以上、発表者伊藤慎吾による要旨でした。
次回は明日です!時間・場所は同じ。
擬人化に対する個人的な見解を提示した上で、『隠れ里』における擬人化について考察した。
1.擬人化とは、「異類の世界を人間の常識に落とし込む行為」である。異類を単純に人になぞらえるだけでなく、人の世界に属する動物などにも「擬人化」する。
2.擬人化はテキストと絵画の両側からのアプローチを必要とする。
3.テキスト上で問題となるのは、異類の意識である。本来とるべきでない人間的な行動をとる場合、動物などに限らず、神仏もまた擬人化されたと言えるのではないか。
4.擬人化された図像として問題となるのは、異類とも人間ともつかない姿。これは時代とともに人間の姿に近づいてくる。
5.擬人化される動物とされない動物がいる。
以上の点をふまえて『隠れ里』の異類を見た結果、
動物には鼠に代表される人間くさい行動をとるものと、馬のように擬人化された動物に使役される動物がいる。擬人化される動物たちは人間と一定の距離をもち、その距離感が擬人化されない動物との境界線を形成しているのではないか。
動物の図像を見比べると、鳥獣と比べて、魚介類は一段人間に近い姿に描かれている。これは人間が魚介類を鳥獣よりも生物として距離があると考えていたからではないか。
神仏について、福神が神話的背景から切り離されたキャラクターとしての神だと考えると、福神の喧嘩というモチーフは、福神のキャラクター化が進んで俗化され、神という聖性をはぎ取られて人間のレベルにまで落とされた擬人化ではないのか。
以上の仮説を得た。
このほか、個々の動物のイメージや、『隠れ里』に見られるパロディへの意識についてもふれた。
以上、発表者塩川和宏氏による第8回例会発表要旨でした。
『狗猿合戦物語』は、天保五年の書写奥書を有する江戸後期の戯作と見られるが、その内容は、お伽草子の異類合戦物の流れを汲んでおり、異類物に関心をもつ者にとって注目すべき作品である。
物語は、ある山里に住む美しい犬の姫君「深雪姫」に、「猿の太郎」が一目惚れするところから始まるが、これを契機に、それぞれの一族全体をも巻きこんで、犬と猿との対立・合戦にまで展開する。
物語中に引用される故事・説話に中国関連のものが多いことなどは本物語の一つの特徴と言えるが、中でも奥書に記された「絵巻」と「詞書」に関する記述は、異類物の制作と享受を研究テーマとしている発表者にとって、重要な示唆を与えるものである。本発表においては、特にこの点を中心にして考察を試みた。
以上、三浦億人氏による第2回例会発表の要旨でした。
なお、本発表では翻刻資料も配布されました。