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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
白峯相模坊はどこから来たのか
 —「天狗の山移り」の虚実


発表者:
毛利 恵太

要旨
 今回は天狗の中でも香川県の大天狗として知られる白峯相模坊を中心に、伯耆坊・清光坊という伯耆大山(だいせん)にまつわる天狗の来歴を紐解き、天狗研究家・知切光歳が提唱した「天狗の山移り」説の妥当性について検証した。
 相模坊は謡曲『松山天狗』『鞍馬天狗』で知られた天狗であり、近世の地誌や縁起、紀行文にもその存在が確認できる。讃岐の地に配流となった崇徳上皇の陵墓の傍らに祀られた相模坊だが、近世以前の縁起にはその名が確認できないため、崇徳上皇の怨霊・魔王イメージの醸成とともに形作られ、実際の信仰の場にも定着していったと推測される。伯耆坊もまた大天狗の定番として相模坊や愛宕山太郎坊・鞍馬山僧正坊と並ぶ知名度があるが、実際の伯耆大山における信仰にはその名は用いられなかった。しかし伯耆大山の周辺における天狗認識にはその名を確認でき、地誌などの記録や謡曲などの物語、民話などの口碑において「伯耆大山には伯耆坊という天狗がいる」という前提は共有されていた。清光坊は石鎚山信仰圏で用いられていたと思われる経文『天狗経』にのみその名が確認でき、それ以外の場ではほとんど取り沙汰されてこなかったようである。
 相模大山(おおやま)における信仰にも天狗は存在するが、その名は石尊権現の脇侍である「大天狗小天狗」としか呼ばれていない。しかし知切光歳は相模大山の大山寺に祀られた「伯耆坊」という天狗の祠を“発見”したことで、相模大山の天狗は伯耆坊であるというやや飛躍した論を展開していった。大山寺の伯耆坊祠は記録を信じるならば戦後間もなく建立されたものであり、ここ以外で相模大山の伯耆坊という天狗の名は確認できない。知切は霊山などに棲む天狗には必ず棟梁となる名付きの大天狗がいると考え、特に天狗の名が列挙された『天狗経』を重要視していた。その意識と「相模坊という讃岐の天狗」「伯耆坊ではなく清光坊の名が記された『天狗経』」「相模大山に祀られた伯耆坊」という情報を組み合わせることで「かつて相模大山(おおやま)には相模坊、伯耆大山(だいせん)には伯耆坊がいたが、相模坊が讃岐の白峯に移り、空所となった大山(おおやま)に伯耆坊が移り、更に空所となった大山(だいせん)に清光坊が現れた」という説を提唱したのであった。
 知切の天狗研究は現在に至るまで強い影響を与えており、様々な分野から天狗を研究・考察する時にもよく引用されている。そのため、知切の独自研究からなるある種の“珍説”も定説として無批判に流通することになってしまった。今回の調査で現在定説とされているものにも批判的に向き合う必要性を改めて実感した。今後の課題としては、知切の天狗研究の全体的な再検証と、今も各地に遺されているであろう天狗経・天狗祭文の事例収集が考えられる。また相模大山の「伯耆坊祠」についても、より詳しい背景などの確認が必要であろう。
(文・毛利恵太氏)

※これは2023年7月30日(日)にオンラインで開催された第135回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
必ず発表者名を明記してください。

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第135回開催のご案内

日時:7月30日()15時00分
会場:オンライン開催
 
タイトル:
 白峯相模坊はどこから来たのか
  
「天狗の山移り」の虚実

発表者:
毛利 恵太

要旨:
 白峯相模坊といえば、讃岐国白峯(現・香川県坂出市の五色台)で祀られている大天狗である。その名は謡曲『松山天狗』『鞍馬天狗』にも登場し、いわゆる「八天狗」として愛宕山太郎坊や鞍馬山僧正坊などと並ぶ存在とされるなど、古くから大天狗の定番として知られていた。この相模坊に関する逸話の一つに「相模坊は元々、相模国(神奈川県)の天狗であったが、ある時に讃岐国に山移りをして飛来してきた」というものがある。この「天狗の山移り」は天狗研究家として知られる放送作家・知切光歳が提唱したもので、それによると「かつて相模国の大山(おおやま)には相模坊、伯耆国(鳥取県)の大山(だいせん)には伯耆坊がいたが、相模坊が讃岐国の白峯に移り、空所となった大山(おおやま)に伯耆坊が移り、更に空所となった大山(だいせん)に清光坊が現れた」という出来事があったのだという。この「天狗の山移り」は知切の著作においてたびたび取り上げられ、まるで本当にあった事のように紹介されているが、実際にはそのような出来事を記録した資料は存在せず、全て知切の推測からなるものでしかない。しかし知切の著作はその後の天狗研究・天狗認識に大きな影響を与えており、「天狗の山移り」も無批判にそのまま受容され、寺社や自治体の解説にもそのまま用いられているのが現状である。
 本発表では「天狗の山移り」があったという相模坊・伯耆坊・清光坊の資料を精査し、また知切の著作や記述を検証することで、これら三体の天狗が過去どのような存在として扱われてきたのか、また「天狗の山移り」がどのようにして提唱されたのかを考察する。

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タイトル:
90年代における人形の怪談についての一考察
 —メリーさん・リカちゃんの怪を中心に—


発表者:
鳴海 あかり

要旨
 今回はメリーさんとリカちゃん人形を中心として90年代を中心とした人形の怪談についての考察を行った。
 まずメリーさんが関連する怪談として「青い目の人形」や「メリーさんの電話」がある。怪談「青い目の人形」の背景には戦前の日米人形交流と、それによってアメリカからおくられてきた実在する「青い目の人形」との関連があると考えられる。実在した「青い目の人形」にはメリーの名が多く、またメリーという名の青い目の人形をきっかけとして各地の青い目の人形が探されるようになった流れがあり、怪談「青い目の人形」とほとんど共通する感動秘話もついていた。この感動秘話が有名となり、怪談「青い目の人形」の素地となったと思われる。
 もう一つ有名なメリーさんと言えば横浜を闊歩していた老娼婦のメリーさんがいるが、当時メリーさんと呼ばれた女性は彼女だけではなかった。一般的に西洋っぽい女性の象徴的な名前としてメリーという名があったといえる。
メリーさんといえば「メリーさんの電話」という怪談が代表的だろう。これについては「リカちゃん電話」とも言われ、人形でもない事例も多い。実際、話の構造として人形である必要はないからである。
 リカちゃん人形の怪談といえば「三本足のリカちゃん」であるが、そのイメージ形成においては『LCミステリー』別冊1992年8月号の記事の影響が強いと思われる。
これらの話は時代的背景もあり、多くサブカルチャー作品にも登場する。特にメリーさんは口裂け女やトイレの花子さんほど決まった姿がないが、西洋人形のような姿の美少女というイメージがよくみられる。
 質疑応答ではありがたくも多数の情報提供を戴いた。また青い目の人形・三本足のリカちゃんについて、初期の掲載誌の編集者などが意図的に話を構成したり、広めていた可能性を指摘された。これは私が知らず知らずのうちに見逃していた可能性であり、改めて都市伝説が自然に広まるだけとは限らないのだと思わされた。今後は今回提供された情報・知見を取り入れて論文として仕上げていきたい。
(文・鳴海あかり氏)

※これは2023年6月25日(日)にオンラインで開催された第134回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
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第134回開催のご案内

日時:6月25日()15時00分
会場:オンライン(Zoom)開催
 
タイトル:
90年代における人形の怪談についての一考察
 —メリーさん・リカちゃんの怪を中心に—

発表者:
鳴海 あかり

要旨:
 1988年、アメリカの民俗学者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンによる『消えるヒッチハイカー』が、重信幸彦・大月隆寛らによって翻訳された。重信らはこれによって口承文芸研究に新しい風を吹き込もうとしたのだが、民俗学者は同時代の話としての都市伝説そのものには興味を持たず、結果放り出された「都市伝説」は商業メディアによって人面犬などの怪しげな「ウワサ」たちの新たな呼び名として採用され、次々に「都市伝説」と銘打たれた本が出版された。またこのころにもう一つ挙げられることとして、中学校教師であった常光徹による児童向け怪談集『学校の怪談』シリーズが契機となった、学校の怪談ブームがあった。

 このように、1980年代末~90年代前半にかけては怪談や怪しげな話が特に世間の注目を集めていた時代であった。そんな時代の中にあって、人形の怪談も数多くささやかれた。今回はその中でも特にメジャーであり後世への影響力も強いと考えられる「青い目の人形」「メリーさんの電話(リカちゃん電話)」「三本足のリカちゃん」の三つの怪談を取り上げ、その背景や関連性について一つ考察を述べようと思う。

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タイトル:
孫太郎は天狗か狐か
 ―岩船山高勝寺の孫太郎尊とその周辺―

発表者:
林 京子氏 

要旨
 発表者は岩船山(栃木県栃木市)の宗教文化史を調査研究している。岩船山中には天狗「孫太郎尊」が祀られている。明治以降は、高勝寺が天狗信者の講である「元旦講」を引き継いでいた。
 佐野市にも岩船山と同一と思われる天狗が「孫太郎稲荷」として祀られている。この「孫太郎」は伝説的な武将藤原秀郷の子孫で怪力無双の藤原「孫太郎」家綱である。岩船山の孫太郎と佐野の孫太郎は同一の尊格と考えられる。佐野で奈良の薬師寺の鎮守休岡八幡宮末社に「孫太郎稲荷」があることを教えられた。
 そこで奈良に行くと「孫太郎稲荷は姫路を追われて寛政期にここに来た」と教えられた。そこで姫路まで行くと、孫太郎は狐で、書置きを残して国払いされ、孫太郎稲荷は破却されていた。そして能の演目である「小鍛冶」が狐の孫太郎を主人公とした姫路の伝説になっていた。
 『大和名所図会』(寛政三年)の薬師寺の挿絵に現在の孫太郎稲荷と同じ場所に鳥居と小祠が描かれている。寛政元年あたりに遷座したから、ではないかという指摘をいただいたが、姫路から昨今来たばかり・・・などのいわくがあれば、名所図会に記載があるのではないか。休岡八幡や薬師寺の詳細な寺史の追及が今後の課題である。
 また、発表者は「孫太郎」は俗名とは考えてきた。が、「太郎」「次郎」のように、孫太郎とは系図が一代飛んでいることを示す順番を示す名前で個人名ではない、とも考えられる。今回の発表で言い忘れたが、孫太郎と孫嫡子とは同じ意味である。疱瘡除けの「湯尾の孫嫡子」との関連も興味深い。
 孫太郎という名を結節点として東(天狗)西(狐)の別の孫太郎伝承が存在することが判明したが、両者が同体なのか別なのか、簡単に断定もできない。山伏が奉斎していた「孫太郎明神」は、天狗の姿で神狐に騎乗した尊格で、それが吒枳尼天でも稲荷神でも、近世には特に問題が無かった。しかし、明治以降は修験道禁止令で本来の祭祀者を失った上、祭神に合理的な意味付けがされたことが現在の孫太郎の迷走を生んだようにも思えるが、天狗か狐に連れ回された発表者に、彼らが近世の豊饒な信仰世界を垣間見せてくれたのかもしれないし、それ自体が彼らの作りだす幻なのかもしれない。今後もこのような信仰世界を産み出す霊場、岩船山をさまよい続けたい。
(文・林京子氏)

※これは2023年5月28日(日)にオンラインで開催された第133回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、
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誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

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