忍者ブログ
異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
1  2  3  4 
タイトル:
民俗事例ZOOM聞き書きの集い 序

発表者:
永島大輝氏


要旨:
 異類の会はオンラインになり毎回数十人の参加になって久しいのですが、『旅と伝説』の大阪民俗談話会みたいなことをしてみたかったのです。『旅と伝説』の通巻八十五号などに談話会の記録が載っているのですが、澤田四郎作が「下駄や草履は午後降ろさぬ」と言う俗信を紹介します。それを受けた岩倉市郎が類例として、アシナカに唾を吐くことを述べれば、それをうけて小谷方明が「蛇をさすと指がくさる」と言われているために「指した時には唾をはく」ということを語る。そんな感じの事をZOOMでやってみようという試みでした。
 結果、やってみたらできた。という感じです。
 事前にアンケートで質問はしておいたのですが、会話の中で記憶がよみがえる人が続出。
 私はこうしたときには自分の解釈などは言わないように努めているので、ひたすら聞いていたつもりですが、それでも一九時までかかり、いつもなら懇親会の時間まで使わせていただきました。
 これはどこかに報告せねばならない、と思っています。
 そして、膨大になるのでほんの少しではありますが、当日の事やアンケート結果を紹介しておきます。本当に一部です。
 アンケートの質問「①家族に聞いた、たぶん民俗学者が喜ぶ話、あるいは体験談」には、参加者の中根さんから「父が小学校(昭和35年前後)のころ、通っていた藤沢小学校(地元の藤沢町、押沢(おしざわ)町、松嶺(まつみね)町の3町の子供が通うが学校。廃校になり現在は通信制高校のルネサンス豊田高が入っている)で、押沢町の子どもから聞いた。藤沢町から押沢町へと抜ける「梅ケ田」(うめがた)と呼ばれる場所に、夕方に山から山へと飛び回る「アカチンボ」が出ると聞いた。これは藤沢小学校全体の噂になった。アカチンボがどんな姿をしているか、人前に現れてどんなことをするかは不明(少なくとも父は記憶していない)。父はその名前から、赤い男性器がロケットのように山の間を飛び回る姿を想像した。父は今も強烈な印象として、その名を覚えている。」というのを送ってくださり、グーグルマップを使い、「アカチンボの出現場所経緯度35.168411, 137.245801」を画面共有で見せてくださいました。
 「②子どものころにどんなもので脅かされましたか。」というアンケートにはたとえば、参加者の野中さんがLINEで友達にもたずねてくださり、「夜早く寝ないと鬼に連れてかれちゃう、おばけに連れてかれちゃう(静岡県静岡市30代女) 夜に口笛を吹くと蛇がくる おへそのゴマをとるとお腹が痛くなる 枕を踏んだり足蹴にすると悪い夢を見る(静岡県静岡市60代女)」など、とてもたくさんの事例(ここに載せたものはやはり一部です)を聞いてくださいました。そういえば、枕に関しては近年に似た話を学生に教えてもらったことがありました。
 また、参加者のsdmさんに「③学校の怪談・職場の怪談」として、「中学では、合唱コンクールでお母さんという曲の指揮をした生徒の母親が亡くなる事件が3年連続で起こり、それ以降お母さんは課題曲から外されたという噂が少し上の世代であったようです。」というものを教えていただきました。確認すると、兄弟姉妹で噂が伝承されているようでした。
「④おまじない・ジンクス、あるいは変わったことわざ、のようなものはなにかありましたか。」に「新しい靴を夜におろしてはいけない」というのが寄せられた。これなどは実は上記の大阪民俗談話会を個人的には思い出していました。
 大勢の参加、協力してくださった方のおかげです。ありがとうございました。
 今回は「中根さん」「sdmさん」「野中さん」のさらに一部の報告です。
 書ききれないくらいたくさんあるのと、これからどこかに資料として報告することを考え、ブログという媒体に載せるのは以上とします。
 繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。


※これは2022年3月13日(日)にオンラインで開催された第119回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
※次回は4月24日(日)15時00分オンライン開催です。

拍手

PR
タイトル:
旅するゴブリン

 ~1980年代ゲームブック、ファイティング・ファンタジーにおける
  妖精的ヒューマノイドの表現~

発表者:河津 創 氏

要旨:
1980年代の日本におけるゲームのメディア展開において、先駆的な役割の一部を担ったものとしてゲームブックがある。日本においてファイティング・ファンタジーシリーズは妖精物語である指輪物語の流れをくむファンタジー作品として1984年から1991年まで一連の作品が出版された。
本報告では、シリーズ作品に接した発表者が描き分けにくさを感じたヒューマノイド型敵対種族において、対象の外見的特徴がシリーズ作品内にて固定されるわけではなく、そのイメージが外部に開かれている事を指摘した。
1980年代に出版されタイタン世界を共有する社会思想社版の全23冊に、それに同じくタイタン世界を共有する『王子の対決(社会思想社)』と、『ソーサリー(東京創元社)』の四作品を加えた28作品のゲームブックの全テキストと挿絵を検証した。また、参照として、作品のタイタン世界を解説した『タイタンファイティングファンタジーの世界』『モンスター事典』を用いた。『タイタンファイティングファンタジーの世界』において主要な章立てがされている”悪の種族”オーク、ゴブリン、トロール、オーガー、穴小人、闇エルフと、”善の種族”エルフ、ドワーフを検証対象とした。イメージの対象は、作品ごとの演出とイラストレーターの画風によって様々に変化していた。
テキストにおいては対象が武装していること、またドワーフに髭があり小さいことが主たる特徴であった。また、テキストが部分的やあいまい、一度きりのものが多く、統一的に外見を特定することが難しいことが分かった。
挿絵においては、全対象武装していることが特徴として確認できたが”善の種族”では半数程度であった。また、テキストで言及されない、さらに一度しか言及されない特徴が確認できた、尖った耳や肌のテクスチャがこれに当たる。ドワーフが髭があり小さいことが確認できた。オーク、ゴブリン、トロール、闇エルフ、エルフに尖った耳が特徴的に確認できた。テキストにおいて”いぼだらけ”と表現されることの反映であると思われる肌のテクスチャ感がうかがえる表現がオーク、ゴブリン、トロールに特徴的に確認できた。オーク、ゴブリンにおいて牙が特徴的に確認できた。また作品によって大きく対象を特定する特徴が変わる様が確認できた。
発表では最後に日本のファイティング・ファンタジーシリーズの出版物においてタイタンを舞台としたシリーズ中では流動的であるのではと考えていることを説明した。流動的であることは仮説の段階であり今後の課題である。
質疑応答では、ゴブリンの肌が緑の表現に対して、1920年代の出版の色の教科書で推奨している補色とコントラストの表現があることを指摘したことに対して、妖精が好む色として緑色があることが言及された。また、雑誌の付録で示されてきた対象と比較できる可能性に話が及んだ。逆に、日本における妖怪が海外においてどのようにファンタジー世界で表現されているかという関心も持たれた。(文・河津創氏)


※次回は7月18日(日)15時Zoom開催です。

拍手

「南方熊楠と鼠の文学史」

発表者:伊藤慎吾

要旨:
鼠は日本人が文字を獲得し、文学を創作するようになると、単に害獣としてだけでなく、鼠の生きる見えない世界を想像し、また古くから感じていた霊性も、民間信仰や仏教の展開に伴って文学作品に様々に描かれるようになった。
南方熊楠は、大正12年(1923)、雑誌『太陽』に掲載すべく「鼠に関する民俗と信念」を執筆した。結局、これは掲載中止となった。差し戻された当該原稿からは幾つかの論考がさらに派生的に作られた。
これらの論考に共通するのは、古今東西の文献を縦横に使いながら鼠の諸相を考察していることである。諸相というのは、具体的には鼠の嫁入り・鼠の報恩・鼠除けのまじない・異名「ヨメ」・子の日・正月の掃除・甲子祭の装束 ・鼠の妖怪・白鼠・鼠の神・大黒天・大黒(住僧の妻)・毘沙門天・作物被害・武具の鼠損などだ。
これらを取り上げる場合、熊楠には文学史的な関心が極めて低かった。古典文学に描かれた鼠の中で、熊楠の関心を惹いたのは、古代以来の白鼠の聖性、中世以来の大黒天との関わり、福神信仰との習合程度のことであった。詩歌の題や鉄鼠、月日の鼠、擬人化といった文学史的に重要な側面については無関心であったといえる。
文学資料を渉猟しながら、それらを和漢洋の古今の文献と同等に、質の違いに注意を払うことなく扱ったのであった。

※以上は2019年11月30日の発表要旨です。

なお、1月5日に南方熊楠顕彰館で「十二支考<鼠>談義」という講演会(というか、トーク・セッション)があります。
伊藤と一條宣好さんも話をします。
ぜひご参加ください。


次回の例会は1月11日(土)14時から武蔵大学で開催します。
発表者は一條宣好氏です。

拍手

幕張本郷猛氏
少年少女雑誌・児童書における妖怪記事の基礎知識

要旨:
少年少女雑誌の妖怪記事は、「ポスト怪獣ブーム」として生まれたものではなかった。
昭和39年怪奇記事は急増し、昭和40年には妖怪記事大隆盛を迎えた。怪獣ブームの時点で既に妖怪ブームであったのだ。
この時期に活躍したのが、「少年ブック」の北川幸比古、「少女フレンド」の斎藤守弘だ。バックベアード、さかさ男は我が国が生んだ代表的なモンスターだ(?)。
同時期に中岡俊哉が彗星のごとく現れた。『世界のモンスター』の山内重昭が児童誌に執筆を開始したのもこの時期だ。ブームは昭和43年まで続くが、その後の妖怪研究に多大なる影響を与えた。
さらに「マーガレット」の武田武彦、「少年キング」の永山秀雄・間羊太郎、「少年マガジン」の宮崎惇など、単行本とならなかった作家達の記事を漏らさず研究することが大事だ。
妖怪記事は、大伴昌司・水木しげるの独占では決してなかった。
各誌が切磋琢磨したゆえの産物である少年少女雑誌の妖怪文化は、日本の妖怪史において決して軽視してはならないと考える。(文・幕張本郷猛氏)

※2018年3月31日、青山学院大学総研ビル(14号館)での口頭発表の内容です。
次回は6月中に開催する予定です。


拍手


杉山和也氏
ちりめん本に於ける日本昔噺と、その翻訳の諸相
―『瘤取』の鬼の描写を中心として―


本発表ではまず、ヘボン訳・ちりめん本『瘤取』と、『宇治拾遺物語』所収話「鬼ニ瘤被取事」(第三話)、ならびにグッドウィンの論文に所収の翻訳の三者の関係性について、表現の分析を通して検討を行った。
結果、ヘボンは『宇治拾遺物語』の本文に独自に当たっていることが想定される。
そして、その本文は刊本系の本文であった可能性が高いと考えられる。
ただし、ヘボンが1875年3月15日、横浜にて開催された日本アジア協会・例会で、グッドウィンの論文の内容を聴いているという事実が確認できる以上、当該論文に収録されるホールの翻訳を参考にしていた可能性については退けることができない。
むしろ、先行の訳として、併せて参照していたと考える方が自然であろう。
そして、そうした状況が想定できる以上、従来考えられてきたように、ちりめん本『瘤取』で「訳されなかった部分」については、『宇治拾遺物語』の描く世界観や日本文化が理解できていなかったという要因ばかりではなく、併せて訳者のヘボンによる取捨選択もあったということを考える必要がある。
そこには小冊子故の字数の制約、或いはちりめん本の出版に際して狙い所となった購買層への配慮といった事情も背景にある可能性があり、この点についてはちりめん本全体の検討を通して考える必要のある問題であろう。今後の課題と致したい。

また、本発表の最後には、フランス語版・スペイン語版・ドイツ語版の表現の比較を試みた。
結果、いずれも基本的に英語版からの翻訳であると考えることができた。
(文・杉山和也氏)。


以上は、2018年2月24日、異類の会例会(於・青山学院大学)での発表要旨です。
次回は3月31日14時から同所で開催予定です。

拍手

カレンダー
11 2025/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[10/24 浅井悠太]
[10/24 木下 誠]
[09/26 永島大輝]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
異類の会
年齢:
16
性別:
非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

連絡先:
gijinka☆way.ocn.ne.jp
(☆を@にかえてください)
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
異類の会 Produced by 異類の会  AD :忍者ブログ [PR]

SimpleSquare 和心 ver.2 Edit by : 飛雄