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異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
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タイトル:
ヤロカ水の広がり~地理・時間・内容~

発表者:
怪作戦テラ氏



「ヤロカ水」について、水木しげるの図鑑類、柳田国男の『妖怪談義』に取り上げられていることもあって、知名度は高い。
しかし、一般によく知られた内容だけに留まらず、実際にはもっと様々な広がりを持った伝説である。
地理的には、岐阜の太田、愛知の犬山での事例が知られるが、川からある程度南に離れたエリアにも伝播している。
ただ、主に「犬山扇状地」近辺より離れたエリアでは今の所確認できず、岐阜側でも太田以外では確認出来ていない。
つまり、「木曽川流域一帯に広く伝わっている」とは言えない。
時間的には、資料としては1824年の『犬山里語記』まで遡る事ができ、時代設定としては、貞享四年とされる例が多いものの、「六百年前」とされているものまであり、一定してはいない。
(木曽川の洪水自体は、数限りなく何度も起きている)
内容としては、広く知られた「応答の結果、急な増水で決壊した」という話だけでなく、「ヤロカ水の際に〇〇が流れ着いた。このようなご利益があった。ヤロカ水で消失した」といった内容も少なくない。
(増水も、急に決壊したとは限らず、何日もかけて増水して決壊する描写もある)
また、応答の際、返答文句の初出は「ヲコサバヲコセ」とあり、趣旨としては「ヨコサバヨコセ」と同じではないかと考えられるが、あくまで推測ではあるので、要注意事項と思われる。
このように、ヤロカ水は様々な広がりを持った伝説といえる(執筆:怪作戦テラ氏)

※これは2022年8月20日(土)にオンラインで開催された第124回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者兼執筆者の名を明記してください。
※次回は9月25日(日)15時00分オンライン開催です。

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タイトル:
「隠れ蓑笠」は誰のものか? ―姿を隠す鬼と天狗―
発表者:
齊藤竹善

要旨:
 身に着けた者の姿を隠す不思議な道具である「隠れ蓑」、「隠れ笠」についての記述は、古くは平安時代からみられる。そして、この「隠れ蓑笠」は、歴史的には鬼との結びつきが深く、古くは鬼の宝物の一つとしてよく知られていた。
 しかし、隠れ蓑が登場する民話として有名なものは「隠れ蓑笠」型民話であり、この民話類型における「隠れ蓑笠」の所有者はほとんどが天狗として語られている。歴史的には鬼と結びつきが強かった「隠れ蓑笠」が、なぜ天狗の持ち物としてイメージされたのだろうか。
 本発表では、天狗と隠れ蓑笠とが結びつくまでの、「隠形」という性質、及び隠れ蓑笠をめぐる諸相を鬼と天狗に着目し、概観していった。
 『和名類聚抄』などからわかるように、初期の鬼は、目に見えない存在としてイメージされていた。そして、その鬼の衣装としては蓑笠がイメージされており、目に見えない鬼と、その衣装である蓑笠から、「隠れ蓑笠」が鬼の衣装・宝物としてイメージされはじめた事が推定される。
 しかし、時代が下るにつれて、鬼のイメージは変化し、「隠形」という属性は本質的なものではなくなっていった。また、鬼の宝物である「隠れ蓑笠」を、鬼が有効に用いる物語は少なかった。多くの物語での鬼の役割は、人間に対して「隠れ蓑笠」を提供する入手経路としての役割が殆どであった。それらの事から、鬼のイメージの変化に伴い、「隠れ蓑笠」が鬼の宝物である必要性がなくなった可能性が考えられる。
 そして、中世の頃から、天狗は様々な術を用いる存在としてもイメージされ始めた。その中には「隠形の術」が存在し、天狗は鬼に代わり、姿を隠す性質を付与されたと考えられる。こうして成立した姿を隠す天狗のイメージによって、「隠れ蓑笠」型民話において江戸時代頃に天狗と隠れ蓑笠との結びつきが成立していったのでないかと発表者は考えている。
 質疑応答では、鬼と天狗の扱いの差異に関する諸言説が宗教者らによって故意に形成された可能性や、兵法を含む、様々な術の系譜から「隠形の術」が如何に捉えられたかなど、様々な観点からのご指摘を頂いた。また、日本以外の諸外国、特にユーラシア大陸における「姿を隠す衣服」にまつわる民話についての調査の必要性が提示された。今後、より広い資料収集を行っていき、研究を進めていきたい(執筆:齊藤竹善氏)。

※これは2022年7月30日(土)にオンラインで開催された第123回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者兼執筆者の名を明記してください。
※次回は8月20日(土)15時00分オンライン開催です。

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タイトル:
 勘五郎火、二つに見るか?一つに見るか?
発表者:
 怪作戦テラ氏

要旨:
 「勘五郎火」に関する資料を確認していくと、当初は「一つの火」であったものが、「母と子の魂魄なら二つだろう」というイメージからか、徐々に「二つの火」が出るものとして扱われ、現在ではすっかり地域住民の認識や郷土資料上も「二つの火」が出る話として扱われていることが分かる。「勘太郎火」という呼称については、地元の資料からは確認できない。石井研堂の改変が元ではないかと考える。また「岐阜のアリマサ婆が語った」とされる部分は省かれることが多い。徳授寺は現存しており、特に現地で「勘五郎火」のアピールはされていないが、『徳授寺史』(出版元は徳授寺)でも勘五郎火について扱われており、太陽和尚による供養自体は事実ではないかと考えられる。初出である『雑話犬山舊事記』の記録者は太陽和尚の同世代人で、地域行政の責任者も勤めていた。勘五郎氏自体は「四百年前にあった話」という占い師の証言に出てくる名なので、架空の人物と思われる。しかし、岩倉や東春日井郡にも、犬山とは別の「勘五郎火」があったとすれば、尾張北部で「勘五郎火」という呼称で、母が子を探す怪火の文化があった可能性は考えられる(犬山の影響を受けて拡がった可能性もある)。
 
※これは2022年2月27日(日)にオンラインで開催された第118回異類の会の報告です。
※上記の文章を直接/間接に引用される際は、必ず発表者名を明記してください。
※次回は3月13日(日)16時30分オンライン開催です。

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タイトル:
 妖怪図鑑の系譜:序〜藤澤衞彦『妖怪畫談全集』を中心に
発表者:
 式水下流氏
要旨:
 藤澤衞彦が作り出した『妖怪畫談全集』が重宝された背景としては、雑誌での妖怪図鑑記事が多く掲載され始めた 1960年代には鳥山石燕『画図百鬼夜行』シリーズの図版を知ることができる本がそれ程多くなかったことが少なからずある。石燕の妖怪が多く取り入れられるのは、1967年田中初夫『画図百鬼夜行』まで待つことになる。
 実際に田中初夫版の刊行前は水木しげるも「ふしぎなふしぎな話」で取り扱った妖怪は『妖怪畫談全集』の妖怪と「妖怪名彙」から選択している。刊行後の1968 年 4 月の『ぼくら』「ずばりせいぞろい! 日本の 100大妖怪」(大伴昌司構成、水木しげる協力)では、『妖怪畫談全集』では触れられていない「しょくいん」(燭陰)などの妖怪が追加された。更に1968 年 7 月の『冒険王』の斎藤守弘構成の「日本妖怪名鑑」では、それまでの斎藤守弘固有の妖怪はなく、解説に一部『妖怪畫談全集』からの影響や斎藤独自解説も見られるが、「いつまで」(以津真天)や「とうに」(苧うにの読み仮名を「と」と誤読)、ここでも「しょくいん」(燭陰)などが構図も同じ形で描かれ取り上げられた。
 更に『百器徒然袋』の妖怪の登場がほぼ『妖怪畫談全集』に準拠しているので、器物の妖怪が多く取り上げられるようになるのは、更に 90
年代まで待つことになるが、田中初夫『画図百鬼夜行』の刊行で大幅に紹介できる妖怪数が増えてきたことにより、70年代以降は雑誌記事から書籍に移って、妖怪図鑑は子供たちに受け入れられていく。
 70 年代の時点で水木しげるは藤澤衞彦に限らず、北川幸比古・山田野理夫(『東北怪談の旅』※1、『おばけ文庫』は特に)などの紹介した妖怪たちをお化け絵文庫などで完成され、1980年代に一連の妖怪事典、1990 年代には集大成ともいえる妖怪大全とバージョンアップを繰り返し、多くを集約した形で継続して妖怪を紹介し続けた。
 70 年代に水木しげると双璧といっても過言ではなかった佐藤有文もまた『妖怪畫談全集』も含め、多くの書籍から妖怪を紹介してきたが、妖怪解説としての誇張(児童書としての面白さとしては決して水木しげるに引けは取らないと思うが)から妖怪解説として残らなかった点や佐藤有文自身、妖怪図鑑を書かなくなった(ニーズが水木しげるに集約されていったという部分もあると思う。)ことから90 年代以降は懐古的に面白おかしく取り扱われるようになってしまった点は否めない。
 こういった時代の流れやその時に出ていた雑誌や本の傾向、個々の執筆者の紹介した妖怪を分析する形の発表とした背景としては、執筆参加させていただいた『列伝体妖怪学前史』※2の存在がある。私が執筆担当をさせていただいた山田野理夫や北川幸比古だけでなく、本の中で取り上げた人物(他にも斎藤守弘や佐藤有文、勿論水木しげるも)と名前だけの掲載に留まった人物(久米みのるや宮崎惇など)のことまで掘り下げてみた。大伴昌司の記事を確認した際には私の主テーマの一つである山田野理夫の独自表記(いんもら鬼、風だぬき)に関する元と考えられることも得られたことは、山田野理夫一辺倒では得られなかった情報だったので、価値のある発見となった。
 
 質疑では、その時代のニーズによる編集側のオファーに対しての雑誌記事という話や藤澤衞彦フォロワーとしての江戸川乱歩、現代に繋がる民俗学界隈の藤澤評の生々しい話が聞けたのは面白く、特に当時の流行りとの兼ね合いに関しては、映画関係と魔神のところで少し触れた程度だったので、この辺は補強できる指摘だと思った。私自身も調査は続けていきたいと思うが、一人で資料を集めて解析をするのには限界があるので、この発表で更に個々の執筆者や妖怪を更に掘り下げるような分析を行う人が出ても面白いと思うし、同じ方向性での調査収集も今後は期待したいところである。
 
※1『東北怪談の旅』は絶版だが、『山田野理夫 東北怪談全集』に全収録されているので、未読の方は妖怪学前史発売までの間の予習に。
https://honto.jp/netstore/pd-book_03239558.html
 
※2『列伝体 妖怪学前史』は皆さんが興味を持っていただく、きっかけとして是非読んでいただきたい。
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101258
 
(文・式水下流氏)


※上記の文は発表者の見解です。
 利用される場合は、執筆者名および本サイトの当該記事タイトル・URLを明記してください。
 

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タイトル:
 船幽霊と柄杓

発表者:
 怪作戦テラ氏


要旨:
「船幽霊」は、底の抜けた柄杓でもって対応する事例が有名、かつ広く分布している。
 しかし、歴史を遡って見ると「船幽霊」という単語の初出には柄杓は登場せず、船を襲ってくる訳でもない。その後も「船幽霊と柄杓」の組み合わせが定番化するには幾多の変遷を経ていることが分かる
 一方、江戸時代後期となり、一旦「船幽霊」が妖怪キャラとして成立すると、狂歌のネタとして成立するほど「船幽霊と柄杓」の組み合わせは定番のお約束として知られていくようになった。
 一方で、愛知には船幽霊的な事象に対して「通常の柄杓」で対応する記録が複数見られる。また、近隣地域にて水に飢えた溺死者の霊に柄杓で水を与えた事例や「溺死者の霊が水に飢えるのは当然」とした記録も残っている。
 改めて「船幽霊への対処アプローチ」を分類して考えてみると、
  1、やり過ごし型(底抜け柄杓など)
  2、撃退型(火、刃物など)
  3、供養型(食料、仏法)
に分けて考えることができる。
 愛知の「通常の柄杓で船幽霊の如き物」に対応する事例は、3の供養型だと考えることができ、飲料水の象徴としての柄杓、あるいは流れ灌頂のような仏法による供養が本来の形だったのではないかと思われる。
 その他、アカトリや船上の柄杓についても様々な事例、視点を紹介した。
 知名度の割に論考の蓄積が少ない「船幽霊」について、特に江戸時代以前の記述の変遷を整理、紹介し、常識と逆の「通常の柄杓による対処」について、どう捉えるべきか、見解を示せたのではないかと考えます。
(文・怪作戦テラ氏)


※上記の文は発表者の見解です。
 利用される場合は、執筆者名および本サイトの当該記事タイトル・URLを明記してください。

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プロフィール
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異類の会
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14
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非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

連絡先:
gijinka☆way.ocn.ne.jp
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