSユーザー、識者らがお互いに不確かな情報を参照し合うことによって、存在しなかった伝承(史実)がごく短期間のうちに作り上げられ、規定事実化するという現象が起こったものと考えられる。
 だが、変質のタイミングはどこかに存在するはずである。今回は、報道等に見られるアマビエの説明の変遷を通じて、いつアマビエは疫病退散妖怪という個性を確立したのか、アマビエを変質させた主体がどこにあったのかを考えてみたい。

3. 予言獣としての件(クダン)の位置(笹方政紀氏)
 予言獣としての件(クダン)については、概要を「件(クダン)の予言」として『予言獣大図鑑』に纏めた。近世においては、予言をしていない時代から、予言獣として採用され、やがてかわら版にも描かれた。近代になり、同書が再定義した予言獣の枠を超え、人々の間で語られる存在として、現代でも広く知られている。
 今のところ、件(クダン)が予言をするかわら版は一枚しか知られていない。それにも関わらず、予言獣の代表として扱われることも多い。今回は、改めて件(クダン)が予言獣としてどのような存在であるか、人々にどのように認識されているかを再考し、予言獣の中の件(クダン)の位地を確認してみたい。

長野栄俊編・岩間理紀・笹方政紀・峰守ひろかず著『予言獣大図鑑』(文学通信)好評発売中!
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-86766-026-3.html


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タイトル:
孫太郎の探索4―またまた孫太郎天狗に連れ回された件

発表者:
林 京子

要旨
1、岩船山の孫太郎天狗信仰
 
・「生身の地蔵出現の霊場」岩船山高勝寺には天狗「孫太郎尊」が祀られ、飛行する稲穂をくわえた狐に乗るカラス天狗のお札が頒布されている。17世紀初めには岩船山に魔=天狗がいたことが『御鎮座記』に書かれ、18世紀初めの幕府が作らせた街道絵図にも孫太郎の名前の堂舎が複数描かれる。天台宗寺院の常行堂の背後を守るのが摩多羅神。高勝寺は山王一実神道に沿って創建された寺院なので、東照三所権現の一つである摩多羅神がいても全く不思議はない。高勝寺の周辺では中世は吒枳尼天信仰が盛んで、近世には吒枳尼天と摩多羅神が習合した。さらに得体のしれない強力な力を持つという共通性から、仏法の守護神である摩多羅神と、仏法の敵である天狗が、性格が真逆であるのに習合したのではないか。そうすると岩船山の孫太郎天狗とは摩多羅稲荷天狗なのかもしれない。
 
2、佐野市の孫太郎稲荷と佐野氏
 
・岩船山の近隣の佐野市伊賀町には通称「孫太郎稲荷」がある。稲荷と通称されているが、その本体は天狗である。佐野の孫太郎稲荷は佐野氏の祖先神「藤原(足利)孫太郎家綱」崇拝の変奏でもある。唐沢山城に祀られた吒枳尼天が、佐野城の移転で現在の孫太郎稲荷に習合したと考えられ、岩船山の孫太郎と同じ天狗と推測される。
 
3,薬師寺の孫太郎稲荷
 
・薬師寺の境内社孫太郎稲荷は狐であり天狗ではない。「孫太郎稲荷は領主によって姫路を所払いされ社人がご神体を持ってあちこちさまよい、縁があって寛政ごろに当地に来てここに鎮座した」とされ、伏見稲荷との関連も示唆される。佐野に孫太郎稲荷を再興した佐野孫太郎義綱の名前から「孫太郎稲荷」であるという説も存在する。
 
4、姫路市の孫太郎稲荷
 
・姫路の「孫太郎稲荷」は「春日神社」の境外末社で「刃の宮地蔵尊」と隣り合い、社殿がなく「孫太郎稲荷大神」と彫られた石碑が建つだけ。能「小鍛冶」が姫路の在地伝承化し、地蔵と合体している。孫太郎狐は芝原村に留まったが、一人暮らしの老婆が孫太郎狐に食物を与えていた。孫太郎は老婆の恩に報いる為姫路城の本田家(姫路領主)の金蔵に忍び込み千両箱を盗み出して老婆に与えたことが露見し、藩主本田忠政から国拂いを命じられ、やむなく書置きを残して姫路を去ったという。
 
芝原村周辺の鍛冶職の人々の信仰と能の「小鍛冶」が合体し、三条宗近の相槌を打った「孫太郎狐」は稲荷神の化身として信仰され、境界のカミとして祀られていた石地蔵と三条宗近が合体して刃の宮地蔵尊になったようだ。何らかの理由で近世のはじめに孫太郎稲荷は破却されたが、姫路に移住した佐野氏が祀った「孫太郎稲荷」が「姫路の孫太郎稲荷」と習合した可能性も完全否定はできない。姫路の孫太郎稲荷の成立は重層的である。
 
5、ここまでのまとめ
 
・孫太郎とは親の代が早世し孫が家督を継いだことを示す記号(=孫嫡子)または太郎や次郎(=宗家)から少しへりくだった位置にいるという序列を示す記号で個別名ではない可能性もある。
 
・近世は祭神が吒枳尼天でも天狗でも特に問題が無かったが明治以降、神社として存続するために祭神になんらかの合理的統一的な意味付けが必要となり、それが孫太郎の迷走を生む?
 
6、福岡の「中司孫太郎稲荷」
 
・福岡市中央区西公園13-10に「正一位中司孫太郎稲荷」が存在。この付近に点在していた多数の稲荷社を一ヶ所に集めて祀ったのが始まりとされる。その裏山斜面には、30体以上の神体を祀る大小の祠がぎっしり並び、ひょんなことから「サイバー神社」となってしまった。社務所の人の話では、中司孫太郎神社の「中司」は人名なのか、地名なのか、まったくわからないが、大昔に伏見稲荷から分霊としたとも聞いているらしいが、中司孫太郎稲荷は松源院・東照宮の裏山に位置するという高勝寺と同じ地政学的な位置。ここに摩多羅神がいても全く不思議はない。福岡まで行ったのに、スタート地点に連れて行かれてしまった。天狗おそるべし。
 
7、岩船山の孫太郎尊拝殿内の新展開
 
一方、岩船山では孫太郎尊本堂の脇の絵馬堂にあったものが、壁面に掛け直されていた。奉納額は40個ほどであったが、元旦講のものや、剱の形のものもあり孫太郎尊への祈願者は剱を奉納するとされていた先行研究と一致する。また、孫太郎本殿は脇障子や羽目板彫刻、天井画もあったが、近代以前の奉納物が廃棄されている為詳細は不明。
 
8、おわりに
 
「吒枳尼と飯綱とは異名異体にして而も一体ならん」(『和漢故事群談』)狐の尾に宝珠を造るのも、『古今著聞集』巻六「咜祇尼天生活事幷福天神事」に拠るもので、宝珠は福徳を与えるものである、とされていることがわかった。また孫太郎尊の画像は、『飯綱権現御縁起文』の一部を画像化したものとも考えられる。江戸時代の絵図の「福躰孫太郎」とは、吒枳尼天=稲荷の姿のものを指していたとも考えられ、狐の形の孫太郎もあったということなのだろうか?管見の限りで最も古いお札(小山博物館所蔵)は「奉修狗賓剛」という文字のみのもの。一方昨年放映された「仮面ライダーギーツ」の主人公のギーツは吒枳尼天と思われる。その最終回は高勝寺でロケが行われ、孫太郎参道の前に九尾の狐の姿で吒枳尼天ギーツが祀られた。社の背後は鐘楼である。仮面ライダーギーツでは、世界が創り替えられる時鐘の音が響き渡る。その音は戦時に供出されてしまった高勝寺の鐘の音なのだろうか。得体のしれない吒枳尼天、摩多羅神という中世密教の尊格に、現在のメディア製作者(と発表者)が引き寄せられるのは、必然なのか偶然なのか。発表者はこのところ、狐や天狗に化かされて日本中連れ回されているが、これで終わりにしてもらえるのだろうか(涙)              
 
9、質疑応答から
 
・狐の尾や宝珠については『古今著聞集』以外にも『渓嵐拾葉集』にも言及されており、その信仰は重層的で、各時代ごとに重なり合い膨れ上がるが、その根本は中世密教的な、得体のしれない障礙神である吒枳尼天や摩多羅神の習合があるだろう。
 
・高勝寺の奉納額は、詳細な記録の作成が必要で、そこから意外な広がりがみられる可能性がある。暖房が全くない環境なので、3月以降に再調査を行いたい。
 
・天狗は山の神であり、山の神とは人の生死を知る神であることが、昔話などから推察される。それゆえに戦死除けの祈願が為された。また孫太郎尊は中世には釼が峰(けんがみね)という岩船山で最も高い岩山の峯に住まうと考えられ、そこから「剱の形」=孫太郎尊という理解が為され、祈願の報賽が剱形とされたと推測される。或いは相模大山の「お太刀上げ」(祈願には太刀を奉納する)の模倣も考えられる。
 
・福岡の「中司孫太郎稲荷」の奥に祀られる多くの祠については、アンヌ・ブッシイ『神と人のはざまに生きる』東京大学出版会、2023(3版)が非常に参考になるので、興味のある方は、ぜひお読みいただきたい。発表者は単に岩船山の宗教文化史調査を行っているだけで、特に天狗を調べたいわけでもなく、キツネや稲荷信仰に関心があるわけでもないのに(それ故?)孫太郎に連れ回されて疲労困憊である。このままどこに連れて行かれるのか心もとない今日この頃である。大変拙い発表を聞いて頂いた皆様に心から感謝いたします。
 (文・林京子氏)

※これは1月14日(日)にオンラインで開催された第140回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。


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第140回開催のご案内

日時:1月14日(日)15:00 
会場:オンライン(Zoom)

タイトル:孫太郎の探索4
     またまた孫太郎天狗に連れ回された件

発表者:林 京子氏
 
要旨:
 栃木県栃木市の岩船山には「孫太郎尊」と呼ばれる天狗の社がある。佐野市の「孫太郎稲荷」の本体は天狗で、姫路の孫太郎稲荷と奈良の薬師寺の孫太郎稲荷の本体は狐であった。前回の発表後、孫太郎という名前は個別名ではなく、地位や継承権の序列(長男が早世し、孫が家督を継いだ=孫嫡子、または太郎や次郎という直系に遠慮した地位である)を表わす名称の可能性もあり、その場合はそれぞれの孫太郎は特に関係がないと思われる。
 ところが、成り行きで2023年の10月に福岡市の中司(なかつかさ)孫太郎稲荷に参詣することができたが、そこは民間信仰の霊場だった。一方現在の岩船山の孫太郎尊を管理する高勝寺は、突如孫太郎稲荷拝殿内を整備しはじめ、そこには民俗学的にも興味深い絵馬や奉納物が多数見られる。今回は知られざる岩船山の孫太郎尊拝殿内部と、福岡市の中司孫太郎稲荷の画像をお見せし、重層的な「孫太郎信仰」の一端と発表者の妄想を紹介したい。


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タイトル:
「天狗と修験者」再考

発表者:
久留島 元

要旨
 このたび白澤社より『天狗説話考』を出版していただいた。
 https://hakutakusha.co.jp/book/9784768479995/
 拙著で言及したが、これまで天狗研究は民俗学によってリードされており、在野の研究者として柳田国男や知切光歳の一連の著作があるほか、研究書としては宮本袈裟雄『天狗と修験者:山岳信仰とその周辺』(人文書院→法蔵館文庫)がある。しかし修験道研究はその後急速に史料の開拓が進んだ。拙著でもその成果の一部を反映し、これまで印象論として語られていた「南北朝期における天狗像の変化」などを修験道史との関係によって位置づけた(つもり)である。すなわち南北朝期以降、天狗説話は修験道による寺社縁起などに積極的に取り込まれ、山岳修行者を奉仕したり、霊場を護る護法神として認識されたりした。そうした修験道側の言説のなかで、天狗は「山の神」とも同一視され、仏敵、魔物という認識から「山の神霊」としての天狗像へと変化していくのである。
第一三五回異類の会(二〇二三年七月三〇日)に毛利恵太氏によって報告された「白峯相模坊」も、近世に流行した四国巡礼の影響下で「本地不動にて南海の守護神」(『四国偏礼霊場記』)と位置づけられ、「山の主」(『香西記』)と同一視されたことがわかっている。
 ところで相模坊は西行が崇徳院霊を慰めたという謡曲「松山天狗」に登場する天狗だが、その由来については、先行研究で『保元物語』に現れる三井寺(園城寺)の相模阿闍梨勝尊かと指摘されるものの確証はない。
 金輪運岳紹介の史料では「満位の行者相模坊道了」が天狗になって東へ飛び去ったといわれ(三井寺天狗杉の由来)、このため現在では神奈川県最乗寺の道了尊になったとも説明されるが、道了尊との関わりはよくわからない。金輪氏の紹介する資料は所在不明のため調査中だが、園城寺周辺には複数の「相模坊」が語られていたようである。なお近年では西行と寺門派修験の影響が強いことが注目されており、西行伝承とともに寺門派修験によって相模坊説話が白峯寺に持ち込まれた可能性があることを指摘しておきたい。
 このように、天狗説話の担い手としての山岳修験者(山伏)の活動が垣間見える事例がいくつかある。愛宕縁起に登場する日羅坊もそのひとつである。
日羅は本来、『日本書紀』に百済達卒として登場する実在の武人で、暗殺され肥前葦北(熊本県)に葬られたという。しかし聖徳太子伝承では百済の高僧と造型され、聖徳太子の師とも位置づけられた。しかし戦国時代には日羅は愛宕権現と同一とも考えられており、徳川家康、加藤清正らに信仰されていたという。また愛宕白雲寺縁起では、天竺の天狗日羅が震旦の善界、愛宕の太郎とともに愛宕山を開いた役行者、泰澄を嘉したとされる。
 実は日羅を開基とする寺は大阪・兵庫や、熊本・宮崎・大分などに分布し、聖徳太子と関わる異国の高僧として伝承される。現在は廃寺だが甲信地方にも日羅伝承とともに勝軍地蔵法を伝える堂寺があったといわれ、愛宕信仰との関わりが推測される。聖徳太子信仰のなかで神格化された渡来人日羅は、中世修験の伝承で重視されていたようである。
 日羅伝承の担い手とも考えられる愛宕山伏は、豊臣秀吉の時代に規制が加えられ、判形を所持しなければ活動を認められなかったという。逆に言えばそれ以前は真偽定かでない山伏が横行していたということであり、野盗、野武士に近い存在としても認識されていた。戦勝祈願の勝軍地蔵を奉じ、野盗に近いほどの武力をもった存在であった愛宕山伏は、戦国時代において善くも悪くも大きな存在感があり、そうした山伏たちと同一視されることで天狗像も大きく変化したと考えられる。
 質疑応答では「八天狗」が相模坊、太郎坊などの天狗に比定された経緯や、「八天狗」として信仰対象になっている例など、天狗信仰と文芸の関係について話題が広がった。また古代の説話では天狗は必ずしも山だけに結びつく存在ではなかったが、修験道との関わりによって山の神霊という側面が重視されるようになったことを、改めて指摘した。
(文・久留島元)
※これは12月24日(日)にオンラインで開催された第139回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。

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異類の会
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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gijinka☆way.ocn.ne.jp
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