質疑応答ではまず、氷厘亭氷泉氏の御所蔵のうちに新たな伝本を御教示いただき、有難くも御提示をいただいたうえ、利用の御許可を頂戴した。簡略ながら篤く御礼を申し上げる。氷厘亭氷泉氏蔵伝本は、本発表で提示した基本的な体裁から外れているが、むしろそれだけに、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉が江戸時代後期頃に広く膾炙していたことを示すものであった。

　ついで、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の位置づけとしては、戯文に散見される御薬の体裁にされたもののひとつであるという見解がなされた。また、近接のものとして落書の提示がなされ、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉は風刺をきかせるものではないために異なるものでありながらも、いわば同床異夢がごとく、同じ観念のもとに成立したと考えられ、江戸時代前期頃からの大きな流れのうちにあるとする御意見を頂戴した。

各系統の特徴より、それらを頒布した動機や団体に関する事項については発表でも示したが、主に頒布を行っていた地域についても考慮の余地があることを御指摘いただき、殊に仏門において出されたと推測されるものには、特定の地域と関わりそうであることが質疑応答のうちにみいだされた。さらに、主となる内容とはずれるが、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉諸本のひとつに「弘法大師十種無益歌」と題する、弘法大師が六字名号を賞賛する和歌が付されることから、弘法大師と六字名号の結びつきにも広がりをみせた。主とする研究とは異なるものの、弘法大師と六字名号を結びつける文献は管見に他にもいくつか散見されるため、気にしつつ解明を課題としたい。

〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の内容としては、この御薬を調合したとされる「其身野德成」という擬人名についても話題となり、異類の会主催の伊藤慎吾氏により、構想段階ながら「擬人名辞典（仮）」のお考えが提示された。〈伝来薬「心躰安樂丸」〉をはじめとする教訓を示した戯文にはこの類も多いことから、御力になればと思う次第である。また、〈伝来薬「心躰安樂丸」〉の細かい内容の分析は今後の課題とし、まずは前述した、伝承文学研究会大会での発表を成功させたい。

同時刻に怪異怪談研究会シンポジウムが開催されていたために集まりに不安があったが、新しい伝本の発見を主とし、思いの外に収穫があったように思える。御所蔵の伝本を御提示のうえ利用を御許可いただいた氷厘亭氷泉氏には、簡略ながら重ねて御礼を申し上げる。