異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
発表者:沼賀健一郎氏
題目:伝説研究の意義――赤城山男体山神戦伝説・俵藤太百足退治伝説を例に――
要旨:
群馬県と栃木県には「赤城山の神と男体山の神がそれぞれ百足と蛇に変じて戦い、男体山は猟師小野猿丸の助けを得て勝利した」という神戦伝説が存在するが、実際その内容は一様ではない。また、滋賀県には「俵藤太秀郷が蛇を助け百足を退けた」というよく似た伝説がある。
・赤城山男体山神戦伝説の形成過程はどのようなものだったのか。特に、百足退治譚が発生するのはいつ頃か。
・離れた地域にある赤城山男体山神戦伝説と俵藤太百足退治伝説を結びつけるものは何か。両伝説の構成要素を成す「秀郷流」の歴史的展開から明らかにすることはできないか。
発表では、秀郷本人と子孫である「秀郷流」の歴史的展開と『吾妻鏡』における秀郷故実の記事を紹介し、鎌倉時代までには「秀郷流」の都周辺での活動の蓄積が各家に継承され、具体的な兵法(書)として機能していた可能性、頼朝の指示で「秀郷流」小山氏のもとで兵法の体系化が行われた可能性について述べた。
俵藤太百足退治伝説の形成過程について、園城寺の鐘の縁起説話として特に『古事談』『寺徳集』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』を取り上げ、この中では少なくとも百足退治譚は描かれず、『補録』では、世間で流布している百足退治関連の内容を「奇怪の説」と記していることを示した。
一方、園城寺の縁起以外のものとして『俵藤太草子』『太平記』、また、伊勢神宮所蔵の太刀「蜈蚣切」への研究成果を挙げ、本伝説の百足退治譚は南北朝時代ごろには流布していた可能性を示した。
赤城山男体山神戦伝説の形成過程について、『神道集』『拾菓集』『山立根本巻』諸「二荒山神社縁起」のほか先行研究の成果により、「シンプルな神戦譚」→「男体山ではマタギの物語と融合」→「百足退治譚」へと変化していったのではないかと推測した。
以上、両伝説の形成過程をたどっていくと、百足退治譚の発生・流布の時期はともに南北朝時代であることがわかる。この事実を明らかにする一つの可能性としては、秀郷流などの武士勢力が媒介となった点を挙げた。小山氏は南北朝時代においても秀郷故実を利用したようで、近江国の百足退治譚が上野下野国へとほとんど時間をおかずに伝わったのは故実への関心の高さが関係しているのではないか。
また、両伝説を構成する要素には金属冶金に関連する事象が見え隠れしていることに言及した。
そして、中世という時代はこれまで蓄積された歴史が盛んに再編成・再生産された時代であり、両伝説の変遷をこのような大きな時代の流れに応じたものと位置づけることはできないかという点を今後の展望とした。
発表後の質疑応答では、百足や蜘蛛、蟹、蛇蛸、ウミケムシといった多足の動物など、また、それらを倒す方法といった、関連する俗信等が話題にのぼった。また、熊野詣に伴う説話の内容の変遷の可能性が示され、「秀郷流」を媒介とするものとは別のアプローチで本題目に向き合う方法が指摘された。(文・発表者)
以上です。
次回は12月8日(土)14時から、國學院大學で開催します。
詳細は追ってお知らせします。
PR
題目:伝説研究の意義――赤城山男体山神戦伝説・俵藤太百足退治伝説を例に――
要旨:
群馬県と栃木県には「赤城山の神と男体山の神がそれぞれ百足と蛇に変じて戦い、男体山は猟師小野猿丸の助けを得て勝利した」という神戦伝説が存在するが、実際その内容は一様ではない。また、滋賀県には「俵藤太秀郷が蛇を助け百足を退けた」というよく似た伝説がある。
・赤城山男体山神戦伝説の形成過程はどのようなものだったのか。特に、百足退治譚が発生するのはいつ頃か。
・離れた地域にある赤城山男体山神戦伝説と俵藤太百足退治伝説を結びつけるものは何か。両伝説の構成要素を成す「秀郷流」の歴史的展開から明らかにすることはできないか。
発表では、秀郷本人と子孫である「秀郷流」の歴史的展開と『吾妻鏡』における秀郷故実の記事を紹介し、鎌倉時代までには「秀郷流」の都周辺での活動の蓄積が各家に継承され、具体的な兵法(書)として機能していた可能性、頼朝の指示で「秀郷流」小山氏のもとで兵法の体系化が行われた可能性について述べた。
俵藤太百足退治伝説の形成過程について、園城寺の鐘の縁起説話として特に『古事談』『寺徳集』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』を取り上げ、この中では少なくとも百足退治譚は描かれず、『補録』では、世間で流布している百足退治関連の内容を「奇怪の説」と記していることを示した。
一方、園城寺の縁起以外のものとして『俵藤太草子』『太平記』、また、伊勢神宮所蔵の太刀「蜈蚣切」への研究成果を挙げ、本伝説の百足退治譚は南北朝時代ごろには流布していた可能性を示した。
赤城山男体山神戦伝説の形成過程について、『神道集』『拾菓集』『山立根本巻』諸「二荒山神社縁起」のほか先行研究の成果により、「シンプルな神戦譚」→「男体山ではマタギの物語と融合」→「百足退治譚」へと変化していったのではないかと推測した。
以上、両伝説の形成過程をたどっていくと、百足退治譚の発生・流布の時期はともに南北朝時代であることがわかる。この事実を明らかにする一つの可能性としては、秀郷流などの武士勢力が媒介となった点を挙げた。小山氏は南北朝時代においても秀郷故実を利用したようで、近江国の百足退治譚が上野下野国へとほとんど時間をおかずに伝わったのは故実への関心の高さが関係しているのではないか。
また、両伝説を構成する要素には金属冶金に関連する事象が見え隠れしていることに言及した。
そして、中世という時代はこれまで蓄積された歴史が盛んに再編成・再生産された時代であり、両伝説の変遷をこのような大きな時代の流れに応じたものと位置づけることはできないかという点を今後の展望とした。
発表後の質疑応答では、百足や蜘蛛、蟹、蛇蛸、ウミケムシといった多足の動物など、また、それらを倒す方法といった、関連する俗信等が話題にのぼった。また、熊野詣に伴う説話の内容の変遷の可能性が示され、「秀郷流」を媒介とするものとは別のアプローチで本題目に向き合う方法が指摘された。(文・発表者)
以上です。
次回は12月8日(土)14時から、國學院大學で開催します。
詳細は追ってお知らせします。