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異類(人間以外のキャラ)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・同人誌などジャンルを越境する会です。
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菅江真澄の日記および随筆におけるクダ狐の記事を入り口として、クダ狐・オサキを中心とした近世における狐憑きの様相を見た。
古代より狐憑き現象は存在したが、次第に狐を使って人に憑ける使役者の存在が想定されるようになり、やがて「狐持ち」といわれる特定の家筋を生じさせるにいたった。
近世におけるクダ狐の性格は、修験などの専門家が扱うもの、という認識が色濃いが、一方で特定の家筋にまとわりつくものという認識もあった。
狐憑きをめぐる俗信は差別も生んだが、近年ではクダ狐やオサキがマンガやアニメ、ゲームのキャラクターに用いられるなど、憑きものを取り巻く意識の変化も見られる。
(文・佐伯和香子)

以上、異類の会第55回例会(2015年7月29日・於大東文化大学)発表の要旨です。

次回予告
8月26日(水)16:30〜20:00
大東会館 K-302教室

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今回は、古典文献資料と絵画資料の二点から、「ネコマタ」の描写の変遷を追った。
「ネコマタ」の初出である『明月記』の記述や有名な『徒然草』からは、「ネコマタ」の外見的特徴としての「二股に分かれた尻尾」というものは存在せず、犬のように大きな害獣という扱いをされていた。そして時代が下り、江戸時代初期頃になってきて、段々と「二股に分かれた尻尾」の記述が見られるようになり、「ネコマタ」という言葉の由来をその「二股に分かれた尻尾」とする記述もされるようになり、以降それが定説として扱われるようになった。
絵画資料においては少々異なり、江戸初期頃の本の挿絵に「二股に分かれた尻尾」を持つ猫の怪の絵が登場するが、それ以降も一本の尻尾しか持たない猫の怪や、そもそも尻尾の描写が省略されている(着物を着て、裾に隠れている)猫などが描かれており、定型化されていない。
「ネコマタ」という語の語源に関して、今回は二つの推測例を上げた。猫の古語的読みである「ネコマ」からの転化と、「猱」という字からの由来の二つの説である。
「二つに分かれた尻尾」の由来としては、御伽草子などで知られる「玉藻前物語」の古い記述を紹介した。今でこそ一般においては「九尾の狐」と認識されている玉藻前だが、中国からの「九尾狐」伝来以前は、「二本の尾を持つ狐」と記述されていた。この設定が、後に猫の怪である「ネコマタ」に派生したのではないか、という推測である。
今回の発表は確たる証拠に乏しい点が多く、今後のより精密な調査を必要とするものだが、少なくとも「ネコマタ」の最大の特徴であるとされる「二つに分かれた尻尾」が後世に何らかの要因によって後付けされたものである、という事は結論として言えるのではないかと思う。(文・発表者 毛利恵太氏)

以上、異類の会第53回例会(2015年5月2日・於大東文化大学)発表の要旨です。

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 四国を中心に首の無い馬が走るという伝承は多く見られ、ある決められた時や道に音を伴い現れるといった特徴がある。その異類は松山大学七不思議などの「学校の怪談」でも語られ、愛媛県の小学校では、学校教員も積極的に生徒に首無し馬の話を伝えようとしていることがホームページなどから分かる。このように人気の異類であるが、近似の事例である夜行さんや首だけの馬などに対し造形化されることが少ない。これは、首が無いというキャラクターは造形化が難しいためと指摘し、また、このことから口承で伝えられることに特化した異類であると述べた。
 現在は首が無いと伝承されるが、その特徴が幕末や明治初期の文献では見られないものがあると「予陽塵芥集」や「愛媛面影」と愛媛県松山の伝承を比較し指摘。また、類似の事例として首の無い騎馬武者として福井に伝承されるものも、『真雪草紙』の中では頭部欠落の記述はない。これらの馬に乗った怨霊という怪異はある時から「首無し馬になった」のだということができる。
(文・発表者 永島大輝氏)

以上、異類の会第47回例会(2014年10月24日・於青山学院大学)発表の要旨です。

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近世後期の「件(くだん)」に関する文献資料六点と、『ホキ抄』の「件(ケン)」説話との比較を行った。「くだん」と「ケン」の関係性は、常光徹(『うわさと俗信』高知新聞社 1997年)で指摘されていたが、これまで検証が行われたことはなかった。

江戸時代後期の資料における「くだん」には、「山中で遭遇する」、「人語を解し、病気の流行を予言する」、「姿を図写した者は病難から逃れられる」、「記事には「くだん」の絵が添えられている」という共通点が見受けられる。しかし、それ以外の記述は、資料によって差があり、「件(くだん)」という名称や、姿に関する記述はかならずしも一致しない。

『ホキ抄』の「ケン」は、龍宮から現れた人面牛身の人語を解す異類として記されている。釈尊に、その身が狙われている事を告げ、釈尊は「ケン」の進言通り、「ケン」の皮を張った太鼓を叩くことで難から逃れた。その後、釈尊は「ケン」を第一の弟子として認めた。また、漢字の「件」が、人偏に牛をつくるのは、「ケン」の姿によるものであるという。

江戸後期の資料に見える「くだん」と、『ホキ抄』の「ケン」には、いくつか共通する特徴が見受けられる。「名が「件」である」、「人面牛身」、「人語を解し、危機を予言する」、「漢字の「件」は、「ケン」の姿による」点である。しかし、「名が「件」である」、「人面牛身」、「漢字の「件」は、「ケン」の姿による」という点は、江戸後期「くだん」資料の一部のみに見える特徴である。「山中で遭遇する」、「人語を解し、病気の流行を予言する」、「姿を図写した者は病難から逃れられる」という異類の伝承に、「ケン」説話の要素が混ざり、「くだん」と呼ばれるようになったのではないだろうか。
(文・発表者 中野瑛介氏)

以上、異類の会第45回例会(2014年9月26日・於青山学院大学)発表の要旨です。

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現在でも京都御所において保管され、異様な存在感を放っている荒海障子。
この屏障具には、古代中国の奇書『山海経』に表出する異形人がモデルとなった「手長足長」が描かれている。
平安期に制作されたこの荒海障子になぜこの異形人が描かれたのか、そしてなぜ清涼殿の丑寅の方角に設置されたのか。
今回は、その謎について迫った。
平安京遷都の際、当時の天皇である桓 武天皇は、鬼門方角にある比叡山の一乗止観院を、都を守護する寺院として定めるなど、当時は丑寅の方角への配慮は生活と密接に関わっていた。
このことから荒海障子は、清涼殿の鬼門除けとしての役割を担っていたと見做され、当然この屏障具の絵も、そういった意味性のもとに描かれたことが推察される。
当時の皇居は、中国の宮殿のスタイルを模していることが『壒嚢鈔』及び『塵添壒嚢鈔』に記されているが、同書によれば「奇仙異人」を描くことが通例であったことが窺える。
中国においてこれらの異形人は神仙であるということは伝わっていないが、平安期は様々な事物を日本独自の解釈に基づいて神仙化するという風潮があり、手長足長もその一部に含まれたと考えられる。
障子絵の構図を見てみると、左右で対となって手長足長が描かれているが、これは中国において生まれ、日本では平安期に文化として多くみられるようになった「門神」の配置を意識しているとみられる。
この「門神」は神荼鬱塁が有名であるが、これらは鬼門方角を護る神仙として知られていた。
また、手長足長のモデルとなった異形人である「長臂国」「長股国」の民は、力を合わせて魚を捕えるという特性が伝えられている。
当時日本では、魚を鬼門除けとして用いていた。
この門神と手長足長の特性が結び付き、日本で新たに神仙化され、荒海障子に描かれることとなったのではないかという考察を試みた。(文・発表者 飯島康志氏

以上、異類の会第41回例会(9月27日・於青山学院大学)発表の要旨です。

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