忍者ブログ
異類(人間以外のキャラクター)について研究報告・情報提供・談話をする集まりです。妖怪関連多め。時代や地域は問いません。古典文学・絵巻・絵本・民間説話・妖怪・マンガ・アニメ・ゲーム・同人誌などジャンルを越境する会です。TwitterID: @iruinokai
10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20 
タイトル:日本中世の地震と異類ーー龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏

要旨:
 本発表では、日本中世の龍神説の形成と展開について、元暦地震(1185年7月9日)の事例を中心に、考察を試みた。所説の一般性・普遍性を論じる以前に、まずは書物固有の性質や文脈を踏まえて事例を捉えることの重要性・有効性を指摘した。具体的には、これまでの研究でとりあげられた公卿日記や歴史書に見える龍神説の事例のほとんどは、占術の判定結果なのであって、それらによって時代一般の認識といえるかどうかは、慎重に考える必要があるということを論じた。すなわち本発表を通じて、龍神説中心に中世の地震観を説明することへの疑問を提示したのである。
 質疑応答では、『今昔物語集』巻三十一の鯉説話や『平家物語』の龍神説話群、『渓嵐拾葉集』等々の、他の説話・類話との関係を視野に入れて考察を深めていくべきであると御指摘をいただいた。さらに、「信仰」という語の使用が曖昧であり、より適切に表現すべきというアドバイスや、『天地瑞祥志』の成立に関しては最新の先行研究を参照すべきという御教示をいただいた。他にも、国家鎮護と災害はどのような関係にあるか、「平家と龍神」説が結びつく初見は何か、ウロボロス的世界観を日本の学僧はいかに享受したか、『愚管抄』の龍の説はどの程度の影響力があったか等々の御質問を頂戴した。(文・児島啓祐氏)


これは2021年3月21日(日)にオンライン開催された第107回の報告です。
※次回は4月25日(日)15時にオンラインで開催します。

拍手

PR
第107回 異類の会

日時:2021年3月21日(日)15時開始
場所:Zoom

タイトル:日本中世の地震と異類――龍神説の形成と展開
発表者:児島啓祐氏


要旨
日本の地震原因伝承・地震観の研究では、龍(中世)から鯰(近世)へという変化が指摘されてきた。
本発表では、社会史・災害史・民俗学分野で蓄積された従来の研究に学び、それらを紹介しつつ、中世を龍の時代と捉えることへの一つの疑念を新たに提示したい。
それは、龍の説が日本中世の地震観といえるほどに普遍性を持ち得ていたのだろうか、という疑問である。
これまでの研究(歴史学・民俗学)では、時代・社会に共有された地震観・信仰を捉えることが重視されてきた。
しかし、龍の説がいかに作り出されたのか(形成の経緯)、それが一人一人の記録者によってなぜ選ばれたのか、どのように描かれたのか(意義及び展開)、これらの問いかけはほとんど試みられてこなかったように見受けられる。
本発表の目的は、特殊性や独自性を重視する文学研究の観点から、中世の龍神説を捉え直し、諸書における所説の固有の位置付けを見出すことである。

※参加歓迎。
 初めて参加希望の方は、「異
類の会広報用」(TwitterID:@iruinokai)にDMを。

拍手

タイトル:下野岩船山高勝寺奇譚
      ―怪奇・天狗・霊験―


発表者:林京子氏


要旨:

・岩船山は栃木県の南部に位置し、街道の分岐点のランドマークであり、日光と江戸城を結ぶライン上に位置する為、寛永期に寛永寺系列の寺院として山上に高勝寺が草創された。岩船山では多くの特撮ドラマが撮影されサブカル聖地として多くの巡礼者が訪れる。巨岩(岩船)付近ではブロッケン現象が見られる。それが神仏の示現=生身の地蔵の出現とされ法師の身体を裂いて地蔵が出現する絵が描かれた 。享保4年岩船地蔵は流行神となって山を下り、関東一円を巡行した。その理由は現在も不明である 。

・岩船山のメインの信仰は死者供養・水子供養・子授け祈願である。本堂の裏山に卒塔婆を建てる現行の死者供養の習俗は近代日本の戦死者供養との関連で発展してきたと推測される。「西院の河原」は子どもの死者を供養する場所とされる。水子供養が社会現象化すると、高勝寺は江戸時代から水子供養を行っていると主張して多くのメディアに登場した。子授け祈願では、呪物の下付や岩船と孫太郎(後述)を巡拝する宗教儀礼が行われる。平成10年頃奥の院と岩船は複製され、震災で本来の岩船は忘却される。中岡俊哉氏のような超常現象研究家や霊能者が多数岩船山を訪れ寺側は彼らから影響を受けている。

・高勝寺本堂には聖なる生身の地蔵と高勝寺の怪奇譚である「お玉の怨念の刀」や様々な怪奇なモノが同居。

・岩船山山頂には天狗である「孫太郎尊」を祀った寺の堂舎がある。かつては元旦講があり、高勝寺よりも参詣者が多かった。寺では現在も天狗のお札を配布しているが、その姿は吒枳尼天に近く、また稲荷要素も混ざっている。明治31年以降、孫太郎尊は「岩船神社」と呼ばれ多くの人の尊崇を集めた。岩田重則は戦時下天狗が流行神として現出したという見解 を取っているが孫太郎尊も同様と思われる。

・昭和30年頃には30万人が供養(戦死者?)のために彼岸の岩船山に押し寄せ、彼らを目当てに死者の口寄せをする人や傷痍軍人達も集まった。昭和の終わりには岩船石の採掘による振動で孫太郎本殿は倒壊した。

・佐野市にも孫太郎稲荷がある。平将門を討った田原藤太秀郷により天明の春日ノ岡に建てられた寺の鎮守でその後13世紀に。秀郷の子孫の足利孫太郎家綱が神社を修復し「孫太郎明神」とよばれるようになった。奈良の薬師寺の「孫太郎社」は佐野の分祀であるそうだ。栃木県では民間宗教者が祀っていたマタラ神=ダキニ天を、その後「稲荷」と呼び換える例がある 。お玉も稲荷である。佐野の孫太郎と岩船山の孫太郎も別々の場所で祀られているだけで同一ではないか。

・寛永寺子院浄名院の妙運は庶民の信仰の側に立つことを決意し、自らを地蔵比丘と名乗り八万四千躰地蔵建立運動を開始する。人々は妙運を生き仏として熱狂的に支持し、妙運が日光に異動すると彼の分身の地蔵が信者の家を巡行するようになった。1980年頃池袋方面を巡行していた地蔵は行方不明となった。

・池袋在住のKさん(女性)は、巡行地蔵の信者で巡行地蔵が来なくなり自分で地蔵を建立し家で奉斎していたが、偶然岩船山に来て強い感銘を受けて自分の墓をここに作った。2020年の夏、Kさんは亡くなり、遺族の願いで石地蔵は本堂に遷座した。妙運は転生して岩船山に帰還したのである。

【まとめ】
・恐山や川倉地蔵堂などと同じように、高勝寺は戦争を契機として知名度を高めた。現在の塔婆の景観と「死者に会える場所:供養霊場」という言説は戦没者に対する多くの人々の慰霊行動が創り出したものであろう

・高勝寺では死者供養と子授け、生と死が表裏一体であるので、怪奇なモノと聖なるモノが混然としており寺は近世の創建からずっと民間宗教者や様々な言説から都合が良いものを取り込み続けている。

・岩船山は変身ヒーロー縁起のはじまりの場所であり、現在も人智を超えた霊験が現実世界に噴出している。装いを変え、文脈を組み替えて、分厚い信仰の古層の中から再構築され続ける岩船山の宗教民俗を今後も注視していきたい。

・ネットで何でも検索できる現代であるが、現場に行き話を聞くという足で稼ぐ研究を今後も続けたい。

【質疑応答から】
地域の方からの情報や、変身についてアニミズムの視点から、また天狗信仰についても貴重なご指摘をいただいた。岩船山の信仰は重層的でベクトルの異なる様々な宗教者の言説を積み上げて構成されており、唐沢山を本拠地とした佐野氏が自らを秀郷の末裔と称したことと孫太郎天狗信仰は関連が示唆される。が、客観的な史料がないため、根本的な解決は難しいと思われる。ともあれ岩船山高勝寺は現在でも強烈なインパクトをもたらす物語を生み出す力を持つ霊場なのである。
(文・林京子氏)


これは2021年2月28日(日)にオンライン開催された第106回の報告です。
※次回は3月21日(日)15時にオンラインで開催します。

拍手

第106回 異類の会

日時:2月28日(日)15時開始

場所:Zoom


発表者:林京子氏
タイトル:下野岩船山高勝寺奇譚
     ―怪奇・天狗・霊験―

要旨:
栃木県栃木市の岩船山高勝寺は謎の多い寺院である。岩船山は室町期には霊験記などにも記載される生身の地蔵出現の霊地であった。
人々を往生に導く生身の地蔵は、江戸時代の享保4年に突如流行神となって関東平野を西に進軍し、広い範囲に熱狂的な巡行の痕跡を残している。(福田アジオ『歴史的探索の手法―岩船地蔵を追って』)
現在の高勝寺は死者供養霊地として関東一円の信仰を集めているが、寺宝の縁起類(漢文の真名縁起全一巻、かなで描かれた絵巻全五巻)にはそのことはまったく書かれていない。
また大正末に本堂が全焼し古文書類がない。
発表者は高勝寺の縁起類の解読を進めているが、ここにはいわゆる「霊場」につきもののディープな世界が展開している。
本発表では、高勝寺にまつわる知られざる様々な怪奇譚、岩船山の天狗、現在の霊験譚などを、実地調査した画像を交えて紹介したい。

※参加歓迎。
 初めて参加希望の方は、@NarazakeMiwa(TwitterID)

 もしくは「異類の会広報用」(@iruinokai)にDMを。

拍手

タイトル:はとや説話考
      ―なぜ鷹は鳩の名を持つのか―


発表者:大坪舞氏

要旨:
「はとや」(鳩屋・鳩也)という鷹が親のかたきである鷲を討つ説話の展開を追い、それぞれなぜ「はとや」の名を持つとされるかを確認しながら、背景にある鷹と鳩に対する解釈を探った。
はとや説話については鎌倉時代初期「石清水文書」において、石清水八幡宮の宝物「鳩屋鈴」の由来として確認される、鳩の名を持つ穏やかな印象の鷹が力で勝る鷲に知恵で以て仇討ちするものである。「石清水文書」でははとやの帰還を祈り天皇が奉納した鈴が、鎌倉時代後期の『八幡愚童訓』でははとや自身が仇討ちを祈念して奉納することとなり、同時に八幡の霊験として鳩が登場する。
一方で、八幡発信以外の言説においても、名鷹の一つとして、あるいは『新撰和歌六帖』「出羽なる」歌、その解釈などではとやの鷹説話が広まっていく。八幡の霊験を示す存在だった鳩は、『六花集注』『藻塩草』にて仇討ちの協力者となり、室町後期の雑書『塵荊鈔』では、協力した鳩と鷹が契る筋立てになる。
一見奇異に思われる鷹と鳩の婚姻譚が生じた背景として、『礼記』以来日本でも七十二候の一つとして広く知られる「鷹化為鳩」の解釈の変遷を取り上げた。『和漢朗詠集古注釈』の中に鷹化為鳩の解釈に鷹と鳩との混血の鳥を挙げることを指摘し、室町時代において「鷹化為鳩」が、その難解さゆえに、鷹と鳩との婚姻が前提となる解釈が生じており、「はとや」の名を聞き、鳩との混血の鷹を想起するものがおり、同じく一条院の名鷹として語られる「みさご腹」の鷹説話と併記されることにより、鷹と鳩との混血の鷹とする異伝が生じるまでに至ったと考察した。
質疑応答では、『八幡愚童訓』と同時代成立の『八幡宇佐宮御託宣集』にある八幡の化身である鷹が鳩に変じる類話について検討するべきであると提起された。
また、異類婚姻譚とは本来、人間と異類との婚姻を意味し、異類同士の契りについて適切な枠組みを考えるべきではないかという疑問が出された。その中で、S.
Thompson. Motif-index of folk-literatureではAnimal
Weddingと分類されることが紹介され、「婚姻譚」が意味するところは制度的婚姻か、あるいは単なる性交も婚姻譚に含めてよいか議論が交わされた。また、鷹と鳩、鷹と雎鳩を大きくは鳥類あるいは猛禽類に属している以上、「異類婚」と呼べるほどの距離がないのでは、という疑問が呈された。
発表者は本説話で鷹が鷹以外と契り混血になることにより、鷹の中でも優れた存在となる点に注目しているが、同類の事例の調査を進めていきたい。
この他、仇討ちの類話、霊験譚の定義などについても議論が交わされた。
(文・大坪舞氏)

これは2021年1月31日(日)にオンライン開催された第105回の報告です。
※次回は2月28日(日)15時にオンラインで開催します。

拍手

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[10/24 浅井悠太]
[10/24 木下 誠]
[09/26 永島大輝]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
異類の会
年齢:
14
性別:
非公開
誕生日:
2009/09/15
自己紹介:
新宿ミュンヘンで誕生。

連絡先:
gijinka☆way.ocn.ne.jp
(☆を@にかえてください)
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
異類の会 Produced by 異類の会  AD :忍者ブログ [PR]

SimpleSquare 和心 ver.2 Edit by : 飛雄