異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
日時:2月23日14時
発表者:三浦理沙氏
会場:青山学院大学・14号館(総研ビル)6階 14609教室
発表者:三浦理沙氏
題目:現代における幽霊譚の研究
要旨:
要旨:
人々が語る幽霊譚を資料として、現代における死霊観を明らかにすることを目的とする。
今回は、幽霊の出現を生者による死者への記憶(メモリアル)として捉えることとし、その死に対する生者の心情を論点として、松谷みよ子『現代民話考』に収録された事例や、聞き書きで得た幽霊に関する話から分析と考察を行なった。
面識・原因・時間・場所・働きかけ方という項目を立て、幽霊の出現パターンの傾向を導き出すことを試みた。
生者のどのような心が幽霊の出現を引き起こすのかを見出したいと思う。
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発表者:杉山和也氏
タイトル:
前近代東アジアの臨海諸地域に於けるシャチの認識 ―日本の事例を中心として―
要旨:
タイトル:
前近代東アジアの臨海諸地域に於けるシャチの認識 ―日本の事例を中心として―
要旨:
クジラもシャチも中国古典世界の知識が網羅し切れていない存在で あった。東アジアの臨海諸地域では近世以降、 積極的な捕鯨を行うようになるにつれ、 それぞれにクジラやシャチを〈発見〉し、 実態に則した情報を蓄積していった。そして、 それを元に従来の中国古典世界の知識と批判的に対峙し、 またそれを相対的に捉えるようにもなっていった。
日本では近世以降、捕鯨技術の向上を背景として、 クジラの生態に関する情報が圧倒的な増幅を見せるようになる。 このためにそれまで通用していた漢籍や仏典由来の「 空想上の大魚」としての認識が相対化され、 そして退けられていった。他方のシャチは、 経緯は不明ながら中世以来、 シャチホコと呼ばれる棟飾りの空想上の怪魚と深く関わって捉えら れていた。また、シャチは味が「下品」であったことから、 クジラほど積極的には捕獲されず流通量も少なく、 それ故に人目に触れる機会が少なかったことが想定される。 このために日本では「シャチの生態に関する情報」、「 シャチホコと呼ばれる棟飾りの空想上の怪魚としての認識」、「 漢籍由来の魚虎に関する知識」の三者について、 後二者を退けることなく、 むしろ同一物として整合性を求めて行く方向で考証が為されていっ た。 前近代日本のシャチ観の特徴はこのように空想的な把握が色濃く残 っていった点にある。
ところで、シャチの〈発見〉をめぐって注目されるのは、 シャチが群れでクジラを狩るという生態が東アジアの臨海諸地域の 各所で〈発見〉されていった点である。 自然界に於いてシャチは人間以外で唯一、 クジラを狩る存在である。ところが、 各所での認識や伝達された情報に異同があったことにより、 クジラを狩る水棲生物に関する目撃情報が錯綜し、 多様に展開していたことが確認できる。例えば『魚鑑』 では蝦夷地からの情報と見られる「かみきり」について、 クジラを殺す棟飾り様の姿の「鯱」 とは同一視し得てはいなかった。また、 十九世紀前半の朝鮮半島では、日本のクジラ類に関する知識が、 漢籍由来の知識よりも信頼が置かれるという事例が認められた。 李圭景の『五州衍文長箋散稿』は「魚虎(しゃちほこ)」 についても、日本の『和漢三才図会』 の記述を信頼しつつ紹介した上で、 朝鮮半島に於いてもクジラを殺す存在として「長酥被」、「 長藪被」という二種の情報を紹介している。 同書が三者を同一視できなかったのには、前述の日本の「魚虎( しゃちほこ)」の空想性と、「長酥被」 の情報に誤りが含まれていたことに要因が求められる。 他方で十九世紀末頃成立と見られるベトナムの漢文資料『 野史補遺』に記されたシャチのクジラ捕獲場面の描写は、『 本朝食鑑』に所見のそれと驚くほど酷似していた。 シャチは実際にクジラを捕食するという事実や、その動作の観察、 そしてクジラの舌を好んで食べるという事実から、 結果的にシャチという同じ現実世界の対象物(〈モノ〉) について非常に似通った言説が異なる地域に於いて生成されたとい うことは、 説話の発生の在り方という観点からも注目されるべきものであろう 。
シャチの〈発見〉をめぐる言説については、 先述のようにクジラを襲うという生態が自然界では基本的にシャチ に限られるということから、 人間達がこの事象をどのように捉えて言説を生じさせ、伝承し、 それを知識として整理していったかという経緯をたどりやすい。 人類がそれまでの古典知、 ならびに自然観察に基づく新知見とどのように対峙し、 その上でそれを表現し、また思考してきたかという問題を地球的( グローバル) な観点のもとに追究するには格好のものであると言えるだろうし、 自然科学の領域との学際的研究が可能な話題でもあろう。 西欧を初めとする世界の他所でのシャチの〈発見〉 をめぐる言説との対照と検討については発表者の今後の課題とした い。(文・発表者)
以上は2019年1月26日の例会発表(於・青山学院大学)の要旨です。
次回は2月23日14時、青山学院大学14号館(総研ビル)6F14603号室で開催予定です。
以上は2019年1月26日の例会発表(於・青山学院大学)の要旨です。
次回は2月23日14時、青山学院大学14号館(総研ビル)6F14603号室で開催予定です。
発表者:林京子氏
題目:異類出現の霊地下野岩船山
要旨:
題目:異類出現の霊地下野岩船山
要旨:
栃木県栃木市の岩船山は中世以来の霊山で現在も連綿と信仰されている。しかしその内実は似て非なる信仰の連続体であり、混沌の中から聖なる異類が立ち上がる霊地である。
岩船山の聖性はこの場所の景観に由来する。北を指す船型の巨石(岩船)は、古代はカミの依代である磐座として、中世はそこに地蔵と言う死後世界のカミが顕現する場と考えられた。「伯耆大山の僧が夢告で岩船山に至り、山に住む貧しい法師が村人の頼みに応じて分身するのを見、翌日岩船の上で法師の躰を割いて出現する〈生身の地蔵〉を見て、地蔵から増える不思議なお米を貰う」という説話が中世の地蔵菩薩霊験記や大山寺縁起にも見られる。この物語は「米」を巡る宗教思想大系の一つとも考えられる。山内の夥しい板碑群があり、この山が高名な霊場であったことを示唆する。岩船山上は1584年戦火で焼失した。
近世初期、寛永寺のテコ入れで山上に高勝寺が創建され、きわめて戦略的な「下野州岩舩山縁起」(漢文)が天海の弟子によって製作された。ところがわずか74年後には、先行する縁起とは異なる華麗な縁起絵巻「岩船山地蔵菩薩縁起」(かな)が作られ、中世の垂迹聖人と似て非なる〈新しいカミ〉が死者を救済する場として参詣者を誘引するようになった。聖なる石は子授けの陰陽石と見なされ、高勝寺は地蔵の持つ死者供養と子授け祈願の機能を持つようになった。
近現代に入ると岩船山は「換金可能な石の山」と見なされ人々は容赦なく山を破壊した。すると破壊された山の中に中世とは似て非なる異類が顕現するようになった。さらに岩船山には天狗伝承がある。現在も高勝寺が頒布しているお札に描かれた異類は、中世のダキニ天信仰との関連が感じられる。
発表者は山上の蓮華院高勝寺縁起類のデジタル複本作成と解題事業を行っている。本発表ではその過程で得られた知見の一部である。絵巻の未公開画像や岩船山の景観、天狗信仰などを紹介し、早急な修復が必要な高勝寺の一助になることを願うものである。(文・発表者)
以上です。
これは12月8日(土)(会場・國學院大學)に口頭発表されたものです。
次回は1月26日(土)14時に開催します。
詳細は追ってお知らせします。
以上です。
これは12月8日(土)(会場・國學院大學)に口頭発表されたものです。
次回は1月26日(土)14時に開催します。
詳細は追ってお知らせします。
日時:11月10日(土)14時~
会場:國學院大學若木タワー14階打ち合わせ室
発表者:林京子氏
題目:異類出現の霊地下野岩船山
要旨:
栃木県栃木市の岩船山は中世以来の霊山で現在も連綿と信仰されている。しかしその内実は似て非なる信仰の連続体であり、混沌の中から聖なる異類が立ち上がる霊地である。
岩船山の聖性はこの場所の景観に由来する。北を指す船型の巨石(岩船)は、古代はカミの依代である磐座として、中世はそこに地蔵と言う死後世界のカミが顕現する場と考えられた。「伯耆大山の僧が夢告で岩船山に至り、山に住む貧しい法師が村人の頼みに応じて分身するのを見、翌日岩船の上で法師の躰を割いて出現する〈生身の地蔵〉を見て、地蔵から増える不思議なお米を貰う」という説話が中世の地蔵菩薩霊験記や大山寺縁起にも見られる。この物語は「米」を巡る宗教思想大系の一つとも考えられる。山内の夥しい板碑群があり、この山が高名な霊場であったことを示唆する。岩船山上は1584年戦火で焼失した。
近世初期、寛永寺のテコ入れで山上に高勝寺が創建され、きわめて戦略的な「下野州岩舩山縁起」(漢文)が天海の弟子によって製作された。ところがわずか74年後には、先行する縁起とは異なる華麗な縁起絵巻「岩船山地蔵菩薩縁起」(かな)が作られ、中世の垂迹聖人と似て非なる〈新しいカミ〉が死者を救済する場として参詣者を誘引するようになった。聖なる石は子授けの陰陽石と見なされ、高勝寺は地蔵の持つ死者供養と子授け祈願の機能を持つようになった。
近現代に入ると岩船山は「換金可能な石の山」と見なされ人々は容赦なく山を破壊した。すると破壊された山の中に中世とは似て非なる異類が顕現するようになった。さらに岩船山には天狗伝承がある。現在も高勝寺が頒布しているお札に描かれた異類は、中世のダキニ天信仰との関連が感じられる。
発表者は山上の蓮華院高勝寺縁起類のデジタル複本作成と解題事業を行っている。本発表ではその過程で得られた知見の一部である。絵巻の未公開画像や岩船山の景観、天狗信仰などを紹介し、早急な修復が必要な高勝寺の一助になることを願うものである。
会場:國學院大學若木タワー14階打ち合わせ室
発表者:林京子氏
題目:異類出現の霊地下野岩船山
要旨:
栃木県栃木市の岩船山は中世以来の霊山で現在も連綿と信仰されている。しかしその内実は似て非なる信仰の連続体であり、混沌の中から聖なる異類が立ち上がる霊地である。
岩船山の聖性はこの場所の景観に由来する。北を指す船型の巨石(岩船)は、古代はカミの依代である磐座として、中世はそこに地蔵と言う死後世界のカミが顕現する場と考えられた。「伯耆大山の僧が夢告で岩船山に至り、山に住む貧しい法師が村人の頼みに応じて分身するのを見、翌日岩船の上で法師の躰を割いて出現する〈生身の地蔵〉を見て、地蔵から増える不思議なお米を貰う」という説話が中世の地蔵菩薩霊験記や大山寺縁起にも見られる。この物語は「米」を巡る宗教思想大系の一つとも考えられる。山内の夥しい板碑群があり、この山が高名な霊場であったことを示唆する。岩船山上は1584年戦火で焼失した。
近世初期、寛永寺のテコ入れで山上に高勝寺が創建され、きわめて戦略的な「下野州岩舩山縁起」(漢文)が天海の弟子によって製作された。ところがわずか74年後には、先行する縁起とは異なる華麗な縁起絵巻「岩船山地蔵菩薩縁起」(かな)が作られ、中世の垂迹聖人と似て非なる〈新しいカミ〉が死者を救済する場として参詣者を誘引するようになった。聖なる石は子授けの陰陽石と見なされ、高勝寺は地蔵の持つ死者供養と子授け祈願の機能を持つようになった。
近現代に入ると岩船山は「換金可能な石の山」と見なされ人々は容赦なく山を破壊した。すると破壊された山の中に中世とは似て非なる異類が顕現するようになった。さらに岩船山には天狗伝承がある。現在も高勝寺が頒布しているお札に描かれた異類は、中世のダキニ天信仰との関連が感じられる。
発表者は山上の蓮華院高勝寺縁起類のデジタル複本作成と解題事業を行っている。本発表ではその過程で得られた知見の一部である。絵巻の未公開画像や岩船山の景観、天狗信仰などを紹介し、早急な修復が必要な高勝寺の一助になることを願うものである。