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異類(人間以外のキャラ)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・同人誌などジャンルを越境する会です。
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廣田龍平氏
「天狗は悪魔か天使か、はたまた妖精か――日欧翻訳実践における意味の変遷をめぐって」

 今回は「天狗は悪魔か天使か、はたまた妖精か――日欧翻訳実践における意味の変遷をめぐって」と題して、日本の知識人たちが、西洋の何を「天狗」という日本妖怪に当てはめたのか、翻訳実践の変遷を追う内容の発表を行なった。
 まず、16世紀後半~17世紀前半のキリシタン文献においては、天狗はキリスト教の「悪魔」の翻訳に用いられていたことを紹介した。「正しき教え」であるキリスト教に対抗し、また自在に天空を飛翔する悪魔たちは、仏法の敵であり、やはり翼をもって空を飛ぶ天狗と宗教的・倫理的に同一視されたのである。一方で天使のほうは「アンジョ」と音訳されるに留まった。その後、禁教とともに西洋の宗教情報はほとんど入らなくなってくる。蘭学が本格的に盛んになった18世紀末、ふたたび西洋(オランダ語)の言葉に「天狗」という訳語が割り当てられることになったが、このとき蘭学者たちが想定していたのは、悪魔ではなく天使、とくに智天使(ケルビム)のほうであった。
 なぜ彼らはキリシタンとはまったく概念的に反対の存在を用いることになったのだろうか。今回の発表では、18世紀末~19世紀前半、依然としてキリスト教の体系的な知識を得ることは困難だったが、断片的な知識を得ることは可能だったため、そこから成立したのが「天使は天狗である」という等式だったのではないか、と考えた。具体的には、天狗も天使も翼が生えており、人間のような姿をしており、超常的な力をもち、場合によって神仏との関係が前景化されることもあった。脱宗教化された天使は、倫理的な共通点ではなく、形態的・能力的な共通点から、当時やはり脱宗教化されていた天狗と比較可能な存在になったのである。
 一方、20世紀前半、浅野和三郎らの神霊主義において、天狗は(今度は)西洋の妖精と類似することが指摘されるようになるが、近代化した日本において、もはやこの意見は一般に受け入れられることはなかった。
フロアとのディスカッションにおいては、『日葡辞書』ではどのような訳語が用いられていたか、前近代の漢訳キリスト教文献ではどうなっていたか、明治初期の西洋人による翻訳ではどうだったか、といった、さまざまなコンテクストにおける「翻訳」事例へと内容を広げる質疑が交わされた。また、天狗ではなく鬼はどのように翻訳に使われたか・翻訳されたか、という観点からのコメントもあった。確かに鬼は、天狗と比較すると現代でも幅広く訳語として用いられている。この違いは何だったのだろうか。日本における「鬼」理解が大きく関わってくるだろうが、今後の検討課題である。
 翻訳を通して「異類」の理解を捉えようとする試みはこれまでほとんど行なわれてこなかったが、異文化からの視点は思わぬ発見をもたらす可能性もある。今回はおもにオランダ語との比較を行なったが、今後はほかの欧米・東アジア諸語にも視野を広げてみたいと考えている。
(文・廣田龍平氏)

次回は8月8日(火)18:30開始、武蔵大学3号館2階 院生GSルームで開催します。


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