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異類(人間以外のキャラ)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・同人誌などジャンルを越境する会です。
永井荷風の日記『断腸亭日乗』の太平洋戦争前後の記事(とくに昭和15年から16年にか けて)には、他者による投書や落書がたびたび引用されている。その中には、近世の俳文や黄表紙を模して動物などの〈異類〉を活躍させたものや、近世の落書を模した上で、政治批判を〈妖怪〉の姿に託したものなどもある。
本発表では、戦時下において、こうしたある種の江戸趣味に基づく作品がいかなる意味を持ち合わせて創作・受容されていたのかについて若干の考察を試みた。『断腸亭日乗』に記録された戦時下の投書および落書は、“匿名の作者が特定の人物(ここでは荷風)を目指して行った表現行為”と、“匿名の作者が不特定多数の人物を対象にして行った表現行為”に二分できる。さらに、これらは、匿名の作者による表現行為と、それを自らの筆で記録する荷風という、重層的な構造によって後世に残された作品でもあった。
また、以上の考察を通して、新たに以下のようなテーマも浮上してきた。一つは、前近代の〈異類〉と、近代以降の〈異類〉の接点と差異である。もう一つは、主として子供向けに発展した“キャラクター”的な意味合いを持つ〈異類〉と、大人向けに発展した、諧謔を通じた政治・世相批判を含む〈異類〉の役割の差である。今後は、戦時下の〈異類〉たちを含めたかたちで、こうした大局的な問題についても考察を深めていきたい。(文・発表者 今井秀和氏)

以上、異類の会第51回例会(2015年3月18日・於大東文化大学)発表の要旨です。


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南方熊楠は短歌・俳句を精力的に作っていたわけではない。しかし、親しい知人への手紙に書き添えたり、人に求められて短冊や色紙などに書いていたことが、日記の記述や現存資料から確認される。
そこで本発表では、まず熊楠の詩歌の全容を把握するために時系列に詩歌一覧を作成した。その結果、在米時までの熊楠はもっぱら都々逸作りを行っているのに対して、短歌や俳句はほとんど作っていなかったことが見えてきた。短歌・俳句の創作を本格化していくのは、帰京後、熊野で調査を始める明治35年(1902)以降のことである。
短歌に関しては、心得がないことを白井光太郎宛の書簡中に記しており、また俳句についても正岡子規や河東碧梧桐らとの交流はありながらも特に師事していたわけではない。どちらにしろ素人ではあるが、日頃から歌書や連俳書、西鶴作品等をよく読んでいたことから、和歌・俳諧の知識は豊富であったと思われる。熊楠にはそうした知識を裏打ちするような創作が見られ、またその作風も近代短歌・俳句というよりも、平明で言語遊戯的な伝統的な和歌であり、月並俳諧であったと評することができるだろう。
また猫を題材短歌の例は見出されなかった。それに対して俳句は9句確認される。大正14年1月に集中的に吟じたことがあったようであるが、その背景は不明。ただ、人に求められ墨絵に添えたものが多いこと、旧作を改作することもあったことが認められた。こうした創作事情や田辺俳壇との関わりなど、背景についても今後調べていきたい。(文・発表者 伊藤慎吾)

以上、異類の会第49回例会(2015年1月28日・於大東文化大学)発表の要旨です。


※なお、南方熊楠顕彰館で間もなく企画展「熊楠と猫」が開催されます。
【会期】2月7日(土) ~3月8日(日)
座談会「四方山〈猫〉話(よもやま<ねこ>ばなし) ~猫を語ろう!~」(2月8日(日)13:00~15:00)
詳細は下記URLをご覧ください。

http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?c=i150207

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 明治時代における妖怪・お化けに関する研究で、最も有名なものは井上円了による妖怪研究であろう。仏教哲学者である円了は『妖怪学講義』『妖怪玄談』などの著作を記し、また1893年には「妖怪研究会」を設立するなど、哲学や科学によって妖怪や迷信、俗信の打破を目指した。これらの研究は明治維新・文明開化による日本の様々な面での西欧化・近代化の大きな流れのうちの一つとしてとらえることができるが、同時に、円了は明治期において最も妖怪やお化けについて詳しい人物でもあった。
 しかし、円了が全国を巡回し、講演会を行い始めた頃に、讀賣新聞紙上でとある会が発足した。それが「化物会」である。

 1907年7月に発足したこの「化物会」は、「お化は居るものとか居ないものとかいう様な野暮な研究にあらず」「昔からあると伝えられたるお化を利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試むるもの」であると紙面上で盛んに宣伝し、第一回会合には坪井正五郎、芳賀矢一、鳥居龍蔵といった当時の有名な研究者の面々を集めたにも関わらず、同年9月の初めには紙上からほぼ完全に消滅してしまった、謎の会である。しかし、わずか二ヶ月ほどの活動期間の記事には、その当時の妖怪に対する見方や、現代においても重要な記述や指摘などが多くあり、この会の活動について研究することは意義があると思われる。
 当時、井上円了による「妖怪学」が興隆し、円了自身が全国で講演会を開くほどであった。妖怪の実在・非実在や迷信の害についてなど、啓蒙的な学問であった妖怪学に対抗する形で、「お化けを利用して学術に関する多趣味多方面の新式研究を試みる」という別視点からの研究を求めた結果だったと考えられる。
 また、「集古会」や「流行会」に代表されるように、当時の文化人は趣味や学問を共有して楽しむ傾向があったように思われる。「化物会」もその一環だったのではないか。 
 1907年8月30日の讀賣新聞の社告『九月以後の讀賣新聞』に、「三面記事改良」という項があり、『淫猥なるものを避け、毒悪なるものを避け、常に高尚なる材料を選んでかかげ、(中略)一家団欒の席上にて朗読するも決して顔を赤らめたり、不快に感じたるする事なきは本紙三面記事の特徴なり、…』と書かれた。「化物会」関連の最後の記事である『珍怪百種 完』が9月5日であることを考えると、一連の活動は三面記事改良に伴って連載不可になってしまった可能性がある。1908年2月22日の投書欄に『化物研究会は其の後どうなりました 会名が会名だけに立ち消えになりはせぬかと心配しています』という投書があり、読者にも告知なく消えてしまったことが推察できる。
 単純にお化けらしい季節である夏季のみの活動だったのではないかとも考えられるが、仮規則などは長期活動を考えた内容となっているので、短期活動だったとは考えにくい。


以上、毛利恵太氏「明治期の讀賣新聞における「化物会」の活動について」(第36回例会発表)の要旨でした。

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