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異類(人間以外のキャラ)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・同人誌などジャンルを越境する会です。
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異類同士の合戦をテーマにした物語を異類合戦物という。餅×酒、野菜×魚、獣同士、虫同士などがあり、もっと狭い範囲では淡水魚×海水魚、山の野菜×里の野菜、京の織物×関東の織物などの対立軸がある。こうした異類合戦の物語は中世後期から幕末明治期にかけて文芸世界でさまざまに展開していった。その流れの中で以下の3つの問題を取り上げた。
(1)事実譚としての異類合戦物
異類の合戦は、古来、話題性のある出来事であった。ただし古代から中世前期にかけては、まだ珍事として説話化されるに過ぎなかった。それらの珍事を文芸として昇華することは、『平家物語』などの軍記物語のパロディという趣向が生み出される中世後期を俟たねばならなかったと思われる。そして近世は戯作、戯文が広く開拓されていき、『宮川舎漫筆』に引用されているような戯文も容易に創作されるようになった。
(2)対人型―退治できない異類との戦い
異類合戦物は異類同士を前提とするが、中には早物語「清盛蜂合戦」のように人間と蜂の戦いを描いたものがある。一般に人間と異類との戦いというのは、人間が人間を襲う異類を〈退治〉するという異類退治物として捉えられる。ところが「清盛蜂合戦」のような物語は〈退治〉に主眼が置かれているのではなく、〈合戦〉が主であって、退治できたかどうかといった結末は重要ではない。このように異類と戦う人間が英雄でもなく、異類側が退治されるのでもないということであり、また合戦自体をテーマとしていることである。こうした人間対異類の合戦は、基本的に異類同士の〈異類合戦物〉に類するが、一方が人間というタイプであることから、これらの物語を便宜〈異類合戦物・対人型〉と呼びたい。
(3)擬人名と戯人名
異類合戦物においては、少なくとも主要キャラクターには固有名詞が与えられる。魚のブリならば「鰤丹後守」(『魚太平記』)、虫のホタルならば「蛍左衛門尉尻照」(『諸虫太平記』)などである。これを擬人名という。ところが人間世界で人間に名付ける名前にこうした擬人名に類する名前を付ける作品が散見される。たとえば「小倉又兵衛忠酔」(『水鳥記』)は酒の擬人名ではなく、ただの酒好きな人の名前である。こうした非現実的な物語』と同様に擬人名のように見える。しかし、物語世界は擬人化世界といいがたい。かといって、通り名や源氏名と理。こうした擬人化キャラクターのネーミングに類する、しかしながら人間に与えられた名前を、従来から使われてきている〈戯年号〉(←偽年号)に準じて〈戯人名〉と呼んでおきたい。(文・伊藤慎吾)

以上、異類の会第54回例会(2015年6月13日・於大東文化大学)発表の要旨です。

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本発表では異類合戦物が近代以降どのように展開していったのかということを、各時期の特徴に注目しつつ捉えようと試みた。
まず明治期はその初期において江戸時代の文芸ジャンルが生き残っていたが、異類合戦物は新たな題材・表現を用いながらもその枠内で新作が作られていた。草双紙『雑具魚鳥山海餅酒読切大合戦』(明治10年刊)、落語「遣繰軍記」(明治32年口演)、一万斎芳政画「道戯大合戦」をはじめ、ジャンルは多岐に亘る。また口承文芸の早物語の受容も看過できないだろう。
その後、江戸文化を否定する傾向に伴い、各ジャンルの異類合戦物も衰退する。
また児童文学が発達する中、昔話や西洋の翻案の寓話、創作などの子ども絵本が多く作られるようになる。異類物自体はこのように新たに開拓されていくが、しかし合戦をテーマとした作品は求められなくなる。
児童向け読み物も発達するが、そこでは博物的、科学的関心を深めるという啓蒙志向が顕著に出て来るようになった点に新たな異類物の意義があるが、やはり合戦はテーマにされなかった。
このように異類合戦物は明治期に入り、衰退の一途をたどるが、SF文芸の中に異類の要素は受け継がれることになった。これは直接影響関係があるということではなく、世界観やキャラクターの設定に類似点があるという程度だったと思われる。
その一方で、漫画やアニメーションといった子ども向けの新たなメディアの誕生は、異類合戦物を再起させることになった。
アニメでいえば、猿軍vs白熊軍の戦いを描いた「お猿の三吉 突撃隊」(昭和9年)や日本の昔話のキャラクターたちvs侵攻するミッキーマウスたちを描いた「オモチャ箱 第三話 絵本」(昭和11年)など、近代以前の異類合戦物同様に単純なストーリーや世界の設定によるものが典型的な作例である。
戦後はテレビや映画というメディアの普及、漫画やゲームの増加といった大衆娯楽産業の拡大の中、異類合戦物は生み出されていった。もちろん、双六のようなボードゲームでは〈合戦〉に類する〈競争〉が戦前から扱われてきて今日に続く(「むしのうんどうかい」など)。
現代は擬人物が特殊に流行しており、従来の傾向と異なる娯楽産業と密接に関わりながら作品が生み出されている。
すなわち従来は異類は外見も異類(蜂なら蜂の姿のまま、もしくはそれに近い形態)であった。今日も児童文化の枠内では主にその形態を踏襲するが、サブカルチャーの領域では美少女化・イケメン化する傾向が強い。
そして合戦物は戦略SLGとして発達している。
その一方でトレーディングカードゲーム、さらにカードバトルRPGの流行に伴い、多種多様な異類(主にモンスター)の合戦物が生み出されている。

以上のように、近代以降の異類合戦物は、児童文化から派生した娯楽文化において数々の作品を生み出していった。
その一方で、合戦というテーマはゲームに適したものであることから、コンピュータゲームやカードゲームの発達により、多種多様な世界観・キャラクターが現れるようになった。(文・発表者 伊藤慎吾)

以上、異類の会第52回例会(2015年4月4日・於大東文化大学)発表の要旨です。

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 お伽草子作品『花鳥風月の物語』は、月と花の戦を描いた異類合戦物である。本発表では、花方の勢揃え場面に見られる「花尽くし」を中心に取り上げ、季語に注目しつつ物語の構造を解析した。
 物語は、秋を象徴する月と、春を象徴する花との座敷論という「春秋優劣論」に始まる。着到付の場面では、まず、到着順に春の花々が挙げられ、次に諸国の軍勢として夏・秋の植物が紹介される。ここから、花の中でも春の花々が主力であることが分かる。一方、月方へは月や星が馳せ参じ、天の川原に陣を取る。合戦の場面では、「秋の野の郎等露草(別名:月草)」対「仲秋の名月」という構図となり、深手を負った満月は片破月となる。この場面では「秋対秋」あるいは「月対月」となっている。互いに犠牲を出し、落首などの遣り取りがなされるが、最後は嵐という「秋」の援軍によって月方の勝利が決まった。花は散り行き、月も天に帰り天下太平となる。伝統的な春秋優劣論の系列と同じく、秋の勝利による幕引きである。
 本文にはおよそ三十三種の植物名が織り込まれている。今回は『枕草子』『源氏物語』『徒然草』における「花尽くし」と比較し、また『花情物語』『浄瑠璃物語』『胡蝶物語』などお伽草子作品との共通点も指摘した。また、少なくとも五箇所以上に『和漢朗詠集』の影響が見られる。先行研究では、『和漢朗詠集』をもじった落首に「落花不語」の語がないことから「直接参看したものではない」との指摘があるが、発表者はしほりんたう討死の場面に「落花不語」が見えることから意図的に改変した可能性を述べた。
 本発表では、登場人物(植物や自然現象)の季語から作品を読み解いた。その結果、『花鳥風月の物語』は短編の物語ながら「物尽くし」の手法によって、場面ごとに対比効果と抑揚を生み出していることが分かった。(文・発表者 北林茉莉代氏)


以上、異類の会第44回例会(2014年4月25日・於青山学院大学)発表の要旨です。

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奥浄瑠璃の滑稽物の一種である『虫合戦』を通して、滑稽物と異類合戦物との関わりなど諸問題を取り上げた。
東北の奥浄瑠璃や九州の琵琶説経には短編の異類物が語り物として、また歌として伝承されている。奥浄瑠璃では『雑具合戦』『虫合戦鳥獣の助太刀』『餅合戦』などが主要なものである。
戦前の芸能研究者宮本演彦のノートに記される「虫合戦」は現在確認されるものとは異なるものだったようである。
聞書が残る『虫合戦鳥獣の助太刀』は浮世草子『虫合戦物語』を改作したものと思われる。一方『大寄席噺尻馬』収録の同題作品はその後の改作本ではないかと想像される。
寄席との関わりはまだ明確に指摘できないが、石井研堂が『万物滑稽合戦記』収録の『世帯平記諌略巻』末尾に講釈師が口演したものともいうという付言をしている点に注目し、おどけ講釈や豆蔵講釈において、軍談や軍書咄のパロディとしての異類合戦物の口演の可能性を説いた。(文・発表者 伊藤慎吾)

以上、異類の会第39回例会(7月26日・青山学院大学)発表の要旨です。

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石井研堂は異類合戦物をテーマにした『万物滑稽合戦記』を明治34年(1901)に刊行した。本書は今日入手困難であるが、異類物の歴史を考える上で有益な資料だと思われる。そこで本発表では本書の概要とその今日的な価値とについて私見を述べた。
明治期、近世文学があまり顧みられず湮滅するのを危惧して刊行された正続100冊の帝国文庫の1冊として刊行されたものである。
研堂は本書に先行して前年明治33年に続帝国文庫『日本漂流全集』を出している。研堂は日本の漂流文学の先駆者と評されるだけあって、今日でも漂流関係の著述中で言及されることが多い。
しかし『万物滑稽合戦記』については存命中からほとんど評価されずに今日に至っている。
少年向けの読み物多数執筆したこと、戦前の明治文化研究を主導したこと、錦絵の収集・研究、漂流記の収集・読み物化が高く評価されているが、それとは対象的である。
本書に収録される作品はお伽草子・仮名草子・浮世草子・黄表紙・洒落本・戯文である。
これらは戯作とそれ以前の作品、またその周辺の戯文である。
研堂は『明治事物起原』(大正15年改訂・春陽堂版以降)において万亭応賀に代表される明治期の戯作を「低級文学」と酷評しているが、『万物滑稽合戦記』に収録される諸作品はいずれも「低級文学」と評される類のものであり、自身の編著を否定したものとも受け取れる。
ただそれは、西洋文学の影響下に生まれた近代小説に対する相対的なものであったようである。
研堂は児童向け読み物を数多く手掛けたが、中でも『動物会』(明治22年)や「虫国議会」(『小国民』3-13~4-24、明治24~25年、所収)のような、応賀の『虫類大議論』(明治6年)を彷彿させる異類物を創作している。
また『日本全国 国民童話』(明治44年)序文には童話(昔話・伝説の類)の目的は幼童の教育・啓蒙ではなく「心意上に慰安と歓楽」をもらたすことであると説いている。
これは『万物滑稽合戦記』収録作品の価値を「たゞ、あゝ面白いと云ふ勝鬨(かちどき)の声をあげしめんことを期するのみ」という点に求めていることと同じである。
つまり、本書収録の異類合戦物作品は一種の児童読み物として研堂に捉えられていたのではないかと思われる。
研堂の児童向けの作品は『理科十二ヶ月』や『少年工芸文庫』からも知られるように、理科や工作、博物といった面を重視していた。
多種多様な擬人化された生物がそれぞれの特性を生かして合戦を繰り広げる描写は十分その方面の魅力を伝えるものであった。
文学としては低級だが、児童読み物としては意義のあるものと評価していたのではないかと思われる。
では今日における本書の価値はどこにあるのだろうか。
1つはその先駆性である。室町期から幕末期に至る物語作品から擬人化キャラクターたちが合戦を繰り広げるものを収集し、異類合戦物の大枠を捉えている。
もう1つはその資料性である。本書所収の作品はもともと価値が低く、今日散逸してしまったものが多い。本書以外では翻刻されていないものが10作品、現在所在不明のものが5作品ある。
本書によって示された異類合戦物諸編を手かがりに、今後は錦絵類を含めた各ジャンルの該当作品を発掘・蒐集していくことが必要となろう。


以上、伊藤慎吾「石井研堂編『万物滑稽合戦記』の再評価」(2013年3月例会)の発表要旨でした。
4月例会については追ってお知らせします。

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