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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
日本に於いてミイラはいかに捉えられたか

発表者:
杉山 和也氏

要旨
 本発表ではミイラ、引いてはエジプトが、特に前近代の日本でどのように捉えられてきたか、という問題について、ミイラがどこでどのようにできるのかを説明する説話を中心に考察した。これは現代でもよく知られる「ミイラ取りがミイラになる」ということわざの成立と深く関わる説話であるが、従来、研究が乏しい。
 ミイラという日本語は17世紀のキリシタン関係の文献に現れ、没薬という樹脂の薬品を意味していた。17世紀後半頃からは錯誤が生じてか、舶来の枯骸の薬を意味するようになる。偽薬が横行するほど、この洋薬は流行した。こうした時代性を背景に上述の説話が諸種の文献に見られるようになる。1711年に130歳で亡くなったとされる渡辺幸庵に対するインタビューをまとめた『渡辺幸庵対話』〔宝永6年(1708)8月9日、対話〕という文献を始め、貝原益軒『大和本草』、後藤梨春『紅毛談』、為永春水『閑窓瑣談』、松葉軒東井『譬喩尽』などに、この説話が見受けられるが、内容には少しずつ違いが見られる。特にミイラができる場としての砂漠に関する描写にはバリエーションがあり、『渡辺幸庵対話』に所載の話では砂漠を小舟で移動するとされている点は、16世紀成立の『東大寺大仏縁起』や19世紀初頭の『絵本西遊記』初編などで、玄奘三蔵が、タクラマカン砂漠を移動しているはずの場面で、波打つ水面を渡る船が描かれていることと繋がる問題だろう。つまり、水が豊富にある湿潤な日本列島に於いて、砂漠のような空間を文献等の情報を主に頼りとしつつ理解し、具体的に思い描くのは、古来、容易ではなかったことを示唆している。前近代の日本では、このように限られた情報と既知の事物に基づいて〈想像〉をめぐらせ、そして〈創造〉をもって補いつつ、遥か遠方の未知の世界のミイラ、引いてはエジプトを捉えていたことが窺われる。
 なお、今回の発表内容は、『中東・北アフリカ日本研究ジャーナル』第2号に刊行予定である。 今回の発表では、特に西洋からのミイラに関する情報の伝来とその受容の問題に焦点を絞って考察を行った。前近代日本における漢文の文献を介しての「木乃伊」、「蜜人」など、ミイラに関する情報の伝来とその受容、ならびに本発表で扱った西洋由来の情報との照らし合わせの問題については、いずれ稿を改めて論じることとしたい。
(文・杉山和也氏)

※これは11月24日(木)にオンラインで開催された第138回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。

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タイトル:
白峯相模坊はどこから来たのか
 —「天狗の山移り」の虚実


発表者:
毛利 恵太

要旨
 今回は天狗の中でも香川県の大天狗として知られる白峯相模坊を中心に、伯耆坊・清光坊という伯耆大山(だいせん)にまつわる天狗の来歴を紐解き、天狗研究家・知切光歳が提唱した「天狗の山移り」説の妥当性について検証した。
 相模坊は謡曲『松山天狗』『鞍馬天狗』で知られた天狗であり、近世の地誌や縁起、紀行文にもその存在が確認できる。讃岐の地に配流となった崇徳上皇の陵墓の傍らに祀られた相模坊だが、近世以前の縁起にはその名が確認できないため、崇徳上皇の怨霊・魔王イメージの醸成とともに形作られ、実際の信仰の場にも定着していったと推測される。伯耆坊もまた大天狗の定番として相模坊や愛宕山太郎坊・鞍馬山僧正坊と並ぶ知名度があるが、実際の伯耆大山における信仰にはその名は用いられなかった。しかし伯耆大山の周辺における天狗認識にはその名を確認でき、地誌などの記録や謡曲などの物語、民話などの口碑において「伯耆大山には伯耆坊という天狗がいる」という前提は共有されていた。清光坊は石鎚山信仰圏で用いられていたと思われる経文『天狗経』にのみその名が確認でき、それ以外の場ではほとんど取り沙汰されてこなかったようである。
 相模大山(おおやま)における信仰にも天狗は存在するが、その名は石尊権現の脇侍である「大天狗小天狗」としか呼ばれていない。しかし知切光歳は相模大山の大山寺に祀られた「伯耆坊」という天狗の祠を“発見”したことで、相模大山の天狗は伯耆坊であるというやや飛躍した論を展開していった。大山寺の伯耆坊祠は記録を信じるならば戦後間もなく建立されたものであり、ここ以外で相模大山の伯耆坊という天狗の名は確認できない。知切は霊山などに棲む天狗には必ず棟梁となる名付きの大天狗がいると考え、特に天狗の名が列挙された『天狗経』を重要視していた。その意識と「相模坊という讃岐の天狗」「伯耆坊ではなく清光坊の名が記された『天狗経』」「相模大山に祀られた伯耆坊」という情報を組み合わせることで「かつて相模大山(おおやま)には相模坊、伯耆大山(だいせん)には伯耆坊がいたが、相模坊が讃岐の白峯に移り、空所となった大山(おおやま)に伯耆坊が移り、更に空所となった大山(だいせん)に清光坊が現れた」という説を提唱したのであった。
 知切の天狗研究は現在に至るまで強い影響を与えており、様々な分野から天狗を研究・考察する時にもよく引用されている。そのため、知切の独自研究からなるある種の“珍説”も定説として無批判に流通することになってしまった。今回の調査で現在定説とされているものにも批判的に向き合う必要性を改めて実感した。今後の課題としては、知切の天狗研究の全体的な再検証と、今も各地に遺されているであろう天狗経・天狗祭文の事例収集が考えられる。また相模大山の「伯耆坊祠」についても、より詳しい背景などの確認が必要であろう。
(文・毛利恵太氏)

※これは2023年7月30日(日)にオンラインで開催された第135回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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第122回開催のご案内

日時:
6月26日(日)15時00分
会場:オンライン(Zoom)開催
 
タイトル:
疑似姉妹の心中と怪談

発表者:

嘉川馨(a.k.a ぜんらまる)氏

要旨:
 戦前(明治後期~昭和前期)にかけて発生した女学生同士の心中が、女学校内で「心中を遂げた疑似姉妹の霊が出る」という怪談に発展していた可能性について検討します。



※来聴歓迎!
初めて参加する方は
 TwitterID: @iruinokai
にDM等でご一報ください。

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タイトル:
神仏による「祟り方・罰のあて方」

発表者:
羽鳥佑亮氏


要旨:
  本発表では、神仏の祟り方・罰のあて方そのものに注目した。論じるにあたっては神仏による「祟り」や「罰」と表記されるものに加え、神仏の意に反したと記載、またそのようによみとれるものを術語として「祟り・罰」とし、その中から特に、似た傾向をもつと思われた、対象が疾病を患うもの、対象が事故に遭遇するものを俎上にあげ、「祟り・罰」の表現の変遷の大きな潮流を確認した。
  まず、対象が疾病を患うものについては、平安時代から室町時代にかけては、対象がどのような「祟り・罰」の原因とされる行為をとったにしろ、おおよそは、ただ疾病を患うのみであり、際立った特徴はなかったようだった。しかし、江戸時代からは、対象がとった「祟り・罰」の原因とされる行為から連想される疾病を患うものが増加する傾向にある。
  さらに、対象が事故に遭遇するものについても同様の傾向が認められ、平安時代から室町時代にかけては、対象がどのような「祟り・罰」の原因とされる行為をとったにしろ、おおよそは、ただ何らかの災難に遭遇するのみであり、際立った特徴はないようだが、江戸時代からは、対象がとった「祟り・罰」の原因とされる行為から連想される疾病を患うものが増加する傾向にある。しかしそれだけではなく、対象が事故に遭遇するものについてはさらに、江戸時代から、普通に生活していては遭遇することのない、いわゆる怪異や妖怪とされるものへ遭遇する、というものがみられ、これもひとつの潮流となるようである。
  こういった潮流が江戸時代に出現した要因としては、神仏や宗教施設の周辺で起きたことを「祟り・罰」であるとする認識の強まりや、「因果応報」として説明されたものが「祟り・罰」とされたことが考えられるものの、いずれも推測に留まる。しかし、これらの新しい潮流からは、どうやら「祟り・罰」の説話は、それまで霊験譚とされていたものから、耳を驚かせる怪奇譚として享受されるようになったあらわれであるといえそうであり、人々の興味が霊験から怪奇に移るという、さらに大きな流れの一端であろうと考えられる。

  質疑応答では、発表でとりあげた「神仏」の指す範囲について、形而上のもののみで権化を扱うかどうかについての御指摘や、とりあげられた事例についての補足の御意見があった他、プレ発表であったこともあり、発表の体裁や御指導も様々にいただいた。
  御指摘の箇所については応答ができなかった箇所もあり、今後の課題としたい。御意見に感謝を申し上げる次第である。

※これは2022年5月29日(日)にオンラインで開催された第121回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
※次回は6月26日(日)15時00分オンライン開催です。

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タイトル:日本中世の地震と異類ーー龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏

要旨:
 本発表では、日本中世の龍神説の形成と展開について、元暦地震(1185年7月9日)の事例を中心に、考察を試みた。所説の一般性・普遍性を論じる以前に、まずは書物固有の性質や文脈を踏まえて事例を捉えることの重要性・有効性を指摘した。具体的には、これまでの研究でとりあげられた公卿日記や歴史書に見える龍神説の事例のほとんどは、占術の判定結果なのであって、それらによって時代一般の認識といえるかどうかは、慎重に考える必要があるということを論じた。すなわち本発表を通じて、龍神説中心に中世の地震観を説明することへの疑問を提示したのである。
 質疑応答では、『今昔物語集』巻三十一の鯉説話や『平家物語』の龍神説話群、『渓嵐拾葉集』等々の、他の説話・類話との関係を視野に入れて考察を深めていくべきであると御指摘をいただいた。さらに、「信仰」という語の使用が曖昧であり、より適切に表現すべきというアドバイスや、『天地瑞祥志』の成立に関しては最新の先行研究を参照すべきという御教示をいただいた。他にも、国家鎮護と災害はどのような関係にあるか、「平家と龍神」説が結びつく初見は何か、ウロボロス的世界観を日本の学僧はいかに享受したか、『愚管抄』の龍の説はどの程度の影響力があったか等々の御質問を頂戴した。(文・児島啓祐氏)


これは2021年3月21日(日)にオンライン開催された第107回の報告です。
※次回は4月25日(日)15時にオンラインで開催します。

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プロフィール
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14
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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